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2012.4.2

「あなたの一番のお仕事は、幸せになることです。」

蟹瀬 令子 氏
レナ・ジャポン・インスティチュート株式会社 代表取締役

「プラス1からの転職の美学」

上智大学文学部英文科4年生の時に、アメリカのミシガン大学に留学。帰国後、博報堂に入社しました。その後20年間はコピーライターやマーケッター、テレビCMのクリエーター、博報堂生活総合研究所の研究員など様々な職種を経験させてもらい、それなりに成果も出すことができました。職場にも仕事にも何の不満もないのに、突然、独立して仕事をする道を歩み始めたのです。

入社して10年間は、会社が自分に投資し続けてくれますが、その後は私が会社に貢献していく時期になります。会社に授業料を返済してちょうど10年間過ぎた20年目に退社を決意。ちょうど40代に入ったばかりでした。この先過去の財産で仕事を続けていくのはクリエーターとしてつらいという思いもありました。管理職にも向かなさそうだし。それなら、20年間サラリーマンだったのだから、残りの20年間は自分雇用をしよう。そう思ったのです。

そこで、当時の副社長の部屋を訪ね、「私はもう、博報堂に恩返しできていますか」と聞いたんです。うれしいことに、「十分返してもらっているよ」という返事をもらい、その場で「それなら、辞めてもいいですか」と辞意を伝えました。周囲は「蟹瀬は定年までやめない」と信じていたので、とても驚いていました。しかし、独立が本当だとわかると、上司は独立祝いに仕事をくれました。そんな寛容な博報堂という会社と、上司や仲間には今でも心から感謝しています。

私にはひとつの仕事を終える際の美学があります。それは「必ずゼロより上の状況でやめる」ということ。マイナスからの再スタートはつらい。でもゼロより1でも2でも上の状況なら、それが“スプリング”となって、次のステップへ大きくジャンプすることができるからなんです。

縁あって1999年から代表取締役社長を務めたザ・ボディショップ・ジャパンを退く際にも、この美学に従いました。転換期を迎えていたブランドの再生をめざして社員と一緒になって努力した結果、次年度、前年比120%の売上げが達成できることが確実になった就任7年目の春に退任を決意したのです。

娘のひと言をきっかけにブランドを設立

退任後はもう一度家族に帰属したいという思いにかられました。働く女性にはどうしても家族を置き去りにしなければいけない時期があります。しかし、家庭は女性を中心に回るもの。我慢を強いてきた家族のところに時間も心も戻すことが大切な時期が訪れたのです。それは、人生に一度しかない19歳という悩み多き年齢の娘と共にいることでした。バレエのオーディションのために娘についてヨーロッパ中を周りました。

そこでぶつかったのがヨーロッパの乾燥です。当時の娘の肌は荒れ放題。いろいろな化粧品を試しましたが、どれも効きません。オーディションは、東洋人はただでさえ不利な状況なので、せめて肌だけはきれいにしてあげたいと私も必死でした。そんな時、娘が「お母さんが、私の肌荒れを治す化粧品を作って」と言ったのです。このひと言がきっかけになって、なんと娘の名前を冠したスキンケアブランドを立ち上げることになりました。

30年を振り返ってみれば、私はそれまでに自然派化粧品に深くかかわる仕事をしてきました。何千という商品をさわり、成分知識や研究者たちとのネットワークもありました。でも、まさか自分が“メーカー”になろうとは夢にも思っていませんでした。

「素肌がきれいであれば、女性はそれだけでうれしい。」
その原点に帰るために製品はきれいな素肌を作るための基礎化粧品のみと決めたのです。汚れを落としてしっかり保湿することで健康な肌の土台ができれば、肌荒れの原因となるものを押し返すことができる。長い経験による確信にちかい力に背中を押され、「保湿」を軸にしたブランドをつくることになったのです。

主成分は口に入れても大丈夫な夏野菜や美果実。特にマルメロという果実の種子の部分を守っているクインスシードエキスからできた保湿成分を全製品に入れました。おかげさまで、売れ行きは大変好調です。自分のブランドがお客様に喜んでいただけるというのは本当にうれしいことだと実感しています。

実は、ブランド設立と同時に、日本の若者の芸術・文化活動を支援する「さくら芸術文化応援団」も立ち上げ、収益の一部を社会貢献活動に活用しています。将来は財団にして、芸術家を支える活動に専念したいと密かに思っています。困難な状況で生きる才能のある人たちを援助することができれば、その人が将来芸術家になった時に多くの人の心を豊かにすることができる。そんな夢を描いているところです。

生きる原点は上智大学で育んだ

誰かの喜びを自分の喜びとしたい。相手の笑顔が見たい。相手が「どんな顔をするかな?」と常にドキドキしていたい。これは、私の生きる原点です。そして、この原点を育んだ場所は、上智大学だったと思っています。

学生時代の私は、比較的引っ込み思案で、群れたりすることが苦手なタイプ。「小さな学校」である上智大学はとても居心地の良い場所でした。授業では、特に「人間学」というキリスト教精神に根ざした哲学や倫理学を融合した授業、そして人間の根底を描いたギリシャ神話についての授業「Mythology」は、今でも強烈に印象に残っています。恋愛や人生のすべてに悩んでいた二十歳の私にとっては奥が深い内容で、授業の中で人生を照らす一筋の光のようなものを何本も見せてもらった思いがします。今でも当時のペーパーバックを読み直しながら、直面する問題に対して何を軸にして向き合うべきかを考えたりしています。

もうひとつ、記憶に残っているのは翻訳の授業での先生からのアドバイスです。「良い翻訳家になりたいなら、40歳まではできるだけ多く日本語の本だけを読みなさい」と言われ、当時は「英語はいいの?」と不思議に思った記憶があります。コピーライターをやっていて40歳を過ぎた時、「先生のアドバイスは正しかった」と痛感しました。上智大学の先生は生きることに前向きで学生に真摯に向かい合うので、アドバイスが的確なのでしょう。

私が若い人たちに仕事や家庭について何かアドバイスをするとしたら、「あなたの一番のお仕事は、幸せになることです。」ということです。学校にいても、仕事をしていても、家庭を作っても、自分にとっての幸せを考え続けてほしい。幸せになるために必要だとしたら、受験や勉強は超えて行かなければいけないもの。生きていく上でさまざまな困難に直面することがあるとは思いますが、決してそこから逃げないで向かっていってほしい。そして、「自分軸での幸せをつかんでほしい。」心からそう願っています。幸せになるために生まれてきたのですから。

蟹瀬 令子 (かにせ れいこ)
レナ・ジャポン・インスティチュート株式会社 代表取締役・1975年 上智大学文学部英文科卒業
上智大学卒業、株式会社博報堂に入社。コピーライターとなり、「ヨード卵・光」や「ムーニー」を生み出す。1986年米国ミシガン大学へ留学。帰国後、博報堂生活総合研究所主任研究員などを経て、1993年クリエイティブ・マーケティング会社、(株)ケイ・アソシエイツを設立。エスティローダー のオリジンズなどを手がける。1999〜2005年ザ・ボディショップ・ジャパン 代表取締役社長就任。2006年特別顧問を務める。2007年レナ・ジャポン・インスティチュート(株)を設立。
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