十手十色

生きる喜びをくれた書道へ、恩返し 川尾朋子

  • 文・加藤千絵 写真・小林浩志
  • 2017年5月16日

活動の拠点は京都。住んで21年がたつ。多くの寺や歴史ある看板など、街のいたるところに先人たちの書が息づいているところが気に入っている

  • 濃淡やにじみ方など、作品を具体的にイメージしながら煤(すす)や膠(にかわ)の種類、配合を決めて墨を手作りする。手は全体的にほんのり墨色

  • 書く前は呼吸を整えて、瞑想(めいそう)。心と手が一体化したときに作品が生まれる

  • 瞑想して頭の中に浮かんだイメージを一気に紙に落とす

  • 紙の枠にとらわれないのが川尾さんのスタイル。文字がはみ出すことで作品に広がりが出て、見る人の想像力をふくらませる。墨汁の水は「お守り」の意味を込めて、八坂神社でくんだものを使っている

  • 大作に取り組む時にはかなりの体力を使うため、手が震えないよう筋力トレーニングをしている

  • 自らも文字の一部になる「人文字シリーズ」は、変わりゆく自分をとどめておくセルフポートレートでもある。「おばあちゃんになるまで続けられたら」と川尾さん

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 ほんのり墨色に染まった手を、汚いからどうしよう、と言って恥ずかしそうに差し出す。自分の作品に合った墨色をイメージしながら煤(すす)と膠(にかわ)をパン生地のようにこねて、墨を手作りするためにどうしても手が黒くなる。大きな作品に取り組む時は何十リットルという墨汁を作るために、2週間墨をすり続けることもある。

 「お米を研いだり髪を洗ったりすると、少しは落ちるんですけどね」。大きな瞳をくるりと輝かせて話す書家・川尾朋子さんの第一印象は、とても親しみやすく穏やかだ。しかし、いったん白い紙に向かうとそれまでの空気ががらりと変わり、緊張感が一気に高まる。3500年ともいわれる文字の歴史、そこに息づく王羲之(おう・ぎし)や空海ら書の先人たちへの尊敬、そして書家として生きる今への感謝。しばしの瞑想(めいそう)でそれらを身に付けてから繰り出す筆の1画には、意外なほどの気迫がこもる。まるで世界中の元気を集めた「元気玉」を放つ瞬間のように――。

自信のない自分を変えた書道

 元気玉とは言わないけれど、川尾さんにとって書とは生きるエネルギーそのものだ。アトピーで全身がただれ、眠る時は手足を縛らなければならず、服を着れば体にくっついてメリメリとはがさなければならなかった少女時代。小学6年生からは学校に行くこともかなわず、そんな時に心のよりどころになったのが6歳で始めた書道だった。「たぶん、すごく自信のない自分にちょっとでも生きる喜びをくれて、自分が存在しててもいいんだ、と思わせてくれたのが書道だったんです」

 筆と紙が擦れる感触が心地よく、書いたものがすぐに形になる書道には、最初から夢中になった。お手本を見ながら家で漢字を覚え、ほとんど通えなかった高校でも書道部には参加した。大学に進学するとそれまでの「習字」の枠を飛び出して外国語を書いたり、Tシャツをデザインしたりしていろんな遊びにもチャレンジした。卒業する頃には企業からの就職の内定を断って、「書で生きていこう」と決意していた。

 「書道をやめてしまったら自分じゃなくなるような気がしたんです。自分を支えてきてくれたものをここで封印していいのかって。趣味で続けるという考えはありませんでした。就職か書道かどっちかにしないといけない、ってその時は強く思っていたんです」。とは言うものの、周りの友人は就職したのに、自分はひたすら古典の臨書をする日々。「本当にこれでいいのかなとか、こんな貧乏生活をいつまで続けるんだろうとか、いろんな葛藤がありました」。30歳になるまで続いたこの生活を、川尾さんは今、「改めて書を学ぶためのとてもいい時間だった」と振り返る。先人の残したものをひたすら模写することでその筆法やリズム、息遣いまでも自分に取り込み、自分のフィルターを通してアウトプットすることが、書家としての軸を太く、太くしていったのだから。

書道のイメージを変えたい

 川尾さんの書は今では、NHKの大河ドラマ「八重の桜」のオープニング映像やJRグループの広告、お店やお酒の名前など、ふだんの生活の中で目にするほど広く親しまれている。作家としても、文字を書くときの空中での筆の動きを抽象的に表現した「呼応シリーズ」や、文字の一画を自分の身体で表現する「人文字シリーズ」などユニークな作品を発表。最近は、ふつう書では縦書きする文字をあえて横書きにしたり、英語を縦書きしたりする「二十一世紀連綿」の制作に取り組んでいる。この100年ほどで文化が一変し、Eメールなどで横書きが主流になっていることへの危機感や違和感を背景にした作品は、見る人の心にちょっとしたざわめきを誘う。

 新しいことに次々と挑み続けるのは、クラシックなイメージがある書道に対して「今を生きている人が書いている作品がどんなものなのか知ってほしい」からだ。「自分がやっていることで、何か書道に対して恩返しができたらいいなと思っています」。そう話す川尾さんのほほえみはやっぱり、どこまでも穏やかだった。

    ◇

かわお・ともこ 1977年生まれ。おてんばな性格を直すため、母親の勧めで6歳から書道を始める。25歳の時に書家の祥洲さんに師事して古典と向き合い、そこに自由な感性をプラスして、自らの作品だけでなく企業の広告など幅広い分野で活躍している。特認教授を務める四国大学や福祉施設などで書を教えており、生徒とともに筆をバトンして1画ずつ書いたり、モップを大きな筆に見立てたりするなど既存の枠にとらわれない新たな作品を制作。書の可能性を追求している。

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PROFILE

加藤千絵(かとう・ちえ)ライター

東京外国語大学スペイン語学科卒業。約9年間、朝日新聞の夕刊や別刷りに執筆し、2012年以降は&Mの「ブラボー★NIPPON」をはじめウェブや雑誌、書籍などで活動する。週末はもっぱらサッカー観戦。趣味の俳句は今年で句歴10年を迎える(が上達にはほど遠く)。岐阜県出身。

小林浩志(こばやし・ひろし)写真家

株式会社新建築社で編集部、写真部を経て独立。建築写真、デザイン、出版を主とした株式会社スパイラル(http://photo-spiral.co.jp/)を設立。以降、黒川紀章をはじめ、日本を代表する建築家の作品写真や書籍のデザイン、編集など精力的に活動している。

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