十手十色

飽きても負けても続ける「プロのゲーマー」という仕事 梅原大吾

  • 文・加藤千絵 写真・小林浩志
  • 2017年5月2日

キャラクターがきれいで大きく、よくしゃべる「ストリートファイター」シリーズは、それまでのゲームとはまったく違った。対戦型だったのも勝負事が好きだった梅原さんにぴたりとはまった

  • 小指と薬指でレバーをはさんでかぶせるのが梅原さんの持ち方で、「ウメハラ持ち」と呼ばれている

  • 大会によって状況が変わるため、コントローラーは自分のひざに置いて一定の高さに慣れるように練習している

  • ゲームの大会はアメリカが多く、年に10回以上は海外に遠征する。その移動日以外、ゲームをしない日はない

  • 2004年のエボリューションでジャスティン・ウォンを相手に演じた「背水の逆転劇」はゲームファンの間で語り継がれている一戦。この時すでに、格闘ゲームをやめようと決めていた

  • 1日10時間ゲームをしても、タコひとつないきれいな手。あまり力を入れてプレーしないので、疲れはないという

  • 海外での愛称は「ビースト」。海外のドキュメンタリーの取材を受けた際、知人が勝手に「あいつはビーストって呼ばれてる」と言ったのが放送されて広まったのは、今では笑い話だ

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 昼間は家でゲームをしながら技や戦術を磨き、夜は仕事帰りのサラリーマンたちとゲームセンターやオンライン、あるいはどこかにゲーム機を持ち寄って対戦し、実戦経験を積む。多い日だと10時間以上コントローラーを握り続けるが、梅原大吾さんにとってこれはれっきとした仕事。なぜなら彼の職業は格闘ゲームの「プロゲーマー」なのだから。

 プロゲーマーとは今のところ、国内外問わず賞金の出るゲーム大会に出場するほか、企業とスポンサー契約を結んでいる人のことをいう。梅原さんは28歳だった2009年、アメリカで開かれた世界最大級の格闘ゲーム大会「Evolution(EVO)」 で優勝して、企業から声がかかった。この瞬間、日本人で初のプロゲーマーになるのだが、それまでの道のりは「ゲームをやめなきゃないけないという気持ちと、やりたくてしょうがないという気持ちが常にぶつかり合っている状態」だったと言う。

17歳で早くも世界チャンピオンに

 11歳で初めて格闘ゲーム「ストリートファイター」に出合い、15歳で日本一に、17歳で早くも世界チャンピオンにまでのぼりつめた。それまでになかった対戦型のゲームは、勝負事が好きだった梅原さんを夢中にさせた。しかし勉強やスポーツに打ち込むことが美徳とされる中学、高校時代に周囲の目は冷たかった。さらに当時は「ゲームをするとバカになる」という根拠のない風潮も追い打ちをかけて、親や先生、友達から「将来どうするんだ」と心配された。自分でも「こんなことをやらなければ、俺の人生もっとまともだった」と思ったこともある。それでもゲームセンターに通わずにいられなかったのは、そこが自分の居場所だったから。ゲームをするにしろ遊ぶにしろ、気づけば心許せる友達は99%ゲームセンターにしかいなかった。

 しかし22歳の時ついに、梅原さんはゲームをやめる。「ゲームがうまくても何も起きないのが現実だと納得できたんです。ゲームとはいえ勝負の世界なので、これだけいい成績を残していれば世間の方から何かあるんじゃないかという期待もありました。でもそれは甘い考えなんだ、とあきらめがついたんですね」。一時はマージャンでプロを目指したこともあったが、両親の助言などもあり、最終的には介護の道へと進んだ。

 ゲームの世界に戻ってきたのは、ささいなきっかけだった。「久々にストリートファイターの新作が出たからやろう」という友人の誘いに、軽い気持ちで乗った。するとやはり、無類の強さを発揮する。梅原さんがゲームに復帰したらしい、といううわさはアメリカまで届き、その年のEVOに招待され、果たしてプロゲーマーの道は開かれた。

プロになってかなえた夢の数々

 ゲームの腕だけで食べていきたい、というずっと抱いていた夢。小学校の図書館で手に取ったギネスブックに自分も載りたい、と願っていた夢。漫画の主人公になってみたい、本を出してみたい、テレビや雑誌に出てみたい。最初は「妄想レベル」だった無邪気な夢は、プロになってすべて現実になった。その一方、趣味で遊んでいた頃にはなかったむずかしさもまた感じている、と梅原さんは話す。

 「プロになって毎日ゲームをすると、どうしても〝飽き〟と向き合わなくてはいけないんです。その時に新しい刺激を自分に生み出せるかが大事なんじゃないかな、と思ってます」。やる気を失いかける時、時間をかけて生み出した戦法が有効だったとしてもあえてそれを捨て、新たに別の可能性を探すことで「自分を楽しませる」ようにしている。たとえ飽きても、負け続けても、ゲームをやめないのがプロなのだから。プロ8年目になる今年、アメリカでは賞金総額25万ドルともいわれる新たな大会が始まった。梅原さんの挑戦を、世界の人が見守っている。

    ◇

うめはら・だいご 1981年生まれ。11歳で格闘ゲーム「ストリートファイター」に出合ってからゲームセンターに通いつめ、15歳で国内大会を、17歳で世界大会を制する。28歳で世界最大級の大会・EVOで優勝したのを機に米国の企業とプロ契約を結び、日本人初のプロゲーマーに。「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」など三つのギネス記録を持つ。「悩みどころと逃げどころ」「1日ひとつだけ、強くなる。世界一プロ・ゲーマーの勝ち続ける64の流儀」など著書も多数。

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PROFILE

加藤千絵(かとう・ちえ)ライター

東京外国語大学スペイン語学科卒業。約9年間、朝日新聞の夕刊や別刷りに執筆し、2012年以降は&Mの「ブラボー★NIPPON」をはじめウェブや雑誌、書籍などで活動する。週末はもっぱらサッカー観戦。趣味の俳句は今年で句歴10年を迎える(が上達にはほど遠く)。岐阜県出身。

小林浩志(こばやし・ひろし)写真家

株式会社新建築社で編集部、写真部を経て独立。建築写真、デザイン、出版を主とした株式会社スパイラル(http://photo-spiral.co.jp/)を設立。以降、黒川紀章をはじめ、日本を代表する建築家の作品写真や書籍のデザイン、編集など精力的に活動している。

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