ありのままの20代

「マンガや映画の方がはるかに楽しかった」……読書嫌いだった小説家の告白

  • 文・白岩玄
  • 2018年4月13日

bee32 / Getty Images

 恥ずかしい話だけれど、ぼくは作家デビューから3年後の24歳になるまで、ほとんど小説を読んでいなかった。子どもの頃から特に本に親しみを持っていたわけではなく、あくまでも「文章を書くこと」が好きだったぼくにとって、小説を読むことは一切の娯楽をともなわない完全な勉強でしかなかったのだ。

 だからデビュー以後、編集者に「もっといろんな小説を読んだ方がいいよ」と言われても、その場限りの返事をしてごまかしていた。読書量が圧倒的に足りていないことは自分でも感じていたが、その頃は他人の書いた小説を読むのがどうしても苦痛だったのだ。読まなくてはならないことは重々承知していたけれど、なんだかんだ理由をつけて逃げ続けていた。

 でも、二作目がなかなか思うように書けなかったことで挫折して、これはマズいとようやく本を読むようになった。とはいえ、それまでほとんど読んでこなかった人間が、いきなり読書を習慣化するのは、なかなかハードルの高いものがある。運動嫌いの人がジョギングを始めてもすぐに辞めてしまうように、果たして好きではないことを続けられるのか、ぼく自身も不安があった。「本を読むのは面倒だし、マンガや映画の方がはるかに楽しい」と思う人たちの気持ちが、当時のぼくには痛いほどよくわかったのだ。

 だけど、そうも言っていられない。まずは本屋に行って、名前を聞いたことのある作家さんの本を片っ端から手に取っていった。

 言い方は悪いが、最初は本当に我慢でしかなかったと思う。しゃべるのが大好きなクソガキが、他人の話を聞く練習をしている姿を思い浮かべていただければいい。慣れないうちは10ページも進まないうちにイライラしてくるし、読みながらついつい他のことを考えてしまう。それでも、最低1カ月は続けないと意味がないと自分自身に言い聞かせ、毎日少しずつ読むことを習慣づけていった。

 そのうち、よほど興味を持てない本以外は、最後まで読み通せるようになってきた。本、特に小説を読むのは(ひょっとするとこれはぼくが書き手だからかもしれないが)文体から生まれる他人の呼吸のリズムに、自分の呼吸を合わせるようなところがある。そういうことが徐々に苦じゃなくなってきて、マンガばかりだった本棚に小説がずらりと並ぶようになってきた頃には、好きな作家も見つかった。

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本当にいい文章は、読むのを超えて眺めていられる

 最初に好きになったのは、村上春樹さんだったと記憶している。『羊をめぐる冒険』を始めとする、平易な文章でつむがれる壮大な物語に魅せられて、すっかりファンになってしまった。文壇と距離を取って、一時期、外国で暮らしながら小説を書かれているところにも好感を持った。

 ぼくもあまり人付き合いが得意ではないし、将来的に日本を離れて書く仕事を続けられたらどんなにいいだろうと夢見ていたので、憧れの意味もあって、あれこれ著作を読み込んだ。

 山田詠美さんにも、ずいぶん大きな影響を受けた。登場人物に注がれる書き手の愛情の中に、いつも心地のいい倫理観が宿っていると言えばいいのか、人間の良いところも悪いところも受け止めて、それらをきちんと精査した上で「いいんじゃないの」とマルをつけている感じがするところが好きだった。

 その他にも、河野多恵子さんや吉田修一さんなど、読書がまったく苦にならない作家たちに出会えたことで、ぼくの本嫌いは瞬く間に治っていった。実力のある作家たちの本を読むことによって、自分は全然たいしたことがないんだなと自信を失う日もあったが、それ以上に小説というものの面白さや奥深さを知ることができた喜びのほうが大きかった。

 現代の作家だけでなく、夏目漱石など、明治・大正期の文豪たちの小説の良さを知ったのもこの頃だ。ぼくは当時、伝統工芸品(主に陶芸とか着物)を眺めるのにハマっていたのだけれど、その中でも特に気に入っている大家たちの作品と、文豪と呼ばれる人たちの作品に、なんとなく同じものを感じた。

 そこには、時代を経ても失われることのない輝きと、熟練の技によって意図せずにじみ出てくる自然な品の良さがあった。本当にいい文章は、読むのを超えて眺めていられる。そして、そういう共通性を小説と工芸品の中に見出したからか、ぼくはその後も、寝転んだり、風呂に入ったりしながら、気に入った小説の適当なページを開いて、そこにある文章をただただ眺めることが多くなった。

“苦手”だった小説に向き合って得たもの

 結局1年で、ずいぶん多くの本を読んだ。今でも記憶に残っているのはごくわずかだが、24歳のときに、そうして自分なりに苦手なものに向き合ったおかげで、ぼくは小説の良さを知ることができた。

 ただそれでも、読書好きを公言する人たちに比べれば、ずいぶん差がある。だから今でも、子どもの頃から本を読むのが好きで、そのまま作家になったような同業者に会うと、その読書量の違いに(量もそうだし、読み込みの深さもだ)劣等感を感じたりもする。

 なんというか、まるで「幼なじみと結婚したんです」と言われているみたいで、自分にはそこまでの絆はないなと落ち込むのだが、それはそれとして、小説というものを知ることができたのは、自分の人生にとって間違いなくプラスだったと言いきれる。

 でも、まぁ、見方を変えれば、小説を好きではなかった時間が長くてよかったのかもしれない。その分ぼくは、小説という枠組みとは違うところで、文章を書くことについてあれこれ頭を悩ませることができたからだ。

 学生時代は、とにかく笑える文章を書くことばかり目指していたし、19歳のときに海外のCMを見て広告が好きになってからは、人に届く文章がどういうものなのかを自分なりに考えるようになった。そのどれもが、今自分の血肉になっている。

 どんな道をたどっても、何かしらの蓄積にはなって強みになり得るのが、人生のいいところだと思う。(次回は4月27日公開)

連載第1回「無知の強さ」はこちら

連載第2回「人気者になりたくて」はこちら

連載第3回「お金を手にしてはみたものの」はこちら

連載第4回「自分の中に自分しかいないひとは病む」はこちら

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PROFILE

白岩 玄(しらいわ・げん)

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。Twitter(@gegenno_gen)

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