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「羽田の時代来る」 京急乗り入れ訴えたOB、思い格別

2010年10月21日18時43分

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写真:中根啓介さん中根啓介さん

写真:1998年11月16日に乗り入れを果たした「羽田空港駅」に到着した一番列車=京急電鉄提供1998年11月16日に乗り入れを果たした「羽田空港駅」に到着した一番列車=京急電鉄提供

写真:1998年11月16日に乗り入れを果たした「羽田空港駅」から出発の合図を送る駅長=京急電鉄提供1998年11月16日に乗り入れを果たした「羽田空港駅」から出発の合図を送る駅長=京急電鉄提供

写真:1998年11月16日に乗り入れを果たした「羽田空港駅」の開業式典=京急電鉄提供1998年11月16日に乗り入れを果たした「羽田空港駅」の開業式典=京急電鉄提供

 「自分の人生も、少しは人の役に立ったかな」

 京急電鉄元鉄道本部長の中根啓介さん(75)は、京急が1998年に羽田空港に乗り入れた際の功労者の一人だ。

 58年に入社。羽田では4年前に国際定期便が就航し、京急は56年に初代の「羽田空港駅」を開設した。ただ、駅は空港から離れており、シャトルバスに乗り換える必要があった。

 京急は64年の東京五輪開幕前、外国人旅客の急増を理由に国から空港乗り入れの打診を受けた。だが、当時は高度成長期。列車の混雑が深刻化しており、京急は横浜方面と都心を結ぶ本線の混雑対策に力を入れることを選んだ。

 五輪開幕に合わせて東京モノレールが開業し、京急の羽田空港駅は乗客が激減。京急によると、都心から羽田への列車は68年に廃止になった。

 それでも、「いつか羽田の時代が来る」と考えた中根さんら若手が中心になり、72年から空港への再乗り入れの検討を始め、当時の運輸省や東京都への「説得工作」を進めた。当初は「京急は空港に入る権利はない」と門前払いにされたが、段階的に延伸し、98年の乗り入れにこぎ着けた。

 中根さんは2004年に一線を退いた。京急は、京急蒲田駅(大田区)周辺の高架化工事が完了する12年度に、羽田と横浜、都心を結ぶ列車を増発する予定だ。「本当のゴールは、その時だ」。後輩たちにエールを送る。(小林誠一)

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