小川フミオのモーターカー

色気はないが先駆的、日産「初代プレーリー」

  • 世界の名車<第181回>
  • 2017年10月2日

全長は4090ミリとコンパクト、全幅も1655ミリに抑えられており、全高のみ1600ミリとしていたパッケージは使い勝手がよかった(写真提供=日産自動車)

  • 後席用のドアは左右ともにスライド式と画期的なコンセプト(写真提供=日産自動車)

  • これは前席3人がけの仕様で3段オートマチック変速機はコラムシフトだった(写真提供=日産自動車)

  • 8人乗り仕様のサードシートにも空間的余裕はけっこうあった(写真提供=日産自動車)

  • リアゲートは下から開くので写真の商用タイプも実用的に使えた(写真提供=日産自動車)

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 時代に先駆けたクルマの一つだったと思うのが日産自動車の初代プレーリーだ。おもしろみに欠けるかたちだけれど、1982年に発表されたときは“画期的なモデル”だった。

 やたら角張ったキャビンを持ったスタイルは色気にとぼしい。けれど、ステーションワゴンでもなくバンでもない。車内はシートを3列並べ、8人まで乗れてしまう。理知的に考えると喝采ものだった。

 つまり初代プレーリーはハートというより頭に訴えかけるクルマだったといえる。後席用ドアはスライド式で、フロントドアの後ろのいわゆるBピラー(窓柱)をなくし開放感を追求したのも画期的だった。開発者はよくやったと感心したものだ。

 この当時“これからはマルチパーパスビークルというコンセプトが増える”と言われていた。実際に83年にはダッジがミニバンの先駆といえるキャラバンを発表して大ヒット。欧州では84年にルノーがエスパスを発売した。プレーリーはどちらよりも早かった。

 ただしプレーリーにも欠点はあった。初期の1.8リッターエンジンはとくに力不足。それに大きなキャビンだがピラーが少ないため剛性感も足りなかった。ひとことでいうと、走らせるとイマイチなクルマだったのである。

 それでも日産自動車はいろいろ手を加えながら88年までこのクルマを作り続けた。途中で4WDシステムを組み込んだRV(リクリエーショナルビークル)的なモデルも追加された。開発側も基本コンセプトに自信を持っていたのだろう。

 88年にはスラントノーズ(フロントグリルの下が前方に傾斜)が目立つ2代目にフルモデルチェンジした。Bピラーをつけたことで剛性感が大幅に増すとともに、上質感もぐんと向上していた。が、いま振り返ると、初代の理想主義的なありかたは、武骨ともいえるが純粋とみることも出来て好ましい。

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

写真

クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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