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佐々木俊尚さんがあの炎上騒動から考える「現代の生きる力」

  • 2017年8月31日

  

 今年の6月、ネットを中心に批判が集まり“炎上”した、内閣府のキャンペーン「おとう飯」。記憶に新しい人も多いだろう。

 男性の家事参加を推進するため、多少見た目が悪くてもおいしい料理を「おとう飯」と名づけて、気軽に参加してもらおう――これがキャンペーンの狙い。しかし、「そもそも料理をする時間がないのだから働き方改革が先じゃないか」「男性は適当でよくて、女性は見た目も気にしてきちんと料理しなきゃいけないのか」などの様々な批判が寄せられた。

 そこで、現代を鋭く分析する一方で、料理本も執筆しているフリージャーナリストの佐々木俊尚さんに、改めて「おとう飯」騒動をどう考えているかを聞いた。あぶり出されたキーワードは、性別も職業も越えて、現代において見落とされがちな「生きる力」だ。

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家事を含む「生きる力」を鍛える

――今年6月、内閣府が打ち出したキャンペーン「おとう飯」が、ネット上で“炎上”しました。佐々木さんはどうご覧になっていましたか。

 まず端的に、そもそも性別上の役割分担という枠組みから逃れられていないのが問題だったのではないでしょうか。「男だから」、あるいは「男でも」料理をしましょう、ではなくて、そもそも生きている人間として、掃除や料理はごく基礎的な生活力の一部です。特に最近、僕は現代においては「生きる力」が大切だと思っています。

  

――「生きる力」ですか?

 かつては、職種に限らず、会社員は刀折れ矢尽きるまで働いて、あとは会社に面倒を見てもらいながら生きていくことが一般的でした。その時代は、料理も掃除もしなくてよかったかもしれない。

 しかし、それでは体はボロボロになってしまいます。僕も、新聞社から出版社勤務を経て2003年にフリーになった後で、会社員時代に猛烈に働いた後遺症からでしょうか、脳腫瘍(しゅよう)や潰瘍性(かいようせい)大腸炎を患い、心臓の手術もしました。僕自身はその結果、食や料理に目覚めましたが、そもそも社会全体の流れとして、「がむしゃらに働いていればそれでいい」という時代はとっくに終わっています。

 会社に守られるのではなく、世界と直接向き合うために必要な力が「生きる力」です。その基礎として、また、“長続き”という観点からも家事をする能力はかなり重要です。もはや、60歳で定年を迎えたら、あとは余生として生きられた世の中ではありません。70歳まで、いや80歳を超えても働かなければいけない。人生を持続させるために、きちんとした生活は非常に重要になりました。

 もちろん、働き方改革とか、ブラック企業を無くすといった行政の施策は大事ですし、一貫して進められるべきです。ただ、それと個人の自己防衛の話は、切り分けて考えたほうがいいのではないでしょうか。

 基本的には妻が家事をしてくれて、その上で夫が妻のために料理をしてあげる、という構造が見え隠れしているのが、「おとう飯」キャンペーンがよくなかった点のひとつですね。

 妻がいようがいまいが、家事はできるほうがいい。最近、一人暮らしは経済的に厳しいので、親と同居している若い人が多いですが、料理も洗濯も親に任せっぱなしという例は少なくないはずです。しかし、その段階から家事を含めた「生きる力」を鍛えておくべきです。他人任せにしているから、仮に結婚しても、パートナーにまかせっきりになるのではないでしょうか。

家庭料理の脱“神話”を

  

――一人暮らしでも、誰かと同居していても、「生きる力」は等しく必要ということですね。

 結婚ももはや、人生の“ゴール”になる時代ではありませんからね。逆にいうと、だからこそシングルの人でも、家事はできたほうがいい。

 ただ、共同生活には、“分業”ができるというメリットがありますよね。僕は、誰かと住む際は、基本的に「できる人間がやる」というのが一番よいと思っています。たとえばシェアハウスならば、料理が得意な人もいれば掃除が得意な人もいて、洗濯が得意な人もいる。そしてそれぞれが役割分担で家事を行う――そこに性差はないわけですよね。それは、家庭でも同じではないでしょうか。

