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街でもサバイバルする登山家・服部文祥の目に映る現代

  • 2017年6月1日

  

 「この鶏たちは、山で撃った獲物の雑肉を食べて卵に変えてくれるんですよ」。横浜市内の自宅に、妻と2男1女の家族5人で住むサバイバル登山家、服部文祥さん。4羽の鶏が闊歩(かっぽ)する敷地内では野菜も果樹も栽培しており、築48年の家の修復もDIYで行ってしまう。己の力のみで生き延びる山行を繰り返し、狩猟とサバイバル道を探究してきた服部さんは、その流儀を街での暮らしにも持ち込んでいる。ただ、驚くなかれ。服部さんは現役のサラリーマンなのだ。

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――新刊の『アーバンサバイバル入門』では、2009年から住んでいる横浜の自宅での暮らしをたっぷり紹介しています。鶏やミツバチを飼い、野菜や果樹の栽培に野草や木の実の採集、日曜大工から薪ストーブまで、毎日やることがたくさんですね。

 できるだけ自分の力で登りたいと思って登山を実践してきました。当たり前ですが、ヘリコプターで山頂まで行って「登山をした」と言う人はいない。登山って、なるべく自分の力で登って降りること、山頂までの往復を自分で企画して実行することを楽しむ行為です。サバイバル登山ではできるだけ長期間、独力で山を旅することを楽しみます。

 自力だから面白いというのは、実は生活でも一緒なんじゃないか。現代人として普通に生活していると、知らずにヘリコプターで山頂に行くことや、林道の終点まで車で行って山頂までチョコッと歩くだけということをやってしまう。それは快適で楽かもしれないけど、手応えも経験も残らない。街でもできるだけ自分の力で生きるほうが、不便だろうけどおもしろいに決まっている。山で培った哲学を少しずつ生活に降ろしてきただけです。

――「できるだけ自分でやる」を現代の生活において実践したらこの規模になった、と。

 もうひとつは、狩猟を続けてきたことが大きいですね。狩猟って、本来は非常に“ローカル”なもの。鹿を始めとして、山で獲物を獲るのは自分で食べるためですが、渓流魚のようには山旅の中で食いきれない。デカい獲物が手に入ったならば、街まで持って帰ってきて食べなければいけない――つまり、生活のなかに入れていかないといけないんです。そうした経験も、少しずつ自分の意識が街のほう、生活の場のほうに向いてきた理由かなと思います。

  

――その結果、生活がDIYに寄っていった。都内で山岳雑誌の編集者をやりながら、家で「アーバンサバイバル」を志すことは、大変ではないですか。

 都内の勤務にとられる時間は長いですね。登山も近年は一旦山に入ると長くなる傾向があります。正直、生活を自分の力だけですべてを管理できている訳ではありません。

 でも、お金ですぐ解決するのは嫌だから、雨どいが壊れても、自分で直すまでは放置しています。現代のシステムを頭から否定するつもりはないし、経済活動だとおもって人を雇うのは簡単だけど、少しぐらい雨漏りしても、隙間風が吹いてもいいじゃないか、って思っています。家族はそう思わないこともあるようだけど(笑)。もう諦めたのか、慣れたのか、それとも私がこういうことばかり言うから少し理解してくれるようになったのか……。あと、鶏の鳴き声なども近所迷惑にならないように注意していますが、ご近所の理解が得られる環境だったことは大きいですね。

――「アーバンサバイバル」ならではの難しさはありますか。

 環境が厳しい山のなかの方が、実は自由に伸び伸びと行動できている、という面はあります。私が自分の欲望を100%通そうと思っても、「物理的にこの荷物は運べない」とか、「雨で身動きがとれない」とか、環境が限界を設定してくる。どうせ欲望丸出しにしてもできることは限られてくるので、逆に伸び伸びやれています。

 それが街だと……。震災があって、原発事故があって、私たちは素人なりに電気がどこからどう送られてくるのか分かるようになったし、スーパーに並んでいる食糧がどういうプロセスをたどっているか、石油はこんなに一気に消費していいのか、といった問題を理解しているはず。それでも、そうした便利さから逃れることは難しい。生まれて、何かの死体を食って、今度は自分が死んで……ということを繰り返していまがあること考えると、たとえ街に暮らす人間であっても生態系のなかにいると考えて、命の正しい循環に加わる努力が必要なんじゃないかな。

  

――どこまで徹底するか、というラインの設定は難しいですよね。

 完全菜食主義者、いわゆるヴィーガンの人たちの気持ちはよく分かります。彼らは肉を食べたくないわけではない。肉というものを流通させている仕組みの暴力性に加担したくないのです。現代社会の嫌いな部分に参加しないと決めたとき、個人ができる唯一の方法は不買です。逆に何かを買うことは賛成し後押しすることです。私は、肉はおいしいと思うから食べます。コーラも好きだし、ポテトチップスも大好きです(笑)。現代社会すべてを拒絶したら街には住めなくなりますから、時には諦めもまじえながら、自分が気持ちいいと感じる地点でその都度、線引きをしていくしかないと思いますね。

――服部さんはそうした思想を実践はしても、他人に押し付けようとはしませんよね。

 「何か世の中に伝えたいことはありますか」とよく聞かれますが、ないんですよね。人の気持ちを変えようとか、世の中を良くしようという気持ちはありません。ただ、自分のやっていることが自分でおもしろいと思っていますし、本としてまとめた時に、価値のある表現・作品になっていたらうれしいなあという思いがあるだけです。

  

――そうした個人的な思いが、人の心に響いているのがまた興味深いです。ビジネスマンなどから、本の感想をもらうことはありますか。

 ふと立ち止まって、自分の人生を考える、とはよく言ってもらえますね。でも、まさに「アーバンサバイバル」ってそういう経験だと思うんですよ。たとえば、会社から半休をもらって、薪を拾ってきて自分で割る。そうして蓄えた薪をストーブで燃やして一冬を越すと、灯油を5~6缶使わずに済む。あるいはスーパーで買わずに自分で野菜をつくって、包丁を研ぎ、料理をする。お金を払えば簡単に解決できることを、自分の手でやると、すごく気持ちいい“体験”ができますよ。

――金銭的なトレードではない、自分を取り巻く世界との直接的なトレードが始まっていくわけですね。

 こうやって自分の力で物事を解決していくと、「働いてお金を稼ぐってどういうことなのだろうか」と考えますよね。あんまり突き詰めるとケチくさくなっちゃいますし(笑)、それで仕事を辞めるとかそういう話でもなく、問いを深めていくことによって、「いったい人間の存在とは何だろう」「現代ってどういう時代なのだろう」と考えていくことができる。考えないよりは面白いんじゃないかなあと、私は思っています。

  

(文・ライター 宮田文久 写真・田中一人)

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服部文祥
登山家、作家、山岳雑誌「岳人」編集者。1969年横浜生まれ。東京都立大学フランス文学科卒(ワンダーフォーゲル部)。96年に世界第二位の高峰K2(8611m)登頂。99年から長期山行に装備と食料を極力持ち込まず、食料を現地調達する「サバイバル登山」を始める。2016年に第5回「梅棹忠夫・山と探検文学賞」受賞。『増補 サバイバル! 人はズルなしで生きられるのか』『サバイバル登山入門』『獲物山』など著書多数。

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