「(戦後)72年間の長い道のりでした。でも、この瞬間が来た。言葉も出ない。感激感動でいっぱい」

 広島で被爆し、現在はカナダ・トロントで暮らすサーロー節子さん(85)は、被爆体験を世界で語り続けてきたICANの「顔」。6日早朝、ノーベル賞受賞が決まったことについて、自らの体を何度も抱きしめるようにして喜んだ。

カナダ・トロントの自宅で、ICANのノーベル平和賞受賞決定を喜ぶサーロー節子さん=6日、鵜飼啓撮影

 核廃絶への取り組みには今年、大きな動きが続いた。7月の核禁条約採択、そして今回のノーベル賞。「何十年も反核平和運動に参加したが、ここ数年は非常に集中的だった」と振り返る。

 「(核禁条約は)核兵器の終わりの始まり。この星を愛しているのなら、世界の指導者は署名してください」

 核禁条約採択直後、ニューヨークの国連本部の議場でこう呼びかけた。核兵器保有国が唱える「核抑止論」がこれ以上まかり通れば、人類が滅びるという切実な訴え。その信念の源は、故郷である被爆地・広島にある。

 広島女学院高等女学部の生徒だった1945年8月6日、青白い閃光(せんこう)とともに気を失う。姉と4歳のおいは大やけどを負って亡くなった。無造作な扱いを受ける姉の遺体。「非日常」の中で起きた出来事が、当時13歳の感性を狂わせた。

 「敬愛する姉が虫けらのように扱われても、涙一滴出なかった。それで自分を責めました」(2014年11月、ビデオでの証言)