私の一枚

名バイプレイヤーの背中を押して、東京に出してくれた郡山の友 斉藤暁

  • 2018年4月23日

画家・猪熊克芳さん(左)と。芝居やアートについて語り合った

 地元の福島県郡山市の工業高校を出て、最初に就いたのは電気工事の仕事。親父が小さな電気工事の会社をやっていて、兄貴と僕にそれを継がせるのが夢だったんですね。それで学校を出て親父の会社に入ったものの、これがまったく自分に合わなくて。電気のコードの皮をむく、あれができないんだもん。芯だけ残さないといけないのに全部切っちゃう(笑)。向いていなかったんだね。結局、最後は親父とつかみ合いのケンカをして家を出ました。

 次に入ったのが、当時開局したばかりの地元のテレビ局。クリエーティブな仕事に就けるかなと思って入ったら、照明と大道具をたった1人でやる仕事で、これがまたキツくてね。そのはけ口として、地元の劇団に入ったり鬱屈(うっくつ)した若者が集まるような喫茶店に出入りしていたんです。
 そんな悶々(もんもん)としたものを抱えていた時に出会ったのが、ここに一緒に写っている画家の猪熊克芳さん。同郷で、僕が東京へ出る、その背中を押してくれた人です。

 猪熊さんは絵描きで大成しようと東京に出たけれども、実家の都合で郡山に戻らざるを得なくなって、それでももっと表現したいという欲求に駆られていました。どこか共鳴する部分があったんですね。それで、当時のアングラ演劇の代表的な劇団だった黒テントを郡山に呼んだり、田吾作会という野菜を作る会を立ち上げて収穫祭をしたり、いろいろ一緒にやりました。

 そもそも、僕は本気で芝居をやる気はありませんでしたが、小さい頃は1人で想像するのが好きでしたね。うちは貧乏だったけれど、隣の家に子供が乗れる立派な木馬があって、マカロニウエスタンの映画を観たあと、役になりきってそれに1時間も乗らせてもらうと、頭の中にサボテンが見えてくるんです。
 そういうのが今の仕事の根底にあるんじゃないかなあ。劇団に入ってからも「農夫1」のような役にさえおもしろさを感じていました。そんな時に彼が「今やらないと後で後悔するぞ、東京に行くべきだ」と焚(た)きつけたわけです。

 「いやぁそんな東京なんておっかねえところに」と最初は思いましたよ。当時は今と違って光化学スモッグがひどくてね、学生時代に修学旅行で行った時に、こんな空気の汚ねえところに二度と来るもんかと思いましたから。
 でも、希望があったんだね。今の若い子を見ていると諦めやシラケのようなものを感じてしまうんだけれど、当時の若者には希望があった。それは時代が保証していたんですよ。

 それで試しに自由劇場という劇団の試験を受けてみたら受かってしまった。当時付き合っていて一緒に劇団にも入っていた彼女と結婚し、二人で上京しました。郡山での最後の芝居は彼女との二人芝居。そのセットを作ってくれたのも、結婚式で三三九度をやってくれたのも猪熊さんでした。

 しかし、上京後はとにかく仕事がなくて。そうしているうちに子供ができたりして、このまま芝居を続けていいのかと本気で迷った時期もありました。奥さんが一生懸命働いてくれて、どんなに助かったことか。
 でも、僕があてにできないもんだから結局離婚してしまいました。なんとかなると言って説得してきたものが、できなくなったんですね。それからは彼女1人で子供を育てて、それがたたったのか、3年ほど前に心臓の病気で亡くなってしまった。無理をさせて命を縮めてしまったのかもしれないなあ。

東京に出たものの仕事がほとんどなかった20代半ば。亡き元妻・文恵さんと

 猪熊さんも、若い頃は絵の具を買う金がなくて、コーヒーをいれたあとのカスをボンドか何かでキャンバスに塗り付けて絵を描いていましたが、その絵が大きな賞をもらって、一躍注目される画家になりました。
 僕も運が良かったのか、今ではいろんな仕事を頂けるようになった。お互いの苦労の時代を知っているから、たまに阿武隈川が見渡せる彼のアトリエで酒を酌み交わしたりすると、「お互いここまでよく来たね」という会話になりますね。あとは病気の話と(笑)。

 彼はあんまりテレビを見ない人だけど、今の僕のことを喜んでくれていると思いますし、僕も彼の仕事ぶりをとてもうれしく、誇らしく思っています。

さいとう・さとる 1953年、福島県郡山市生まれ。オンシアター自由劇場を経て、東京壱組創立メンバーとして活躍。1997年、『踊る大捜査線』シリーズの秋山副署長役で北村総一朗、小野武彦とスリーアミーゴスを名乗り大ブレイク。幅広い層から人気を集める。以後、ドラマ・映画のみならずCMやバラエティーでも活躍中。
画家・猪熊克芳氏は4月26日(木)から5月2日(水)まで東京・渋谷の東急百貨店本店8階美術画廊にて個展を開催。

◆プライベートではトランペット奏者としてバンド活動にいそしんでいる斉藤暁さん。自ら作詞・作曲・ヴォーカル・トランペットを担当し故郷の名峰を歌ったCD「ビューティ安達太良」も発表している。

名バイプレイヤーとしてだけでなくバラエティー番組でも存在感を発揮する斉藤暁さん

 若い頃、亡くなられた先輩俳優の岸田森さんに「お前には個性がある。でも、その個性はお前を殺すぞ」と言われたんです。当時の自分には謎の言葉でしたが、今ではよくわかります。つまり、個性だけに頼っていてはダメだということ。それでは広がらない。あらゆる感性を磨いておけば、個性はおのずと味になるということです。じゃあ僕にとってその味とは何かといえば、それは「福島」。例えば訛(なま)りとかね。自分の身につかないような言葉はいまだに居心地が悪いですし。「ビューティ安達太良」という曲を作ったのも、どうしようも拭いきれない「福島」が僕の中にあるからなんです。
(聞き手・髙橋晃浩)

ふるさと福島への想いを込めたオリジナルCD「ビューティ安達太良」

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