
大切なのは、言葉。
1877年、法律家であり漢学者でもあった三島中洲によって、現在の九段キャンパスの地に漢学塾二松学舎が開かれた。夏目漱石や平塚雷鳥などが学び、1928年に旧制の専門学校を経て、1949年に新制大学となった二松学舎大学。「東洋の精神による人格の陶冶」を建学の精神に掲げながら、文系の総合大学として歩み続けてきた。
二松学舎大学は、旧制の専門学校での国語科教員養成以来の伝統を持つ、教育系の大学でもある。国語科教員志望者のための特別コースを設けるなど、国語科教員の輩出実績には定評がある。現在では、文学部に3学科、国際政治経済学部に2学科という教学体制で、人文科学から社会科学において幅広い教育研究を行っている。
2019年4月に就任した江藤茂博学長は、2009年から10年にわたり、同大学の文学部長を務めた。文学部のルーツである漢学塾の教育文化を生かした「師弟間での丁寧な教育環境の構築」をめざすという。言葉の力、さらには表現力とコミュニケーション力を学生に手に入れてほしいという思いから、二松学舎大学でこそ身につく言葉の力と知力についてこう語る。
「大学で学問と出会い、そこで自分のものとなった知性が言葉として育まれることで、豊かな表現となります。大学での学びの領域が、自らの関心事と結びついたときに生まれる知力を大切にし、学生たちの関心に応じて学問を紡ぐ教場でありたい」
長い伝統を持つ二松学舎大学は、出発点でもある漢学塾の教育文化を大切にしながら、教育研究機関として新しい学問領域にも視野を広げ、「グローカリゼーション」に必要な知力の養成をはかっている。近年新設された、文学部・都市文化デザイン学科は地域の魅力を文化の力で引き出す人材を、国際政治経済学部・国際経営学科は国際的な視野を持ち、新しい知の領域や現代社会の諸課題を解決して国際社会に貢献できる「真の国際人」の輩出を目的としている。
漢学塾だった1888年にはすでに、海外からの留学生を受け入れていた二松学舎大学。21世紀に入り、伝統的に培ってきた言葉と表現教育を基本に、学修環境の国際化とグローバル人材の育成を推進してきた。海外大学との提携は30校を超え、交換留学生たちが常時学んでおり、毎日のキャンパスライフにおいて、学生は自ずと国際的な環境に身を置くことになる。それも狙いであると、江藤学長は話す。
「留学生たちは積極的に発言をし、日本語だけでなく英語も堪能です。国際的な環境に学生を置き、同じ課題に関心を持つ外国の大学生が隣の席にいることが、良い刺激になるでしょう。世界には同じ学問を学ぶ学生がいることをリアルに感じ取って欲しいのです」
当然のことながら学生だけではなく、教員たちも世界に出向いて研究活動を行っている。さらに二松学舎大学が築いてきた学問領域を世界の大学に向けて発信もしている。こうした海外大学との提携において、相互の教育研究の連携を強化し、今後は外国の大学からのオンラインによる学部講座の受信を準備している。
外国語の学びとして文学部では、中国文学科においては中国語と韓国語、都市文化デザイン学科では英語やフランス語、中国語の授業が用意されている。また、国際政治経済学部においては、授業すべてが英語で行われる特別カリキュラムも開講した。こうした外国語の科目は、二松学舎大学ではどのような位置づけなのだろうか。
「生き抜くための『言葉の力とは何か』について、学生と絶えず向き合いながら考えてきました。外国語を自在に聞いて話せる人材を育成しようとしているわけではなく、本学の教育の基本は、母語の力を伸ばすこと。国籍に縛られずに意思を伝えあうには、外国語力だけではなく『母語』の力が必要なのです」
複数の言語を自由に操る人でも、深く思考するときには母語に立ち返るという。言葉の力に重きを置いている二松学舎大学だからこそ、外国語を話せるようになることよりも自らの課題は何かを考え得る人材を育てることが重要なのだ。
近年では、ヨーロッパや中国、韓国といった諸外国と共同での漢学研究も行う。「国漢の二松学舎」の伝統は海を越え、東アジアの高等教育機関としての成長を遂げている。
4月7日、新型コロナウイルス感染拡大により、特別措置法による緊急事態宣言が発令された。オンライン授業を準備・対応し、学生の学修環境の保全に努めたが、実際の授業開始は5月の連休が明けてからだ。この間、江藤学長は、教員学生のいないキャンパスで、「いかに教育研究活動を損なわないで済ませられるか」に苦心していたという。
通常ならば、学生たちがあふれる九段キャンパス界隈のようすを、江藤学長は大学のHPに寄稿していた。
東京・九段下の駅を上がり、北の丸公園口のお堀横の九段坂公園にそって坂道を上がると、右手の道路の向こう側には靖国神社の木立が広がる。桜の名所である千鳥ヶ淵を通り過ぎると3号館の校舎が、信号を渡ると1号館の校舎が現れる。都心にありながら、幾つもの公園に囲まれるキャンパス。ここが1877年に三島中洲が漢学塾二松学舎を開いた場所である。
満開の桜の中、そして新緑の間を木漏れ日が差し込むころ。いつもならば九段下駅だけでなく、飯田橋駅や市ヶ谷駅からのゆるやかな坂道を、他大学の学生に混ざりながら、キャンパスに向かう多くの本学の学生の姿があった。しかし今年、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、私たちも大きく教育環境を変えなければならなかった。
創設以来、社会情勢によって本学の教育研究環境が揺らいだのは、一度や二度のことではない。しかし戦争や社会的混乱の中でも、よりよい教育研究の場であり続けようとする強い意志により、教員や学生たちはこの学び舎を守り続けてきた。どのような社会環境のなかでも、漢学塾以来の教場はここに続いているのだ。感染拡大を回避するためにも、私たちは率先して社会に協力する。そのために、最小限のキャンパス利用を余儀なくされたとしても、二松学舎大学が提供する学びの領域が減じることは、決してない。
学ぶということは、どんな困難にも打ち勝ち、しっかりと生き抜くことに結びつかなくてはならない。現在、二松学舎大学ではオンライン授業の実施と教育効果を考慮した対面授業の一部を再開している。海外に留まる留学生にはオンラインを使った大学院の授業を展開している。「何のために学ぶのか」、学生の皆が真剣に考え、文化の新たな継承者として成長していくことを、期待している。
創立140周年を機に、新たな長期ビジョンN'2030Planを策定した学校法人二松学舎。KPI(重要業績評価指標)を定め課題を可視化し、全学一丸となって着実な学校改革に邁進している。建学の精神に基づき、AI(人工知能)時代の到来など、社会環境の大きな変化にも柔軟に対応できる「問題解決力・想像力・復元力(レジリエンス)」をもつ人材の育成を進めている。