ありのままの20代

夜な夜な宇多田ヒカルへファンレターを送る20歳フリーター、ある日突然作家になる

  • 文・白岩玄
  • 2018年2月16日

  

 20歳のときに、ぼくは夜な夜なくだらない昔話のパロディーを書いて、それを歌手の宇多田ヒカルさんに送っていた。宇多田さんの公式サイトは、当時ファンからのメッセージが送れるようになっていたので、そこに「おばあさんが流れてきた桃に気づかなくて、桃太郎が何回も川下りをし直す」みたいな物語を貼り付けて、毎週のように送っていたのだ。

 いくら彼女のファンだったとはいえ、相当イタい人間だし、今考えると大変ご迷惑なことをしていたなと思う。でも当時のぼくは、ヒッキー(宇多田さんの愛称)が自分の書いたものを読んで笑ってくれるとけっこう本気で信じていた。

 なぜそこまで自分を信じられたのかは、ぼくにもよくわからない。そのときはフリーターをしていて、昼夜逆転の生活を続けていたから、頭のネジが何本か飛んでいたのかもしれない。おまけにその頃のぼくは、自分の書くものにやたらと自信を持っていた。若いときというのは根拠のない自信があったりするものだけど、ぼくは自分に面白い読み物を書く才能があると信じて疑わなかった。

 子どもの頃から作文で苦労したことがなく、中学時代には仲間内ではやっていた『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』というギャグマンガの影響で、読んだ人が笑えるような文章を書くことに夢中になっていた。目立ちたがり屋ではなかったが、プライドの高さから来る自己顕示欲の強さがあって、文章を書くのは、その欲求を満たすのにぴったりだったのだ。

 ぼくの書く文章は、友だちや一部の同級生たちに好評で、そんな限られた範囲でウケが良かっただけだったにもかかわらず、ぼくは周りから褒められてどんどん自信をつけた。おかげで高校生に上がったときには、自分は面白い文章を書かせたら、地元の京都でも3本の指に入ると真剣に思い込んでいた。

 

同世代の芥川賞受賞に衝撃! 小説執筆を決意

 もちろん今となっては、そういうのはすべて若気の至りだったと理解している。ぼくは34歳で、さすがにもう自分が特別な人間だとは思わなくなった。才能があると思い込んでいた自分を「幸せだったなぁ」と笑えるくらいには大人になったし、たとえどんなにお酒を飲んでべろべろに酔っぱらったとしても、好きな芸能人に自分の書いたものを送りつけたりはしない。

 だから基本的には、若いときの型破りな振るまいは、ろくなものじゃないと思っているのだけど、一方で、その若気の至りによって人生が変わった経験があるから、一概に否定することもできない。ある意味では、ぼくは自分が無知だったおかげで作家になることができたのだ。

 それは宇多田ヒカルさんに書いたものを送りつけていた翌年のことだった。綿矢りささんと金原ひとみさんが芥川賞を受賞されたのだが、ぼくはメディアが大々的に報じたそのニュースに衝撃を受けた。自分が彼女たちと同い年だったこともあり、こんなにも注目される同世代の書き手がいるのかと驚いたのだ。

 実はそれまでほとんど小説を読んでこなかったから、芥川賞のすごさなんてちっともわかっていなかったのだが、とにかく彼女たちがまぶしかったし、脚光を浴びているのがうらやましかった。

  

 たぶん、同じことをした若者が日本中に少なくとも数百人はいただろう。翌日から、ぼくは突然、小説を書き始めた。小説は一度も書いたことがなかったけれど、昔話のパロディーなら書いていたから、その延長でなんとかなると思ったのだ。そしてどうせなら自分の実力を試そうと、小説の新人賞に自分の書いたものを応募することに決めた。賞の締め切りまでは2カ月半しかなかったから、ぼくはバイトを入れる日を減らして毎日パソコンの前に座った。とにかく自分の思うようにやってみるしかない。

 今だったら、それがいかに無謀なことだったのかよくわかる。小説の新人賞がどれだけ狭き門で、毎年どれくらいの人が応募していて、受賞する作品がどれほどのクオリティーのものなのか。小説を書いたことのない人間が、応募規定である原稿用紙百枚以上の小説を書くのがいかに大変か。そして何より、ひとつの小説を最後まで書き上げるのがどれだけ難しいかを知っている今では、よくもまぁそんなむちゃなことをしたなとあきれてしまう。

 でも、ぼくは、そういったもろもろを知らなかったから書くことができたのだ。無知だったから、知識がなかったから、「なんとかなるんじゃねぇの」と自分を信じることができた。

 もし、ぼくが普段から小説を読んでいて、さっき挙げたようなことはもちろん、世の中には才能のある作家さんがたくさんいることを知っていたら、ぼくはおそらく小説を書こうとはしなかっただろう。あるいは書いていたとしても、こんなものでいいんだろうか、これじゃ賞が取れないんじゃないか、と弱気になって筆が進まなくなっていたと思う。

 結果的に、ぼくはそのときに書いた小説『野ブタ。をプロデュース』で賞を受け、作家デビューすることになった。ただ、そんなふうに何も知らない状態でデビューしてしまったために、あとあと苦労するはめにもなった。無知のエネルギーには瞬発力があるけれど、厳しい現実の中で長く戦い続けるだけの持久力はない。だから、いいことばかりではなかったのだけど、それでもぼくは、あのとき自分が無知でよかったと思っている。とにもかくにも、こうして作家になることができたからだ。(次回へ続く)

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PROFILE

白岩 玄(しらいわ・げん)

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。Twitter(@gegenno_gen)

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