英国の論点 サッカー界の今に迫る

フットボールに「情熱」は必要か?<前編>

  • 2014年7月15日
試合中、感情をむき出しにして相手と罵(ののし)り合う選手たち。こうした行為を単純に“情熱”とは言い切れない

写真:今年1月までフルアムに在籍していたベルバトフは、その運動量の少なさからたびたびファンの批判対象となっていた 今年1月までフルアムに在籍していたベルバトフは、その運動量の少なさからたびたびファンの批判対象となっていた

写真:“冷静”なプレーで数多くの勝利を手にしてきたスペイン代表は、ピッチを“駆け回る”ことだけが情熱ではないことを示している “冷静”なプレーで数多くの勝利を手にしてきたスペイン代表は、ピッチを“駆け回る”ことだけが情熱ではないことを示している

写真:闘志を全面に押し出し、愛するクラブのために献身的にプレーしていたグレイ(右)は、情熱がゲームの勝ち負けに影響すると信じていた 闘志を全面に押し出し、愛するクラブのために献身的にプレーしていたグレイ(右)は、情熱がゲームの勝ち負けに影響すると信じていた

写真:94-95シーズンにブラックバーンでプレミア制覇を成し遂げたシアラーは、その勝因を情熱と団結力だと言い切る 94-95シーズンにブラックバーンでプレミア制覇を成し遂げたシアラーは、その勝因を情熱と団結力だと言い切る

写真:クインはダービーマッチに熱を入れすぎたために、情熱のネガティブな要素を経験した クインはダービーマッチに熱を入れすぎたために、情熱のネガティブな要素を経験した

 イングランドの人々はフットボーラーに“情熱”を望んでいる。しかし、時に情熱を注いでいるとはいえないようなプレーを目にすることもある。もし自分のチームを、そしてフットボールを愛していないとしたら、選手は本当にベストを尽くしてプレーできるのだろうか? 英国の専門誌『FourFourTwo』が“情熱”の重要性について考察した。

■ファンが望む“情熱” その実態とは?

 プロフットボーラーはファンが払う入場料のおかげで高給を手にしている。それを思えば、ファンが選手たちを批判するのは当然の権利のようにも思える。我々はスタンドでビール腹を突き出し、だらしなく座ってゲームを観戦している。肺活量もなく、風呂にお湯をためることすら億劫(おっくう)になっているほどだ。それでも、選手が少しでも怠けたプレーを見せれば腹を立て、口にパイを突っ込みながら「ちゃんとプレーしろ!」などと野次(やじ)る。それが体脂肪7パーセントの磨き上げられた肉体を持つアスリートであってもだ。

 選手の中にはサッカーに情熱を注いでいないかのようなプレーを見せる者がいる。ファンにしてみれば「アイツはクラブソングにつづられた歌詞を知らないのか?」と無性に腹が立つのも当然だろう。多くのファンは、ベストを尽くしていない選手がいると考えているのだ。

 QPRの元監督、ニール・ウォーノックは一つのケースを指摘している。彼は昨年末、アンフィールドでのカーディフの態度をテレビ番組で酷評。ハーフタイム時点でリヴァプールに3点のリードを許していた選手たちを「全力を出していない」と痛烈に批判したのだ。ウォーノックは戦力的にリヴァプールがはるかに上回っているという事実には触れず、単にカーディフの選手たちがベストを尽くしていないと厳しく批判した。更に彼は、選手の年俸がもっと高ければもっと良いプレーをしただろうとまで言った。要するに給料の安い彼らにはモチベーションがなく、だからベストを尽くさなかったと言うのだ。

 しかし『FourFourTwo』はかつて“情熱至上主義”が間違いであることを証明する出来事に遭遇している。イングランド5部に所属するゲーツヘッドの試合前のロッカールームに潜入取材した際、我々はやる気に満ち溢(あふ)れ、テストステロン(男性ホルモンの一種)をいっぱいに出した男たちを目にしていた。彼らは今にも相手の選手にかみつくのではないかと思えるほど元気旺盛だった。キャプテンのベン・クラークなどは放送禁止用語を連発、コンクリートの壁を突き破ってピッチに向かうのではと思わせるほどの迫力だった。その光景を目の当たりにした我々は、ゲーツヘッドが相手チームを簡単に粉砕するだろうと確信していた。ところが、ピッチ上で我々が目にしたのはそれとは全く逆の光景。ゲームを完全に支配したのは対戦相手のサウスポートのほうだった。

 ゲーツヘッドの情けないプレーを見たファンは「彼らは真剣にやっているのか?」と選手に非難の言葉を浴びせた。ファンはロッカールームの様子を見ていないから、ゲーツヘッドの選手たちが試合に対してどれほど真剣だったかを知らない。相手チームに圧倒されるのを見て、選手にやる気が感じられないと思うのはある意味で当然だったのかもしれない。試合後、ゲーツヘッドの選手たちは情熱云々(うんぬん)という以前に、相手のほうが優れていたということを認めた。決まり文句になってしまうが、あの試合ではサウスポートのほうが戦術面、フィジカル面で勝っていたのだ。

 スタンドのファンや、チームに執拗(しつよう)に抗議の手紙を書き続けるファン、テレビのスポーツ番組で文句を言う解説者の主張も一理ある。何事においても情熱は偉大なものだと思うし、多くの人が情熱というものが持つパワーを信じている。だが、その実態はつかめない。地域の誇り、過剰といえるほどの意欲を持って戦いに挑む我々のヒーローたちが、冷静かつ上品に、かつ戦術的にプレーする選手たちよりも優れているとはいえないのではなかろうか?

 ひょっとしたら、スポーツは金に侵されているのだろうか? 既に大金を手にした選手は、過去に流してきたような汗を今さらかこうなんて思わないのだろうか? とどのつまり、情熱とはどんなものなのだろうか? 我々は今も情熱というものが存在するのか、そして、それがどのぐらい重要なのかについて考察してみた。

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