インタビュー

小西康陽、新しさと心地良さがきらめく『わたくしの二十世紀』

  • 2015年7月30日

「“ひとり”で作った“ひとり”のためのアルバム」と語る小西康陽

写真:「大きな屋外フェスや配信サービスなど、今や音楽は大勢で一緒に楽しむものになった。でも僕の音楽は真逆。かつてのレコード文化のように、極めてパーソナルなものだから」 「大きな屋外フェスや配信サービスなど、今や音楽は大勢で一緒に楽しむものになった。でも僕の音楽は真逆。かつてのレコード文化のように、極めてパーソナルなものだから」

写真:「僕が女性の声に求めているのは含羞(がんしゅう)。奥ゆかしさです。『どうよ、うまいでしょ?』みたいな感じの歌い方は好きじゃない」 「僕が女性の声に求めているのは含羞(がんしゅう)。奥ゆかしさです。『どうよ、うまいでしょ?』みたいな感じの歌い方は好きじゃない」

写真:「歌謡曲が好きだったから、女性のモノローグの歌詞は最初から自然に書けた。むしろ『俺』とか『だぜ』で書く方が僕には難しい(笑)。ムード歌謡も愛聴していたので、女性が男言葉で歌う歌詞もユーモラスで好きです」 「歌謡曲が好きだったから、女性のモノローグの歌詞は最初から自然に書けた。むしろ『俺』とか『だぜ』で書く方が僕には難しい(笑)。ムード歌謡も愛聴していたので、女性が男言葉で歌う歌詞もユーモラスで好きです」

写真:「歳をとってようやく照れや恥じらいが薄れてきたのかな?(笑)。クラシックの嬉遊曲(きゆうきょく)じゃないけれど、ピチカート・ファイヴの頃は自分のプライベートを赤裸々に描いた曲もありましたよ。そういう曲はアレンジで厚塗りしてごまかしてね。どの曲かは秘密ですが(笑)」 「歳をとってようやく照れや恥じらいが薄れてきたのかな?(笑)。クラシックの嬉遊曲(きゆうきょく)じゃないけれど、ピチカート・ファイヴの頃は自分のプライベートを赤裸々に描いた曲もありましたよ。そういう曲はアレンジで厚塗りしてごまかしてね。どの曲かは秘密ですが(笑)」

写真:小西康陽のソロプロジェクト“ピチカート・ワン”のセカンドアルバム『わたくしの二十世紀』(ユニバーサルミュージック)は、自身が在籍したピチカート・ファイヴの楽曲と、これまでに他のアーティストへ提供した楽曲のセルフカバー集。制作した動機をひとつの“妄執(もうしゅう)”だと説明する 小西康陽のソロプロジェクト“ピチカート・ワン”のセカンドアルバム『わたくしの二十世紀』(ユニバーサルミュージック)は、自身が在籍したピチカート・ファイヴの楽曲と、これまでに他のアーティストへ提供した楽曲のセルフカバー集。制作した動機をひとつの“妄執(もうしゅう)”だと説明する

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 「たとえばジュリー・ロンドン。彼女のレコードを聴くと、その歌声はあたかも自分だけに“語りかけてくる”ように聴こえる」

 1950年代に一世を風靡(ふうび)したジャズ・シンガーの名前を挙げながら、小西康陽は自身の新作を「“ひとり”で作った“ひとり”のためのアルバム」だと語る。

 「大きな屋外フェスや配信サービスなど、今や音楽は大勢で一緒に楽しむものになった。でも僕の音楽は真逆。かつてのレコード文化のように、極めてパーソナルなものだから」

 小西のソロプロジェクト“ピチカート・ワン”のセカンドアルバム『わたくしの二十世紀』は、自身が在籍したピチカート・ファイヴの楽曲と、これまでに他のアーティストへ提供した楽曲のセルフカバー集である。彼は本作を制作した動機をひとつの“妄執(もうしゅう)”だと説明する。

 「これは音楽を作る人なら誰しもが少なからず抱いている感情だと思うのですが、本当に聴いてほしいリスナーに向けて、自分の音楽がちっとも行き渡っていないという思いが常にあったんです」

 本作にはゲストボーカルとして、男性陣は西寺郷太とムッシュかまやつ(ナレーション)が、そして女性陣は市川実和子、UA、おおたえみり、小泉今日子、甲田益也子、YOUなど、強い記名性を持つ魅力的な歌声の面々が参加している。

