小川フミオのモーターカー

“虫”と呼ばれたBMW「イセッタ」

  • 世界の名車<第199回>
  • 2018年2月13日

イセッタにはいくつもバリエーションがあり「250」「300」「600」といったぐあい

 “虫”と呼ばれたBMWがある。1955年にイタリアのイソからライセンス生産の契約を取り付け65年まで生産していたBMW「イセッタ」。なんともかわいらしいかたちだ。

 戦後欧州で多かった超小型サイズのこの手のクルマは“虫”と総称された。これもその1台だ。全長が2285(後期型は2355)ミリしかない2人乗り(もしくは3人乗り)で、キャノピー(キャビン)のガラス面積が大きかったので“バブルカー”とも言われた。

ミュンヘンのBMWミュージアムに展示された“バブルカー”「イセッタ250」

 オリジナルは、イタリア・ロンバルディア地方出身のレンツォ・リヴォルタ指揮の下で開発された「イソ・イセッタ」だ。超高級スポーツカーの開発に血道を上げたリヴォルタだが、一方で多くのひとに簡便な移動手段を提供しようという理念の下、イセッタを世に送り出した。

安全性さえ確保されていればいまでも欲しくなるキュートさがある

 スタイリングはユーモラスで、乗降を出来るだけ楽にするために正面が大きなドアになっているなど、割り切りのいい大胆な設計が特徴だ。衝突時にドアが変形して乗員が車外に出られなくなることを考慮して、ルーフの一部を大きく切り取ってゴムで覆った。そこから抜け出すためだ。

 ゴムのルーフには室内にこもるエンジンの騒音を“逃がす”目的もあり、安価な超小型車ながら快適性と安全性を追求したエンジニアリングの思想は大きく評価できる。

写真は「スタンダード」というモデル

 1916年に航空エンジンのメーカーとしてスタートし、自動車に手を染めてからは歴史に残る名車としてほまれの高いレースモデル「328」を送り出したBMW。

 そのBMWがイタリアからライセンスを買い、小さな庶民の足を10年間も作り続けた。背景には、第2次世界大戦後、連合軍によって企業が解体され財政がひっ迫し、高級車やスポーツカーを作る力が失われていた事情がある。

 途中あまりに小さいだろうと、車体を大型化してドアを側面につけた「600」を出したところ、価格のことなどもあり、こちらはセールス的に失敗。戦後のドイツ人には「300」の方が“ジャスト”だったのだ。

写真は「エクスポート」なるややぜいたくな仕様で、左のひしゃげたラッパ状のものはウィンドシールドの曇りをとるデフロスターだろうか

 59年にBMW は「700クーペ」というジョヴァンニ・ミケロッティの手によるスタイリッシュな4人乗り2ドアクーペを発表。これが成功したことで業績は回復へと向かう。

 BMWではいまでもイセッタを“大事”にしていて、クラシックカーのイベントなどがあるとBMWミュージアム所蔵のものをよく出走させている。

 同社にはi(アイ)という電気など代替燃料車のサブブランドがあるが、そこからもう一度このイセッタを出してはどうかな、などと考えるのをぼくは楽しんでいる。

現在もクラシックカーラリーなどの常連

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

写真

クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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