インタビュー

「グレイトフル・デッド」の50年をボブ・ウィアーが語る

  • 2015年12月2日

ライブ公演史上、最高の収益をあげた今夏のGD50th“フェアウェル・ライブ”(photo by Chad Smith)

写真:1965年結成当時のグレイトフル・デッド。左から2番目がボブ・ウィアー。バンド最年少で多くの女性ファンを魅了した“キッド” 1965年結成当時のグレイトフル・デッド。左から2番目がボブ・ウィアー。バンド最年少で多くの女性ファンを魅了した“キッド”

写真:1980年代のデッドのライブは人気爆発。スタジアムを満員にした 1980年代のデッドのライブは人気爆発。スタジアムを満員にした

写真:デッドの音楽的、精神的リーダーだったジェリー・ガルシア(photo by Kenji Muroya) デッドの音楽的、精神的リーダーだったジェリー・ガルシア(photo by Kenji Muroya)

写真:ジョン・メイヤー参加の新ユニット、デッド&カンパニーは全米ツアー中(右:ボブ・ウィアー、中:ビル・クロイツマン) ジョン・メイヤー参加の新ユニット、デッド&カンパニーは全米ツアー中(右:ボブ・ウィアー、中:ビル・クロイツマン)

写真:50周年記念2枚組ベスト盤『THE BEST OF THE GRATEFUL DEAD』(ワーナー・ミュージック・ジャパン)が近日中にリリース予定 50周年記念2枚組ベスト盤『THE BEST OF THE GRATEFUL DEAD』(ワーナー・ミュージック・ジャパン)が近日中にリリース予定

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 招待されてホワイトハウスを表敬訪問したアメリカのロック・グループ「グレイトフル・デッド」。満面の笑顔のオバマ大統領に迎えられ「フォーク、R&B、カントリー、ジャズを取り込んだあなた方の音楽、何世代ものファンたちと50年にわたるシーンは、豊かなアメリカ音楽と生きたアメリカ文化の具現そのもの」と祝福されたニュースが報じられた。

 1965年にサンフランシスコで活動を開始した“はみだし者たち”のグループは、25年前にリーダー的存在を亡くしたものの、以後も活動に拍車をかけた。結局この50年目の夏、GD50th“フェアウェル・ライブ”で正式活動の終結をアナウンス。ところが、そのラスト・コンサートに世界からチケットの申し込みが殺到した。追加されたカリフォルニアでの2回の公演とシカゴの野外スタジアムを含めた、計5回のライブは21万人の入場者、加えてネット配信によるPPV(ペイパービュー)40万組のビュワー申し込みで、合計5500万ドル(約67億5000万円)という空前のコンサート収益を達成。7月4日のフィナーレは彼らのヒット曲『USブルース』の演奏とシンクロして、赤、白、青、デッドのロゴカラーで、NYエンパイア・ステート・ビルがショーアップ照明の中で踊った。ライブミュージック史上、最も成功したイベントとなった。

 「驚いちまうよ。僕らがバンドを始めた頃は、成功なんて目標はなかった。社会の枠組みやルールに縛られずに、僕ら自身のやり方で冒険の旅をしよう。音楽を通じてみんなと絆を結び、楽しみながらやっていこうって、それだけさ。歌の文句じゃないけど“なんて長く不思議な旅なんだ”としか言いようがない」。ミラクル公演の立役者、ボブ・ウィアーの快活な声だ。

 11月、ジェリー・ガルシア亡き後のデッド・ワールドを牽引(けんいん)してきたフロントマン、ウィアーはデッド&カンパニーの名でさらなる公演ツアーを続けていた。凄腕(すごうで)のギターと歌で人気の若手ミュージシャン、ジョン・メイヤーからのラブコールで実現したこの新デッド・ユニットは、テレビでの共演がきっかけだった。意気投合した二人に、ビル・クロイツマン、ミッキー・ハートのデッドのオリジナル・ドラマー、オールマン・ブラザースのベーシストらを加え、ハロウィンの週末にNY屈指の会場マディソン・スクエア・ガーデンで白熱のデビュー。年末のサンフランシスコ、LAでの大晦日(おおみそか)ライブを含め、22回の全米ツアーを敢行する。大手カード会社がスポンサーとなり1万組の招待客を前に演奏した模様はライブストリーミングされ、日本の音楽ファンの間でも評判となった。

