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ストリップ70周年、1周回って芸術路線

  • 梅田恵子
  • 2017年2月28日
  • 日本のストリップの元祖といわれる1947年1月「帝都座」初公演のパンフレット(資料提供・西条昇)

  • 浅草・フランス座の公演パンフレット(資料提供・西条昇)

  • 浅草・ロック座の公演パンフレット(資料提供・西条昇)

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 日本にストリップが誕生して70周年を迎えた。全盛期の昭和20~30年代のストリップ劇場は、作家永井荷風がロック座の芝居台本を書き下ろしたり、フランス座の文芸部に井上ひさしがいたり。喜劇の活躍の場でもあり、渥美清、三波伸介、東八郎、萩本欽一、ビートたけしら多くのコメディアンを輩出した。3月18日に記念イベントを開催するお笑い評論家西条昇氏(52=江戸川大学准教授、大衆芸能史研究)に、歴史と現状を聞いた。

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――最初のストリップは1947年(昭22)1月なのですね。

西条 新宿にあった帝都座で、レビューの合間に披露された「額縁ショー」が最初といわれています。裸婦像の名画「ヴィーナスの誕生」や「ペルセウスとアンドロメダ」を再現して同じポーズをとる「名画アルバム」という見せ方。戦前、宝塚歌劇や日劇ダンシングチームを育てた秦豊吉さんという演出家が、三菱商事勤務時代にドイツで見たショーをヒントに帝都座で始めた。1月の第1回公演では踊り子がブラジャーを取らず、胸を出したのは2月の第2回公演から。ここから日本のストリップショーが発展していくんです。

――「名画」として見せるとは斬新ですね。

西条 動くと摘発される恐れもあったので、最初は動かなかったんですよ。どこまで動いて大丈夫かと、興行側も次々に知恵をしぼって。翌年の浅草・常盤座では、上半身裸の踊り子さんがブランコに乗って客席に飛び出してきて「動いているのはブランコで本人は動いていません」みたいな(笑)。画家とモデルの設定で「ちょっと脱いでみようか」とか(笑)「ストリップショー」とうたったのは48年春の常盤座が最初。当時、アメリカでジプシー・ローズ・リーという人が「ストリップティーズ」という、じらすパフォーマンスを流行らせて、日本でもストリップショーが一気に花開きます。

――劇場はどのくらいあったのですか。

西条 当時は浅草だけで10軒くらいのストリップ劇場がありました。文化の最先端でもあって、黒沢明監督の「生きる」(52年)にもストリップ劇場が出てきますし、「七人の侍」(54年)にも6人のストリッパーが出演しています。木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」(51年)は主役のストリッパーを高峰秀子さんが演じました。加藤茶さんの「ちょっとだけよ」もありましたよね。京都の南座や東京の帝国劇場でもストリップ大会が開かれ、社会現象でもあったんです。人気ぶりが新聞の芸能面に載る一方で、社会面で「公然わいせつで逮捕」とか(笑)。すごい時代です。

――ある意味、芸能の最先端だったのですね。

西条 今のAKB48みたいなシステムもあったんですよ。内外タイムスが主催するストリッパーの人気投票があって、新聞に投票券がついていて。「あなたの推す人は」なんて記述もあります。「○○推し」や総選挙の元祖ですね(笑)。

――当時のパンフレットを見ると、ストリップ以外にも、軽音楽、マジック、お芝居などいろいろやっていたんですね。

西条 パッケージとしてさまざまな芸能を見せる「劇場」だったんです。永井荷風はロック座のために「渡り鳥いつかへる」という芝居台本を書いて自ら飛び入り出演していますし、井上ひさしさんはフランス座の文芸部に所属していました。そもそも「額縁ショー」を始めた秦豊吉さんが大変なインテリで、そういう人がヨーロッパ仕込みのショー形式を最初に広めたのは大きい。

――ストリップ劇場からコメディアンが多く輩出されたのも特徴的です。

西条 エノケン、ロッパが活躍した昭和初期のころから、パリ風のレビューはお色気と喜劇がセットだったんです。昭和30年代から40年代前半にかけて、ストリップ劇場から渥美清さん、三波伸介さん、東八郎さんらコメディアンが次々と出てテレビで脚光を浴び、国民的スターになっていきました。裸を見に来たお客さんを相手に芝居やコントで笑わせてきたから芸の幅が広いんでしょうね。萩本欽一さんのコント55号もそうですし。ビートたけしさんがフランス座にいたころは、だいぶストリップも下火になっていたようですが。

――下火になるきっかけは何だったのですか。

西条 昭和40年代に入ると、全裸になる「全スト」とか、特別サービスの「特出し」とか、てっとり早くどぎつい「関西ストリップ」が流行り出して、浅草のストリップは刺激不足と苦戦し始めた。何度も警察に逮捕されながらやっている一条さゆりさんがウーマンリブ運動や反体制の旗手として取り上げられた頃ですよね。50年代になると、「劇場」が「風俗」になっていく。まな板ショーとかタッチショーとか、観客参加型がどんどん入ってきて、85年(昭60)の新風営法の施行で取り締まられるようになって。そこからはアイドルストリッパー路線になっていきます。

――ストリップ界の現状は。

西条 全国に300軒以上あった劇場は、今は20軒くらい。フランス座も19年前に閉めて東洋館という演芸場になりましたし、今年もTSミュージックという新宿の名門が閉館しました。見るだけならネットで見られる時代だし、メジャーな新聞雑誌やテレビ番組も扱わなくなって、若い人が知る機会もないんだ思います。

――草食系の時代ですし。

西条 若くて美しい踊り子さんも多く、ポラ会、チェキ会みたいなのもあって、それこそ「会いに行けるアイドル」なんですけどね。今や女性の方が踊り子さんたちの美ボディーに興味があるようで、女性客が2~3割を占めることも。芸術路線だった「額縁ショー」のころに戻っている感じです。法律上、風俗としての発展はもうない。芸術、エンタメとしてどう若い男性層を取り込んでいくかが、これからの課題だと思います。

 ◆ストリップ&東洋興業70周年特別企画「裸と笑いの殿堂 フランス座を語る会」 3月18日の19時より、東京・浅草東洋館にて開催。東洋興業松倉久幸会長監修のもと、トークと資料映像で70年史を振り返る。出演は青空球児、ビートきよし、写真家谷口雅彦ほか。浅草駒太夫が19年ぶりにフランス座の舞台に立ち「花魁ショー」を披露するのも目玉。問い合わせは、info@utaodori.netまで。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)

日刊スポーツ

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PROFILE

梅田恵子(うめだ・けいこ)

東京都生まれ。日刊スポーツで主に芸能面、社会面を担当し、主なスクープに小泉今日子結婚、広末涼子結婚など。やや辛口のコラムで知られ、テレビおたく、ドラマファンの立場から2010年より紙面等で「勝手にドラマ評」を展開。好きなドラマは「淋しいのはお前だけじゃない」、映画は「太陽を盗んだ男」。法大卒。超方向オンチ。

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