私の一枚

実は野生児だった私 渡辺真理さん

  • 2014年11月17日
8歳の時に、父親が撮影。いとこたちとのスキー旅行の直後で、スキー焼けをしている

写真:フリーアナウンサーとして活躍している渡辺真理さん フリーアナウンサーとして活躍している渡辺真理さん

写真:山下寅彦さんが撮影したかわいい猫の写真に渡辺真理さんが詩をつけたカレンダー 山下寅彦さんが撮影したかわいい猫の写真に渡辺真理さんが詩をつけたカレンダー

 8歳の時の私です。この写真には、撮影した当時だけではない新たな思い出がありまして。実は数年前「平成教育学院」というテレビ番組で、出演者が子どもの頃の写真を持ち寄って紹介する企画がありました。こういう時って、どんな写真を持参するか迷うんですよね。結果、自分ではかなりかわいいんじゃないかな?と思える写真を選んだつもりだったんです。順調に収録が進んで、他の出演者の写真が大写しになる度に「かわいいい~!」って反応の連続。で、最後にこの写真が出た時、出演者からのリアクションにものすごい微妙な間があって。「え?かわいい~!ってリアクション用意していたのに、何?これ?」みたいな(笑)。劇団ひとりさんがすかさず「この子絶対、動物と話せるよ!」と言ってみんな大笑いになったんです。女の子としてどうなんだ?というか、野生児だった自分を認識した瞬間でした。

 確かに動物や昆虫が大好きで、人形遊びはした記憶がないんです。よく男の子に間違えられていました。私が生まれ育ったのは横浜の中でも緑の豊かなのんびりした地域。父が42歳、母が35歳の時のひとり娘で、小中高と近くの私立の女子校にバス通学していました。両親がスキーで知り合ったので、冬は3歳くらいから合宿のように志賀高原の雪山で過ごし、夏休みは毎日近所の市民プールで何百メートルも泳ぐ特訓、春と秋は路上で父親とキャッチボール。父はスポーツ理論が好きで教えることがうまかったから、格好の弟子だったんですね。修業のように厳しかったけれど、今振り返ると将来一人でたくましく生きていけるようパワーを注入してくれていたんだと実感します。おかげで常に真っ黒に日焼けしていましたが、自分の容姿に無頓着だったので、小猿みたいだったことを気にしたことがなかったんですねぇ、仕事を始めるまで。

 高校3年の春以降、大学生活や新社会人として忙しく家族でスキーに行けなかったのですが、私がフリーになった年にようやく両親と再び志賀高原に行ったんです。TBSを退職して「ニュースステーション」の仕事に就くまでの一週間に、取りたての免許で私が運転して十数年ぶりに志賀高原に両親を連れて行くことができました。定宿だったホテルの方達との再会も果たせて本当に楽しくうれしい旅でした。そして、その年の暮れに父は脳内出血で倒れ、父と離れたことのない母も病院に泊まり込む生活が始まったので……ぎりぎりのタイミングで一緒に行けて本当に良かった。それから16年、父は自宅で療養生活を送り今年、他界したのですが、両親から丈夫な心身の下地を鍛えてもらったこと、たくさんのかけがえのない思い出をもらったおかげで、今も丈夫で頑張れているんだと遅まきながら、感謝しているんです。

       ◇

わたなべ・まり 国際基督教大学卒業後、TBSに入社。アナウンサーとして様々な番組を担当。フリーになってからは「ニュースステーション」のキャスターなどを務める。現在はBS朝日「EyeSight presents 恋するドライブ」、BSジャパン「Wのチカラウーマノミクス」に出演中。

「2015 ネコポストカードカレンダー ~低血圧なネコ~」発売中。写真家の山下寅彦さんのかわいいネコの写真に渡辺真理さんが詩文を添えた“低血圧なネコ”のカレンダー。

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