小川フミオのモーターカー

英国人のプライドをくすぐる「アストンマーティンDB4GT」

  • 世界の名車<第174回>
  • 2017年8月7日

最高速度は時速283キロと資料にある(写真提供=Aston Martin Lagonda)

  • DB4(58年)をベースにホイールベースを127ミリ切り詰め高性能エンジンを搭載(写真提供=Aston Martin Lagonda)

  • ボンネット上の大きなエアスクープのデザインはエポックメイキングだった(写真提供=Aston Martin Lagonda)

  • さまざまなモデルが並ぶ英国の工場の風景(写真提供=Aston Martin Lagonda)

  • DB4GTのボディーはカロッツェリア・ツーリングが独自のスーパーレジェーラという手法で軽量に仕上げていた(写真提供=Aston Martin Lagonda)

  • 前列ゼッケン6番がDB3、その右後ろにDB4GT(写真提供=Aston Martin Lagonda)

  • ボディーは鋼管を組んだものにアルミニウムをかぶせ職人が仕上げた(写真提供=Aston Martin Lagonda)

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 1960年代、英国のロックスターは売れるとアストンマーティンを購入した。ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ドノバンなどがすぐに思いつく。

 当時、ジャガーのスポーツカーの倍ぐらいの価格だったが、レースではフェラーリと競り合うほど高性能で、またとない成功の証しだったのだろう。DB4GTはそんなアストンマーティンを代表する1台だ。

 DB4GTはベースになったDB4サルーンより1年遅れて59年に発売された。開発の目的はレースで勝つこと。単純明快だ。DB4のホイールベースを切り詰め、車体は軽量化し、3670ccの直列6気筒エンジンを高性能化した。

 発表されたのは秋だったが、その年の春に初めて参戦したレースで優勝したことで大きな話題を呼んだ。ル・マン24時間レースでもプライベートチームが走らせたが初期トラブルが多く残念ながらリタイア。それでも300馬力を超えるパワーとすぐれた操縦性により、フェラーリ250GTなどの手ごわいライバルとなった。

 当時はレースが(あまりいい言葉ではないけれど)国威発揚の場だった。車体の色分けをみれば参加したチームの国籍がわかった時代もある。ブリティッシュレーシンググリーン色のアストンマーティンが勝てば英国人はおおいにプライドをくすぐられたのだった。

 アストンマーティンが登場する映画としてヒッチコックの「鳥」(63年)が思いつく。ティッピ・へドレンが乗るDB2/4ドロップヘッドクーペ(53年発売)の雰囲気はすてきだったが、車体のたてつけが悪そうな見かけが印象的だった。実際50年発売のDB2ではル・マンのクラス優勝はあったもののレースではかばかしい成績はあげられなかった。

 その経験を生かして51年にはレーシングスポーツカー、DB3を発表。みるみるうちに成績を上げ、スポーツカーメーカーとして急速な進歩を遂げていく。DB4GTはそんなのぼり調子にあるアストンマーティンが世に問うた1台だ。

 これをベースにカロッツェリア・ザガートのカーデザイナーだったエルコーレ・スパダがスタイリングを手がけた軽量化ボディーのDB4GTザガートが作られた。そしてともに自動車史に残る存在となったのだ。

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

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クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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