十手十色

天皇陛下の心臓手術を執刀した外科医 天野篤

  • 文・加藤千絵 写真・小林浩志
  • 2017年6月27日

外科医に求められるのは手先の器用さよりゲームのコントローラーを動かすような器用さ、機転の利かせ方だという

  • 仕事に対しては「王道でいたい」。相撲でいうならがっぷり四つ、サッカーでいうなら両手を広げて正面からPKに挑むキーパーのように、まっすぐ患者と向き合う

  • 手術はチームワーク。「一緒に働いている人とのかみ合わせがいいと居心地がいいし、仕事がものすごく楽になります」

  • 日によっては1日3件の手術をこなし、院長室のソファで眠って週末だけ家に帰る多忙な生活を今も続けている

  • 天皇陛下の手術以降「作られた自分」を評価されているようで違和感があった、と天野さん。「でも、それでいろんなことが円滑に進めばいいのかもしれないと思うようになりました」

  • 「パチプロだったから右手の親指と中指が太い」と笑う。長く一定の姿勢でいられることが手術にも生きているという

  • 大病院の院長という重責も「会議と、怒られる役と謝る役が増えただけであまり変わらないです」

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 精密なマシンと化した手は、いったん手術が始まってしまえばたとえ指先のことに集中しなくても、テンポよく動き出す。外科医になって10年、手がけた手術が3000例を超えた頃からそんな感覚になった。だからその手術もいつも通り、「これで勝負するんだ」と事前に考えた手順でこなせばよかった。ただし、万が一その勝負に負けるようなことがあれば、外科医としての自分の存在は世の中から消えるかもしれない。そんな覚悟はあった。

 あれからちょうど5年がたつ。今年の2月18日の朝、天野篤さんはそわそわしながらコンビニで新聞を買い込み、ページをめくった。「天皇陛下の心臓手術から5年目」の文字を探したが、そんな記事はどこにもない。世間はもうすっかり手術のことを忘れていた。「僕にとってそれはものすごい勲章ですよ。誰も関心をもたないくらい心臓手術がうまくいっているということですし、陛下もお元気なんですから」。それが一番の励みです、とほほ笑む。

なぜ自分に白羽の矢が立ったのか

 天皇陛下の心臓手術という、これ以上なくプレッシャーのかかる手術の執刀医として、なぜ、天野さんに白羽の矢が立ったのか。その理由を本人に問うと「当代一の外科医だからでしょ」と言う。しかしその明快な答えとは裏腹に、頂上を極めるまでの道のりは決して順調ではなかった。高校を卒業して3年間は浪人生活を送り、その間ほとんど「パチプロ」になっていたこともある。大学の医学部を出た後も医局に残らず病院から病院へとしぶとく渡り歩いて、いわゆる「エリートコース」からは完全に外れていた。それでも手術する機会を貪欲(どんよく)に求めることで、ほかの誰より腕を磨いた。

 年間に400とも500ともいう手術を積み上げ、これまで手がけた数は7500例を超える。そこには当然、「心臓外科医という鎧をまとっているからこそ」若い自分の誠意と説明だけで命を預けてくれる患者たちとの出会いがあった。中には死亡率の高い手術に臨み、亡くなった人もいる。ほかでもない自分の父親も、自ら手術に立ち会う中で命を落とした。「手術は戦争と同じで、戦って負けたら死ぬんです。後悔しないようにこっちも覚悟して、途中で手抜きをしたり、切り込み過ぎて過度に負担をかけたりすることはしない。それでも戦友を失ってしまったら、ものすごく自分を責めます。そしてその魂や業のようなものを背負って、自分の一生が終わるまで戦い続けるしかないんです」。それができないなら医者になってはいけない、とさえ思っている。

必要とされる限り手術を続ける

 昨春、順天堂医院の院長に就任したのを機に、その戦いからフェードアウトしようと考えたこともある。夏に天皇陛下が「お言葉」を発表したことも、自分に対する暗示に思えた。しかし脳神経外科医の福島孝徳さんと出会い、歌手のポール・マッカートニーさんのコンサートに行って考えが変わる。ともに今年で75歳を迎える2人だが、福島さんは日米両国を行ったり来たりしながら今も年間500~600の手術をこなし、ポールさんはライブ中に水も飲まず、しっかりした声で30曲以上を歌い切った。「プロ中のプロですよ。自分はある山の頂上に登ったつもりでいたけど、その頂上にあった雲の向こうにもうひとつ頂上がある、っていう感覚になった。自分も目指してみたいな、と」

 目が見えず、手も動かなくなったら患者に迷惑がかかるから外科医をやめる。でも今は自分が必要とされる限り、メスを握り続ける。手術着に袖を通し、ヘッドランプと拡大鏡を着けると自分が少し、スーパーヒーローになった気がする。「ええかっこしいなんですね。かっこつけたがりなんです」。そう軽やかに笑い、天野さんは今日も、手術室という戦場へ向かう。

    ◇

あまの・あつし 1955年生まれ。77年、3浪の末に日本大学医学部に入学。卒業後は日大の医局には入らず、当時の関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)で臨床研修医となる。その後、亀田総合病院、埼玉県立小児医療センター、新東京病院、昭和大学横浜市北部病院循環器センターと渡り歩き、2002年に順天堂大学大学院医学研究科心臓血管外科学教授に就任。12年2月18日には東大病院で天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀し、一躍注目を浴びる。現在は順天堂大学医学部附属順天堂医院院長、兼同大医学部心臓血管外科学講座教授。心臓を動かしたまま行う「オフポンプ手術」の第一人者として知られる。主な著書に「一途一心、命をつなぐ」「熱く生きる」など。

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PROFILE

加藤千絵(かとう・ちえ)ライター

東京外国語大学スペイン語学科卒業。約9年間、朝日新聞の夕刊や別刷りに執筆し、2012年以降は&Mの「ブラボー★NIPPON」をはじめウェブや雑誌、書籍などで活動する。週末はもっぱらサッカー観戦。趣味の俳句は今年で句歴10年を迎える(が上達にはほど遠く)。岐阜県出身。

小林浩志(こばやし・ひろし)写真家

株式会社新建築社で編集部、写真部を経て独立。建築写真、デザイン、出版を主とした株式会社スパイラル(http://photo-spiral.co.jp/)を設立。以降、黒川紀章をはじめ、日本を代表する建築家の作品写真や書籍のデザイン、編集など精力的に活動している。

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