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「第二の思春期」の社会人が読むべき翻訳小説は 藤井光さんに聞く

  • 2017年10月4日

  

 いま、翻訳小説が面白い、と言われて、「そうそう!」と思う人は多くはないだろう。海外小説といえば、何かの折に読んでみたが結局よく分からなかった……そんな人も少なくないだろう(筆者もそのひとりだ)。

 しかし、現代の米文学作品をはじめ、多くの翻訳を手がける藤井光さんは、「僕みたいな30代後半の人間に、現代の翻訳小説は大事なことを伝えてくれます」と語る。藤井さんは、翻訳と同時に自ら『ターミナルから荒れ地へ 「アメリカ」なき時代のアメリカ文学』(2015年、中央公論新社)というエッセイ集も手がけ、同志社大学英文学科准教授として教壇に立っている。

 現代の海外小説の面白さはどこにあるのだろうか、私たちの言葉でそれらを届けてくれる藤井さんに、その魅力や翻訳する際に気をつけていることを聞いた。

       ◇

――エッセイ集からは、学生さんたちと小説を読みながら、世界について考えている様子が伝わってきました。授業ではどのように教えているのでしょうか。

 僕は、学生たちと一緒に、僕自身の感覚や知識からはみ出た、いろんな発見をしたいと考えています。授業では作品を読むことが基本ですが、どの学期も、物語に応答して何かを「つくる」ということをやってもらっています。これはマヌエル・ゴンザレスの「操縦士、副操縦士、作家」という短編を読んだ学生がつくってきたポスターです。

――『ミニチュアの妻』(2015年、白水社)所収の短編ですね。ハイジャックされた飛行機が登場しますが、なぜか墜落することもなく20年の月日をダラス上空で飛び続けており、ダラダラした日常が描かれている。このポスターはすごいですね。

「三ツ星のおもてなし! 孤独! 退屈! 理不尽!」

 「マヌエル・トラベルグループ」のパッケージ旅行、ということのようですね(笑)。空き瓶の底に成形したスポンジでビル群を仕込み、水を入れるとスポンジの飛行機が浮かぶ、という作品を持ってきてくれた学生もいます。こうした学生の「すごいアイデアを思いついた!」という感触と、作家が不思議な世界を描くときの発想は、かなり近いと思います。かつては海外小説というと、大作家が書斎のなかで何かすごいことを書いて僕たちに伝えてくれる、というイメージでした。

 一方、いま世界で話題の現代文学は、僕たちの隣の部屋にいるようなお兄さん、お姉さんがふと思いついて、抜群の言語センスがあったので生まれた、という作品が大半です。

――藤井さんは、新世代の作品であったり、メキシコからの移住作家など英語が母語ではない作家の作品群であったりと、幅広い小説を訳されていますよね。どういった作品を選んでいるのでしょうか。

 大きな軸としてあるのは、ほとんどが戦争の話ですね。題材には内戦も、ベトナム戦争も、第二次大戦もあります。その延長線上に僕らのいまの日常がある。戦争を扱うそうした小説は、人間の普遍的なもろさや危うさを描き出していると感じています。

 戦争が起きていない社会に住む人であっても、例えば家を買う時や子どもの学校を選ぶ時でも、災害から犯罪まで何らかのリスクを想定しながら生きていると思います。こうした日常からふと、一歩敷居をまたいだら、地続きに戦争の世界がある。戦争や軍事行動は今ではリスク管理の発想で語られますから。そうした感触が描かれた作品を、僕は日本語で紹介している気がします。

――翻訳なさったセス・フリード『大いなる不満』(2014年、新潮社)に収められた「フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺」は、悲惨な死が毎年勃発するのに恒例のピクニックをやめられない街の人々が描かれていて、非現実的ですが、どこか身に覚えがある世界を書いています。

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 アメリカ文学の翻訳をしていますが、決してアメリカの話と片づけることはできません。むしろ、作家自身もアメリカのことをあまり意識せずに、最初から「現代社会の人たち」という枠を設定して描いているような節がある。作品を読むと、身近に迫ってくる問題ばかりだなあ、と感じています。

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