家族のつながりを重視した四角い家
私は茨城県日立市の、海が見えるゆるやかな丘陵地に広がる社宅の中で育ちました。高度成長期でたくさん友達がいて、学校から帰ると誰かの家に毎日みんなで集まって、遊んでいました。社宅なので、どの家もみんな似たような間取りで、同じような家族構成で暮らしていました。
そのうち、だんだんそれぞれの家族が、家を建てて社宅から出て行くのですが、私が小学生の低学年の頃、うちでも家を建てる計画がもちあがりました。同じ頃、偶然に、母がとっていた婦人雑誌で菊竹清訓さんが設計された御自邸のスカイハウスを見て衝撃を受けました。とても興味を持ち、子供ながらにいろいろな間取りを一生懸命考えて、母に提案したことを覚えています。結局、その時はその計画は流れてしまったのですが、それがもとで進路を決める時、日本女子大学の住居学科に進むことになりました。
その後、建築家になって住宅の設計にも携わるようになりました。一つ一つ試行錯誤の連続ですが、よく取り上げられるのが、鉄板を溶接して作った小さな四角い箱の3階建ての家です。内部は16ミリの薄い鉄板で仕切られています。その鉄板には、窓のような開口があいており、二つの部屋をつないでいます。吹き抜けが多いため、建物全体が一つの空間のようになっています。
ユニークな家ですが、奇をてらってつくったわけではなく、「家族がみんなで一緒に暮らしていることを感じられるような、立体的なワンルームの家がほしい」というクライアントの方の言葉から始まりました。部屋と部屋をつなぐ窓は当時、小学校二年生だったお嬢さんの要望から生まれました。
家は周囲の環境と独立して存在しない
施主の言葉でもう一つ驚いたのが、「周囲の梅の木を残してほしい」というものでした。狭い土地なので普通だったら建ぺい率いっぱいに建てるもの。でも「この梅の木は昔からあって地域の人が毎年、花が咲くのを楽しみにしているから」とおっしゃるのです。薄い壁で作るというアイデアは、なるべく壁に使う面積を小さくしようということからも生まれました。
私は建物を設計する時、その地の風景に溶け込み、その地で暮らす人々に愛着を持ってもらえるようなものを作りたいと思っています。家づくりにおいてもそのような考えは大事だと思います。家は周囲の自然や環境、社会から離れて存在するものではありません。家は個人のものですが、それでも一つずつがつながって、地域の風景をかたちづくります。
今、人々の暮らし方や価値観が多様化してきています。家で仕事をする人が増えたり、高齢化社会にともなって、介護の人などいろいろな人が家にやってくるようになったり、あるいは若い人たちが共同で生活をはじめたり、家の役割が少しずつ広がっているように思います。
家にはもっと個性があっていいのではないかと思います。自分にとっての理想の家を考えることは、自分の生き方や、社会や自然との関わりを見つめ直すことでもあります。より多くの人が、自分らしい家づくりを楽しむようになれば、社会もより豊かで活力あるものになっていくのではないでしょうか。(談)

せじま・かずよ/1956年茨城県生まれ。日本女子大学大学院を修了後、伊東豊雄建築設計事務所へ。87年に妹島和世建築設計事務所を、95年にSANAAを設立。2010年に建築界のノーベル賞とも称されるプリツカー賞を受賞。








