マッキー牧元 エロいはうまい

<52>ソースと共に溶けていく甘い味わい……濃密なタンシチューがいざなう至福のひととき

  • 文・写真 マッキー牧元
  • 2018年5月2日

珠玉のタンシチュー

  • 珠玉のタンシチュー

  • 海老のコロッケ

  • 日本のカツレツの元祖と言われる一品

タンシチューが運ばれると、誰もが息をのむ。美しい皿の上で輝く茶色のソースにまみれる牛タンの塊に、うっとりとする。いつまでも見とれているわけにはいかない。皿に鎮座する肉に、ナイフを入れてみよう。

するとナイフは、力を入れずとも、肉に吸いこまれていく。フォークに刺した肉を口に運べば、舌の上でほろりと崩れ、甘い滋味が滴り落ちる。含まれた肉のエキスが、ゆっくりとにじみ出る。

一番柔らかいタン元だけが使われた肉は、舌にくにゃりと吸い付くようで、タン自体のほの甘い味わいをにじませながらソースと共に溶けていき、陶然となる。

それは濃密であるが丸い。球体の味である。

酸味や甘み、うまみが、太古から存在していたかのような丸みがあって、なめらかに舌を過ぎてゆく。ソースとタンが抱き合い、完璧な一つとなってのどに落ちかかる刹那(せつな)、蠱惑(こわく)的な香りが広がって、思わず胸が切なくなる。

このシチューは、どこまでも自然である。圧倒的なうまさがありながら、わざとらしさがみじんもない。どうだうまいだろうという嫌らしさがなく、毅然(きぜん)たる気品を漂わせている。

コツをつかむまで10年 月日を費やした珠玉の味

この味は、宮内庁の料理人から転身して店を開いた、初代が作り出した味である。古き良き、ありあまる時間が流れていた時代の、手間を惜しまず、丹念に作り上げた料理である。

毎日粉を炒めて2週間、肉をゆで、スープを取り、肉を冷やし固めて掃除し、再び温め、スープとルゥを合わせて2日間と、出来上がりまでに、2週間強をかけて完成する。

「うちは、ご飯に合う洋食だから、苦くしちゃいけない」。4代目の店主、島田さんは、父である先代から幾度となく、そう言われたという。「丁寧にやれ、手間を惜しむな」と、毎日のように叱られ、コツをつかむまで10年かかったという。

ゆっくりとかみたい。そう思わせるシチューは、次第に無くなっていくのが、悲しくなる味でもある。肉がなくなると、つややかな茶色のソースに白いご飯を少し入れる。そして混ぜる。ご飯の白がなくなるまでよく混ぜる。ソースにまみれたご飯を口に運ぶ。ああ、一気に体の力が抜け、笑顔が浮かぶ。決して大げさではなく、至上の幸福がここにはある。

付け合わせの、肉厚のシイタケのバター炒め、香り立つニンジンのグラッセ、キメ細やかな舌触りを持つ、ゆでたジャガイモ、そして甘く香るご飯、自家製たくあんやぬか漬けのお新香、香ばしいなめこの赤だしと、すべての脇役陣にも完璧な仕事がなされている。

一点の曇りも無きタンシチューは、かつて日本人の職人の多くが必ず持ち得ていた、誠実という矜持が、味に染みている。そしてそれが胸を熱くさせるのである。

    ◇

ぽん多本家

あまかざりそう

創業明治38年の老舗。とんかつ御三家として、自家製ラードで揚げたとんかつや、極めて質の高い魚介類のフライとともに、「タンシチュー」や「ビーフシチュー」も人気。「タンシチュー」は、4320円(税込)と高価だが、厳選した希少な黒毛和牛のタンの三分の一の柔らかい部分だけを使い、黒毛和牛や赤ワインなどを惜しみなく使ったこのシチューは、都内のどの店と比べてもコストパフォーマンスが最も高いと断言したい。ご飯とみそ汁、お新香のセットは500円。

【店舗情報】
東京都台東区上野3-23-3
03-3831-2351
銀座線「上野広小路」駅徒歩1分、JR「御徒町」駅徒歩2分ほか
営業時間:火~土 11:00~14:00(L.O.13:45) /16:30~20:00(L.O.19:45)、日・祝 11:00~14:00(L.O.13:45)/ 16:00~20:00(L.O.19:45)
定休日:月曜

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PROFILE

マッキー牧元(まっきー・まきもと)タベアルキスト&味の手帖編集顧問

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1955年東京生まれ。立教大学卒。年間幅広く、全国および世界中で600食近くを食べ歩き、数多くの雑誌、ウェブに連載、テレビ、ラジオに出演。日々食の向こう側にいる職人と生産者を見据える。著書に『東京・食のお作法』(文藝春秋)『間違いだらけの鍋奉行』(講談社)。市民講座も多数。鍋奉行協会顧問でもある。

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