小川フミオのモーターカー

世界の名車<第158回>社会現象になった「日産シーマ」

  • 文 小川フミオ
  • 2017年4月17日

全幅は1770ミリと現代からみるとスリム

  • ターボつきのV6気筒は255馬力だった

  • ボンネットマスコットはコリント様式の建築などに使われたアカンサスの葉がモチーフ

  • ステアリングホイールから手を離さないで空調などが操作できるデザイン

  • 前のドアと後ろのドアの間のウィンドーにピラーがないハードトップ形式採用

  • 高級なモケット張りのシートも用意されていた

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 シーマ現象という言葉を生んだほど人気が高かったのが日産自動車の初代シーマ。バブル経済による高額品志向を背景に1988年に発表され大ヒットした。

 発表当時の車名はセドリック(グロリア)シーマ。トヨタ・クラウンと双璧をなす、いわゆるセドグロの延長線上に企画された車種だった。

 車名は頂点を意味するスペイン語cima。その前にトヨタ・ソアラ(81年)や同マークII(84年)があったとはいえ、車幅の広い3ナンバー専用ボディーは大胆な決断だっただろう。

 ティーザーキャンペーンといって、すごい商品が出るといった“あおり”も効いて、発売と同時に飛ぶように売れた。500万円を超える高額車だったことを考えると驚くべきことだ。

 マーケティングというとトヨタ自動車の十八番というかんじもあるけれど、シーマでは明らかに市場の読みで先んじていた。トヨタがセルシオを発売するのは翌89年。さぞや悔しかったろうと想像する。

 「最上級」というだけあって、技術的内容も凝っていた。3リッターV型6気筒エンジンには最新の制御技術や燃焼技術を採用。上級車種には電子制御エアサスペンションまで搭載していた。

 車体はセドグロでおなじみ、日産の定番ともいえる4ドアハードトップ。全長4890ミリと堂々たるサイズを選択しただけあって豪華さはさらに際だっていた。

 80年代から90年代初頭にかけてはクルマ文化の爛熟(らんじゅく)期ともいえるほど、高性能化、大型化が速いテンポで進んだ。

 シーマは何から何まで新しいクルマではない。残すべきところは残し(あるいは強調し)、変えるべきところは大胆に変える。この手法が功を奏したといえる。

 インテリアもぶ厚いクッションのシートに、ウッド調パネル。70年代までは高級車というと米国車のコピーというかんじだったけれど、シーマでは日本独自の高級感が追求されていた。

 トヨタはシーマの登場直前に3ナンバー化(つまりボディーを大型化)したクラウンを発表したし、さきに触れたように89年にはセルシオで真っ向からの勝負となった。

 日産ではこのあとインフィニティQ45というさらに上をいく高級車を市場に送り出すのだけれど、これはまたべつの話。

 当時バブル経済まっただ中の日本では強烈な高級志向があらゆる分野で強く出ていた。それをメディアは「シーマ現象」と称したのである。

 なにはともあれ、当時は日産自動車がトヨタ自動車と市場シェアをめぐって熾烈(しれつ)な争いを繰り広げていた。それがとてもおもしろかったのは事実だ。シーマは黄金時代のひとつの象徴だったのだ。

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

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クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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