 「誰にこの顚末(てんまつ)を喜んでほしいかって? 天国のジェリー。“Go with the flow!(流れとともに行け)”って、生き方も音楽も教えてくれたビート世代の兄貴、ニール・キャサディ、バンドを応援し続けてくれたたくさんのファンたち。そして家出後、数年して僕がゴールド・レコードを持って里帰りした時、涙を流して喜んでくれた育ての親たちさ。僕を“十代のヒッピー家出少年の元祖”だなんて崇(あが)めてくれてるらしい最近の若い連中が聞いたらがっかりするかな(笑)」。バンド最年少のイケメンで、礼儀正しい彼を、バンド仲間は愛し“キッド”と呼んで、家族のように守ってくれたという。

 「デッドは世間的な習慣や常識、音楽界のルールをかたっぱしから破ってきたアウトロー・グループって言われてきたけど、その半面、熱心に練習して、懸命にたくさんの仕事をこなしてきたハードワーキング・バンドで、家族的なやさしさ、思いやりの絆を大切にしてきたことも見てほしいな」。「バンドとして長続きした秘訣(ひけつ)は、とにかく、瞬間瞬間のときめきを感じながら楽しんできたことじゃないかな。同じ曲でも演奏するたびに違う試みをしてみて、お互いを驚かせるんだ。次の曲への流れを、ベースがヒントを出して、ドラムスがそれに加わると決まりさ(笑)。誰かが独裁者的に強引に指示するんじゃない。デモクラシーを大事にしてきたのさ」

 「ダウンした時期? そりゃ、いっぱいあったよ。“時にはまばゆい光の中、時には真っ暗闇の中”」と、ウィアーが作曲したデッドの自叙伝的アンセム『トラッキン』の詩を口づさむ。「自分たちでレコード会社を始めたけど、たちまち挫折してしまった時、メンバーが酒やドラッグでチェックアウト(他界)してしまった時……。でも、ひとつの扉が閉まると別の扉が開くものさ。そうやってエジプト、スフィンクスのもとでのライブをやろう、楽しんで僕らの原点に戻ろうって、とんでもない計画が実現したりね。この新ユニットでのツアーもそうさ。新しい可能性にいつもオープンでいたいね」

 最後に若い人たちへのメッセージを永遠の“ミラクル・キッド”からもらった。「今やっていることをもっと愛して続けること。長く続けていけば、そこには自然にもっと素敵なことが起きてくるから!」(文 室矢憲治、取材協力 Dennis McNally、Justin Kreuzmann、BeGoodBoys)

    ◇

BOB WEIR(ボブ・ウィアー)
1947年、アメリカ・カリフォルニア生まれ。養父母に育てられ、読書障害がもとで成績不良の烙印を押され、いくつもの学校を転々としていた。17歳の時にジェリー・ガルシアと出会い、音楽に開眼。ジャグ・バンドを経て、65年にグレイトフル・デッドを結成。ジェリーのリードギターに、フィル・レッシュのベース、ビル・クロイツマン、ミッキー・ハートのドラムスにリズム・ギタリスト/ヴォーカルで参加。ロックをジャズ的なアプローチで演奏するデッドの即興演奏は、サイケデリック・サウンドとして60年代、70年代に支持され、80~90年代のジャム・バンド・ブームの元祖として人気を集める。トップ5入りしたアルバムは89年の『イン・ザ・ダーク』だが、ファンたちには会場での録音を許し“世界一歩みの遅い最高のライブバンド”として、94年にロックの殿堂入り。95年のガルシア他界後も、RatDogなどのバンドで、デッド・サウンドを継承。GD50thライブの記録的成功の立役者となる。

室矢憲治(むろや・けんじ)
東京生まれ、ニューヨーク育ちの作家、詩人、ジャーナリスト。滞米中の少年時代にビートルズのファーストUSツアーやボブ・ディランの“ロック転向”コンサート、ウッドストック・フェスティバルなどアメリカ若者文化の歴史的事件をリアル体験。以後海外の音楽シーンを『ミュージック・マガジン』や植草甚一、片岡義男らと創刊した『ワンダーランド』などに紹介。J-WAVEでロバート・ハリスらと立ち上げた「ボヘミアン・カフェ」はポエトリー・リーディング・ブームを巻き起こす。マルチトーク&ライブ・イベント『MUROKEN NOW!』を主宰。『ニール・ヤング詩集』『ウッドストックへの道』など著訳書多数。

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