 「僕が女性の声に求めているのは含羞(がんしゅう)。奥ゆかしさです。『どうよ、うまいでしょ?』みたいな感じの歌い方は好きじゃない」

 小西が筒美京平に憧れて仲間と作った「デモテープ制作集団」をPIZZICATO FIVEと命名してメジャーデビューしたのは1984年のことだった。

 「歌謡曲が好きだったから、女性のモノローグの歌詞は最初から自然に書けた。むしろ『俺』とか『だぜ』で書く方が僕には難しい(笑)。ムード歌謡も愛聴していたので、女性が男言葉で歌う歌詞もユーモラスで好きです」

 1990年に野宮真貴がボーカルとして加入するとヒット曲にも恵まれた。モダンで高品質なポップスとスタイリッシュなビジュアルの提案によって、ピチカート・ファイヴは“渋谷系”と呼ばれたムーブメントの代表格として2001年の解散までに絶大な支持を獲得した。

 「『人生は悲しいことばかりだけれど、せめて音楽だけはハッピーに』という定義を掲げて、良質なレコードを作るべく涙ぐましいまでの努力をしていたバンドだった。勢いでやったことなんて、ほとんどなかった」

 今日までに楽曲提供やDJ、文筆、アレンジやリミックスと八面六臂(ろっぴ)の活躍を続けてきたが、気付けばピチカート・ファイヴ解散から前作によるソロ活動のスタートまでに10年、ピチカート・ファイヴの楽曲を扱った今作までには14年の歳月が流れていた。

 「歳をとってようやく照れや恥じらいが薄れてきたのかな?(笑)。クラシックの嬉遊曲(きゆうきょく)じゃないけれど、ピチカート・ファイヴの頃は自分のプライベートを赤裸々に描いた曲もありましたよ。そういう曲はアレンジで厚塗りしてごまかしてね。どの曲かは秘密ですが(笑)」

 過ぎ去りし日への感傷。恋や平和へ抱く不変の理想。そして生の謳歌(おうか)から立ち昇る死の匂い……。寂寥(せきりょう)とした冬の切なさと、その合間に差す木洩れ陽のような優しさをもって“ひとり”のリスナーに“語りかけてくる”全16曲には、初出時とは異なる新しさと心地良さがきらめいている。

 「それは自分でもはっきりと感じました。新しい曲を書くのもいいけれど、こうして思い入れのある大切な曲をいじってみるのも悪くない。歳を重ねた今のほうが、生や死も身近に感じられますしね。作家として、名刺代わりと呼べるアルバムになったと思います……。僕は若い頃、本当にどうしようもない男だった。でも不思議なもので、書いた曲は最初から、僕よりもずっと成熟した大人だったんですね」(文 内田正樹、写真 スケガワケンイチ)

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小西康陽(こにし・やすはる)
1959年、札幌生まれ。85年、ピチカート・ファイヴのリーダーとしてデビュー。90年代の音楽ムーヴメント「渋谷系」のグループのひとつとして認知される。95年の米国デビュー以来、海外でも多くのファンを持ち、多くの楽曲が映画・ファッションショーなどで使用された。2001年3月31日のピチカート・ファイヴ解散後は、作詞/作曲/編曲/DJ/リミキサーとして活動。09年、NYオフ・ブロードウェイで上演されたミュージカル『TALK LIKE SINGING』(三谷幸喜 演出・脚本/香取慎吾 主演)の作曲・音楽監督を務めた。11年、PIZZICATO ONE名義で初のソロ・アルバム『11のとても悲しい歌』を発表。日本のみならずワールドワイド・リリースもされ、高い評価を得た。

内田正樹(うちだ・まさき)
1971年東京生まれ。ライター/編集者。雑誌『SWITCH』編集長を経て2011年よりフリーランスに。これまでにミュージャシャンをはじめ、国内外の様々なアーティストのインタビュードキュメントを手掛ける。また編集者として雑誌のファッションページやムック、カタログ制作に参加。幅広いジャンルのディレクションを手掛けている。編著書に『東京事変 チャンネルガイド』、『椎名林檎 音楽家のカルテ』がある。『サンデー毎日』でコラム「恋する音楽」を連載中。テレビ朝日の配信チャンネル「LoGiRL」にてレギュラー番組に出演中。

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