ノジュール

<第54回>古地図で歩く、維新の町・萩

  • 文 田村知子(『ノジュール』編集長)
  • 2017年11月30日

「萩城下町絵図」安政元年~2年(1854~55)頃

  • 土塀に囲まれた武家屋敷跡が続く堀内地区

  • 高杉晋作誕生地近くに立つ、高杉晋作像

  • かつての藩校、明倫館跡に立つ「萩・明倫学舎」

  • 萩・明倫学舎の萩暦で味わえる「はぎ御膳」

  • 定期購読誌『ノジュール』12月号は発売中。
    表紙は、「大日本沿海輿地全図」第100図 甲斐・駿河(国立国会図書館蔵)

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 近年、街歩きのなかでも人気なのが古地図歩き。古く江戸期に整備された城下町の町割や、お堀、そして地名など…、そんなかつての町の痕跡を歴史とともに訪ね歩くのが各地でちょっとしたブームになっています。

 山口県の萩は、江戸初期の慶長9年(1604)、毛利輝元が築城・開府し、約260年間、毛利氏36万石の城下町として栄えました。来年は明治維新150年にあたりますが、その維新前後に活躍した吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允ら名だたる志士を輩出した地でもあります。

 古地図歩きは、長州藩の拠点だった萩城跡から。現在は、石垣と堀の一部が残るのみですが、かつては五層の天守閣がありました(明治7年に解体)。古地図では城部分が雲形で隠されているのですが、城は軍事機密として地図上では隠されることが多かったためだといいます。

 次に、広大な武家屋敷跡が続く堀内エリアへ。古地図で見られる町割がほぼそのまま残り、殿様の行列が通ったという御成道沿いに、土塀や石垣、立派な門構えの屋敷が立ち並び当時の面影を垣間見ることができます。そこから東に進むと、豪商や藩士が住んでいた城下町地区。町は碁盤目状に区画され、現在も白壁や黒板塀が織りなす光景が続きます。御成道から少し入ったところには、高杉晋作や木戸孝允の誕生地もあるので探してみましょう。そこから少し歩くと、古地図でも一際目だつ藩校・明倫館の跡地へ。吉田松陰が教鞭をとった藩校の跡地には、昭和10年に小学校が建ち、その木造校舎は現在改修されて展示や飲食のスペースとして利用されています。この「萩・明倫学舎」は、もちろん見学もできますし、萩の名物料理「はぎ御膳」もいただけます。

 古地図関連の資料は、萩博物館や「萩・明倫学舎」などで入手できるので、じっくり歩いてみてはいかがでしょう。

 ノジュール12月号では、ほかにも古地図歩きが愉しい金沢、仙台、水戸などの町歩きをガイドするほか、古地図の「読み方」や江戸期の旅行ガイドともいわれる「街道図」なども紹介。また、おいしい魚介をめざす全国の人気漁港の旅も掲載しています。

■ノジュール:鉱物学の専門用語で硬くて丸い石球(団塊)のこと。球の中心にアンモナイトや三葉虫の化石などの"宝物"が入っていることがある。

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