 我が家の場合、僕は料理も得意だし、ごみを出したり、日世品を補充したりといった、日常のこまごました、最近は“名もなき家事”とも呼ばれているような作業は、自分に向いているのでやっています。洗濯はあまり好きじゃないので、洗濯も、干したものをたたむのも、それが好きな妻がやっていますね。掃除はふたりともあまり得意ではないので、場合によっては業者に頼みますし、最近はロボットがやってくれますから。

――なるほど。家庭を含むどんな共同体でも、そうした“分業”は可能だし、家事が不得意でも、いろんな力を借りられる時代になったわけですね。

 それなのに、僕はいまだに、「料理は、基本的に手間がかかるもので、その手の込んだプロセスを踏襲してこそ料理である」という“神話”が根強いと思っています。また、「男性がキッチンに立ったら、スパイスに凝ったカレーをつくらなきゃ」というようなイメージはないでしょうか?(笑)

 男女問わず、今きちんと料理している人は、必ずしも手の込んだ“神話”的な家庭料理ではなくて、例えば一汁一菜のような、地味で質素だけれどもおいしい料理を求め始めている。社会全体として、そうした脱“神話”に向かってほしいです。

時間がなくても実現できる豊かさ

  

――佐々木さんの著書『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』などでは、まさにそうした脱“神話”的な料理を志向されていますよね。あらかじめホウレン草を水に“生け花”のように挿してからあっさりゆでる「おひたし」のレシピは、簡単で本当においしかったです。

 そうした“豊かさ”は、時間がなくても実現できます。献立を決めてから冷蔵庫を開けて、あれがない、これがないと買いに走ると、これだけで時間がかかってしまう。そうではなく、あらかじめデスクワークのように頭のなかで料理を組み立て、構築していくのも料理です。たとえば僕は毎週月曜日、TOKYO FMで19時から19時52分まで「TIME LINE」という番組をやっています。オンエアが終わるとすぐスタジオを離れ、都内の家に着くのが、だいたい8時15分頃。そこからダラダラ料理していると食べるのが9時を過ぎてしまって不健康なので、8時35分くらいには食べたい(笑)。

――時間との勝負ですね(笑)。

 ラジオ局から帰る道中、あるいは出かける前に、その20分間で何ができるか、頭のなかで料理を組み立てておきます。冷蔵庫には豆腐と肉と野菜と、あとコレとコレがあって……ならばこの料理がつくれる、と。足りないものはラジオに行く前に買っておく。そうすれば、家に到着したときには手順まですべて頭のなかで構築されているので、一気に仕上げるだけです。

 このやり方は、実は普段の仕事のやり方とも共通しています。月に1回、若い人も呼んで料理をつくる食事会を開いていますが、慣れないうちは、沸騰した鍋のふたをとってからジャガイモの皮をむき始める人もいる(笑)。家事全般は、やっぱり「生きる力」のベースになるはずですし、こうした捉え方をすることで、料理がもつ“意味”も変わって見えてくるはずです。

(文・ライター 宮田文久、写真・近藤俊哉)

  

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佐々木俊尚
フリージャーナリスト。1961年、兵庫県生まれ。毎日新聞社で12年あまり事件記者を務めた後、月刊アスキー編集部に移籍。2003年、独立してフリージャーナリストに。ITと社会の相互作用と変容、ネットとリアル社会の衝突と融合を主なテーマとして執筆・講演活動を展開してきた。『電子書籍の衝撃——本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』で2010年度大川出版賞を受賞。他の著書に、『そして、暮らしは共同体になる。』『「当事者」の時代』『レイヤー化する世界』『自分でつくるセーフティネット』などがある。

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