小川フミオのモーターカー

世界に冠たる高級サルーンを目指した「インフィニティQ45」

  • 世界の名車<第173回>
  • 2017年7月31日

全長5090ミリと堂々としたたたずまいの「セレクションパッケージ」モデル(写真提供=日産自動車)

  • ホイールベースは2880ミリ(当時ではがんばった)でキャビンの大きさがややアンバランス(写真提供=日産自動車)

  • 機能主義的なダッシュボードの造形は全体の高級イメージに合わなかった(写真提供=日産自動車)

  • 280馬力で40.8kgmの4494ccV8DOHCエンジンが4段ATを介して後輪を駆動(写真提供=日産自動車)

  • 油圧アクティブサスペンションを備えていた「セレクションパッケージ」のフロントシート(写真提供=日産自動車)

  • 座面中央部分にややたるみをもたせて乗員のホールド性をよくするのは正しいセオリー(写真提供=日産自動車)

  • インフィニティのマークをあしらった七宝焼エンブレムを作ったが市場は高級感不足と感じたようだ(写真提供=日産自動車)

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 1980年代の後半から90年代前半にかけて、日産自動車は日本の自動車史に残るクルマを送り出した。インフィニティQ45はその1台だ。凝りに凝ったメカニズムと斬新なスタイリング。いまでも新車で通用するのではと思わせるほどだ。

 Q45が発表されたのは89年。可変バルブタイミングを採用した4.5リッターV8エンジンに、前後ともマルチリンクのサスペンションシステム。さらに車種によっては油圧アクティブサスペンションまで搭載していた。

 Q45誕生は、世界に冠たる高級サルーンを作るという日本メーカーが抱いていた思いが具現化したものだ。70年代にようやく世界の自動車先進国と肩を並べるクルマの開発にこぎつけた日本のメーカーが、80年代には世界一を狙ったのだから、当時は自動車の進化を早送りで見ているような気分だった。

 エポックメイキングだったのは、日産でなくインフィニティというブランドを新たに興し、その看板車種として発売されたことだ。同時期にトヨタ自動車はレクサス、本田技研はアキュラと、日本を代表する三つのメーカーが米国で高級車専用ブランドを作ったときだった(いまでも続いている)。

 日産自動車は当時「技術の日産」をスローガンに掲げていただけあり、最先端技術イコール最高級ととらえていたのだろう。同社が進めていた「901運動」(90年までに世界一のハンドリング性能をもつことを目標とした)もあり、先に触れた新エンジンや新サスペンションなどの採用を実現したのだ。

 エンジン排気量は当時さかんにライバルとして比較されたセルシオ(米国ではレクサスLS400)より大きかったしパワフルだった。油圧アクティブサスペンションはまっすぐ走っているときは快適であるいっぽう、カーブを曲がるときはスポーツカーのように車体の傾きを抑える働きをする画期的なものだった。

 ところがセールスはかんばしくなかった。「源流主義」といって静粛性や車両のトータルバランスを第一に考えて部品一つひとつを精査して作られたセルシオに及ばないと評価されたことがひとつ。

 グリルレスといってヘッドランプのあいだに開口部をもたないスタイルへの反発が市場にあったことも、販売不振の理由にあげられた。600万円超というのも日産自動車のマーケットを無視した勇み足だとされている。

 でも技術を前面に出したことが悪いわけではない。実証的にみてもドイツの高級車はつねに新技術をうりものにして成功している。日産自動車の考えかたは、大きなトレンドのなかではけっして間違っていなかったと思う。

 85年の東京モーターショーでお披露目した画期的なスタイルのCUE-Xのモチーフを取り込んだボディーデザインや、グリルレスなフロントマスクを含めて今でも古くさくみえない。

 むずかしいことだろうけれど、自信をもってこの路線を続けていれば、Q45の存在感はだんだん増していったように思うが、どうだろう? 信念こそいいクルマづくりに重要なものではないだろうか。

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

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クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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