十手十色

サーファーが究める江戸小紋の美 廣瀬雄一

  • 文・加藤千絵 写真・小林浩志
  • 2017年8月8日

「日本人なら1枚は江戸小紋の着物がほしいね」と言われるまでにするのが廣瀬さんの目標だ

 長さ7メートルのモミの一枚板に置かれた白い反物に、細かな模様が彫られた伊勢型紙をのせて、その上からへらで糊(のり)をすうっと置いていく。江戸小紋は江戸時代、武士の裃(かみしも)の模様に使われた型染めだ。遠目から見ると無地にも見えるような細かい柄が特徴で、派手なものが禁止された庶民の間でも、ひそかなファッションとして愛された。東京の新宿区にある廣瀬染工場は、100年近くにわたりその技を受け継いでいる。

 型紙が乾燥して縮まないよう、ときどき水で洗って湿らせながら、模様のつなぎ目がずれないように慎重に布に当てて、また糊を置く。クーラーのない工場で吹き出る汗をものともせず、繰り返し作業するのは、若き4代目・廣瀬雄一さんだ。へらを握る指先を見ると、布を染める時に使う染料が青くしみ込んでいる。そんな職人らしい手が「最初は嫌だった」という。

型紙の上からへらで糊を置いていく「型付け」と呼ばれる作業。生地全体を染めた後にこの糊を洗い流すと、白い模様として浮かび上がる

「星」と呼ばれる小さな目印を頼りに型紙をのせ、つなぎ目が分からないように糊づけしていく

サーファーから職人の道へ

 大学卒業後、2002年に家業である江戸小紋の道に入ったが、それまではウィンドサーフィンのシドニー五輪強化指定選手だった。二十代後半がピークとされる競技で、年齢的に08年の北京大会までは目指したいと思っていた。その夢をかなえてからでも職人はできる。しかし祖父や父からかけられたのは「大学卒業がタイムリミット。ここでやらないと職人としては使えない」という容赦のない言葉だった。「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」のはざまで、心は荒れた。

型付けの糊も、生地を染める糊も自前で作る。素手で作業するためどうしても指先に染料が入り込む

 「やらなきゃいけないこと」を選んだのは、「おじいさんがやってきたことを孫の僕が継ぐことで喜んでくれるから、っていう純粋な思いかもしれない」と話す。よみがえるのは幼い頃、祖父や父、たくさんいた職人たちが立ち働く工場を好奇心からのぞいた時に伝わってきた空気感。「伝統って心をつないでいくものなんだろうなって思うんです。その心っていうのは工場で大事にされてきた何か。技と同時に伝えていきたいものがたぶんそこにあって、無意識のうちに体に入っていたのかなって思っています」

築87年という板場。空気が乾燥すると型紙が縮んでしまうため、夏場でもクーラーがない。天井にあるのは今までの職人が使ってきた長板。みな生涯使う「マイ板」を持っている

本質的な美は原点から生まれる

 息の詰まるような糊付けの作業を終えると、サーフボードのように長板をひょいと肩にのせて担ぎ出し、布を天日干しする。それが乾いたら染料をまぜた糊を全体に塗り付けて蒸し、色が定着したところで布を洗えば、型を使って糊付けしたところが白く浮かび上がって江戸小紋ができる。伝統的な着物はもちろん、海外を含めてより多くの人に知ってもらおうと12年にブランドを立ち上げ、ストールやネクタイも染める。どくろやサメなど新しい小紋を自らデザインすることもある。いずれ海外のブランドとコラボレーションしてオートクチュールを作り、江戸小紋の可能性を広げていくことが今の廣瀬さんの夢だ。

型付けした糊を乾かすために、長板ごと外へ運ぶ。これが一人で持ち上がらないとダメなんだとか

工場に保管されている型紙は4000種類を超える。「一緒に作り上げてきた職人の志を感じる」と廣瀬さん

 その一方で、型紙の制作現場などに足を運び、素材を吟味して「原点に戻る」ことも忘れない。「型紙は3枚の美濃和紙を柿渋で貼り合わせているんですが、その柿渋も丈夫な紙にするためにはこの柿じゃなきゃダメとか、その中でも斜面に立っている木がいい、とかあるんですよね。型紙が安定していると、糊付けするときにムラがでないんです。糊もタイ産の安いもち米じゃなくて、国産のもので作ると粘りすぎずキレのいい糊になる。日本の良質な材料を突き詰めることが、いい小紋をつくることにつながっていくんです」

 小紋柄そのものはプリントで大量生産することもできる。でも素朴でこびない、本質的な美しさは原点からしか生まれない。「すごくマニアな世界ですけど」と笑いつつ、熱く語る口調には職人のプライドがにじむ。きっとこの人はもう、爪の先まで職人にそまっている。「今は気にならなくなった」という色づいた手が、その証しのように思えた。

    ◇

ひろせ・ゆういち 1978年生まれ。10歳の頃に遊びで始めたウィンドサーフィンにのめり込み、2000年のシドニー五輪の強化指定選手になるが、大学卒業後の02年に家業である江戸小紋の職人の道に進む。1919年創業の「廣瀬染工場」の4代目。昔ながらの着物地を染める一方、新たな模様をデザインしたり、ストールのブランド「comment?(コモン)」を立ち上げたりして、海外も含め幅広くその魅力を伝えている。詳細はホームページ(http://www.komonhirose.co.jp/)で。

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PROFILE

加藤千絵(かとう・ちえ)ライター

東京外国語大学スペイン語学科卒業。約9年間、朝日新聞の夕刊や別刷りに執筆し、2012年以降は&Mの「ブラボー★NIPPON」をはじめウェブや雑誌、書籍などで活動する。週末はもっぱらサッカー観戦。趣味の俳句は今年で句歴10年を迎える(が上達にはほど遠く)。岐阜県出身。

小林浩志(こばやし・ひろし)写真家

株式会社新建築社で編集部、写真部を経て独立。建築写真、デザイン、出版を主とした株式会社スパイラル(http://photo-spiral.co.jp/)を設立。以降、黒川紀章をはじめ、日本を代表する建築家の作品写真や書籍のデザイン、編集など精力的に活動している。

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