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  3. 和泉 法夫(上智大学ソフィア会 会長)

2012.7.2

当時学生会長として経験した学園紛争。
先生たちは学生たちと真剣に向き合って改革に取り組みました。

和泉 法夫 氏
上智大学ソフィア会 会長
新潟大学脳研究所 統合脳機能研究センター デジタル医学分野特任教授
グローバル・テクノロジー・ネットワーク株式会社 代表取締役社長

恩師との出合い、大学改革への道が 人生を変えた。

私が上智大学の理工学部3年生に在籍していた1968年、大学は学園紛争の只中にありました。この時大学側がとった対応は、上智方式とも呼ばれその後の他大学における紛争収束のモデルとなるような先進的なものでした。当時、上智には全学生が投票権を持つ選挙によって選ぶ学生会組織があり、そこで学生会長に選ばれた私は、一般学生の代表として一連の出来事に対処しました。

ことの始まりはその年の6月。全共闘は当時発生した盗難事件の捜査という名目で大学構内に警察が入ったことに抗議し、バリケードを築きました。一旦は、そのバリケードは解除されましたが、処分を不服とした全共闘側は再武装して新たなバリケードを築いたのでした。私は守屋学長をはじめとする先生方とともに、一般学生や全共闘が求めていた「学生要覧」(学生生活に関する規定)の改正に着手しました。改正案は全学生の投票を経て可決され、大学からの改正表明も行われました。それでも全共闘側はバリケードを解かず、解除を求める代議員会決議などをも無視し、私たち学生会側との衝突は激化し、負傷者も出る結果となりました。武装行為停止を求める学長からの最終通告も無視され、遂に大学側は機動隊に出動を要請したのです。12月21日のことでした。学生同士の対立をこれ以上深めてはいけないという一心で、守屋学長・ピタウ理事長をはじめ先生方は重い決断を下したのです。

この時、理事長を務められていたピタウ先生は機動隊の責任者に「決して全共闘の学生を傷つけないでほしい」と要請されました。それに応え、機動隊はメンバーを選ぶ際、父親であることを条件としたそうです。自分の子に接するような愛情を持って学生に対処するように、という意図だったのでしょう。

機動隊が占拠学生を排除した後、大学は6ヵ月間の休業を宣言し、キャンパスを閉鎖(ロックアウト)しました。ロックアウトは翌4月まで続き、その間私たちは連日守屋学長やピタウ理事長はじめ多くの先生方と話し合いながらさまざまな改革案をつくりました。それまで「教える者と教えられる者の精神的共同体」とされていた大学のあり方を、‘教員と学生が互いを尊重しあうもの’とし、欠席による落第の緩和やカリキュラム改革など、学生の自主性がより活かされる内容に変えました。また学生参加までは実現しませんでしたが全教職員参加による学長選挙制度もこのとき生まれたものです。

もともと上智は非常に民主的な大学でした。当時の学生会もその現れで、大学が作った組織ではありましたが、アメリカ民主主義の精神を継承し学生の自治を目的としたものでした。学園紛争をきっかけに行われた数々の大学改革は、当時の上智をより民主的に変える役割を果たし、その後の上智の発展につながったと思います。

紛争収束の後、私は理工学部を卒業し、文学部社会学科に学士入学してさらに2年間勉強しました。機械工学の恩師の配慮で大手企業への就職が決まっていたのですが、‘何か積み残したものがある’との思いで大学に残りました。この2年間は‘人生を考える’という意味で意義があり、その後の生き方に大きな影響を与えました。

今こそ、上智の価値が広く認識される時代。

学園紛争を経験するなかには、壮絶な場面もありました。社会に出てからも、ビジネスの世界で、修羅場に遭遇した際など、あの経験に比べれば大したことではない、と思えたほどです。しかし振り返ると、私の人生に最も大きな影響を与えてくれたのは、ピタウ先生と守屋学長という二人の恩師との出会いだったのではないかと思います。

ピタウ先生は立場や主義主張を超えてすべての人に分け隔てなく接してくださり、 上智の建学の精神である‘他者のために、他者とともに’を体現されている方です。 全共闘側だった学生たちからも慕われ、今でも多くの卒業生と交流していらっしゃいます。長らくバチカンで要職に就かれていましたが、8年ほど前に日本に戻られました。守屋学長は既に故人になられましたが、確たる信念を持って決断すべき時は決断し、実行される方でした。年齢を重ねた者が若い人のやることに口出ししてはいけない、とよくおっしゃっていましたが、要求ばかりで責任を果たさない若者には苦言を呈され、厳しくあたたかく見守ってくださるのです。私が60歳を過ぎてすぐビジネスの最前線を退き社会貢献活動の道へ進んだのは、守屋学長・ピタウ先生の影響が大きいです。

お二人だけではなく、在学中、多くの先生方が家族のように私たちに接してくださいました。当時は学生寮がキャンパス内にあり、神父様たちは深夜でも学生に対応してくださったものです。ロックアウト中、キャンパス外で非公式授業を行った先生方もたくさんおられました。

当時と環境は異なりますが、今日、コミュニティとしての大学や同窓会の役割はますます重要になっています。終身雇用制が崩壊し、企業を中心とした人間関係が希薄になっている分、上智の精神を共有した同窓生がつながりを深めるとともに母校との関係を強くすべきだと思うのです。私自身、紛争当時には対立する全共闘側だった同窓生を含め、たくさんのOBOGや先生方と交流しています。そして現在、上智大学の同窓会「ソフィア会」の会長として、卒業生による大学への貢献を柱に募金活動や在学生支援活動も進めています。

今、社会の変化とともに上智大学の価値が改めて見直されています。経済の右肩下がりと人口減のなか、大きく価値観が変わろうとしているこれからの日本で、社会貢献など「金儲けより大切なこと」の価値を教え続けてきた上智の存在は実に貴重です。これからも卒業生が社会で活躍することにより、上智の存在感を高めていってほしいと思います。

和泉 法夫(いずみ のりお)
上智大学同窓会「ソフィア会」 会長
1970年 理工学部機械工学科卒業/1972年 文学部社会学科卒業
卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社、流通業界を担当。1985年日本タンデムコンピューターズ株式会社入社後、取締役営業統括部長,米タンデムコンピューターズ副社長を兼務、その後、日本タンデムコンピューターズ株式会社専務取締役営業統括本部長に就任。1998年、コンパックコンピュータ株式会社 取締役副社長兼米コンパックコンピュータ 副社長を務める。同年、日本シリコングラフィックス(現:日本SGI)株式会社へと移籍後も、同代表取締役社長兼米シリコングラフィックス(現:SGI) 副社長、米SGI 上級副社長就任、日本SGI 代表取締役社長 CEOを歴任。
現在は、新潟大学脳研究所統合脳機能研究センターデジタル医学分野特任教授と大学発ベンチャー企業で遠隔医療システムを手掛けるグローバル・テクノロジー・ネットワーク株式会社代表取締役社長を兼任。