私の一枚

不気味な子供時代 壇蜜さん

  • 2016年2月22日

お父さんが撮影した保育園のかけっこの写真。一番後ろの子が壇蜜さん

写真:このたび書き下ろしエッセー集を出版した壇蜜さん
このたび書き下ろしエッセー集を出版した壇蜜さん

写真:2月18日に発売された、壇蜜さんのエッセー集『どうしよう』
2月18日に発売された、壇蜜さんのエッセー集『どうしよう』

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 これは4歳、保育園の運動会のかけっこで、ビリになった時の写真です。この写真には、おそらく不気味な子供だと想像できるすべてがつまっています。まず男か女かさえわからない。明らかに周囲の子と見劣りする体形、そして左足と左手が一緒に出ているなど、明らかにこの年齢の子ができることができていません。当時の私はとにかく「遅い、ぐずる、鈍い」で、子供らしさがなく、保母だった母親が心配し始めた頃です。

 例えば「風船あげるからおいで」と言われ、みんながワ~ッと行く時に、絶対行かれないんです。恥ずかしいし、「風船を無料でくれるなんてどうかしてる」と考える子で。一人っ子で両親や祖父母と大人の中で育ったからか、常に立ち止まって考える癖がありました。そういうテンポののろさに加え、当時、母親の方針で髪の毛を短くビシッとそろえた髪形が、まるで「キン肉マン」に出てくるウォーズマンのようで、周囲の子供から浮いて、いじめられていましたね。いつも泣いたりぐずったり。夜寝るときは横に端っこを握るためだけの毛布がないと寝られませんでした。でも頭の中にはオズの魔法使いの国のような想像の王国があったし、自分には友人ができない世の中のシステムになってると思っていたので、特につらくはなかったです。

 変わったのは中学から。勉強を教えてくれるキレイなお姉さんが家に来てくれ、成績が徐々に上がり自信が出ました。そして、前髪をピンで留め、おでこを出した私は、付属中学に外部から入ってきた子たちと友だちになれたんです。通学を一緒にし、お菓子を食べながらたわいもないおしゃべりをする。そんな友達がいるって、なんて幸せと思いました。東西南北どこに住む人が一番幸福かというと、北の人が春の暖かさを感じられもっとも幸せといいますが、マイナスからの遅咲きスタートの私はまさにそうでしたね。

 グラビアデビューも20代後半と遅いスタート。しかも当時、グラビアバブルがはじけ、撮影の時に食事が出ない、早朝から夜中まで撮影し終電で帰らされる、またせっかく撮ったイメージビデオをお蔵入りにされたことも。最初にいろいろ経験しているのでその後卑屈にならずにすみ、逆によかったです。

 私の中には、今もこの写真の頃の自分がいます。かけない毛布は手放せないし、ぐずる子供の私をなだめながら日々過ごしている。この子に成仏してもらえるよう、生きていかないといけないと思っていますが、成仏できない自分がいるからこそ物を書けるのかもしれません。毎日ブログを書き、時々テレビに出る。そんなペースで、遅咲きの自分は中年以降の開花を信じ、頑張っていきます。

    ◇

だん・みつ タレント 1980年秋田生まれの東京育ち。昭和女子大学卒業後、調理師免許を取得。その後さまざまな職種を経験し、2010年29歳の時にグラビアアイドルとしてデビュー。13年映画「甘い鞭」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。執筆活動も幅広く行っている。

◆2月18日に壇蜜さんの書き下ろしエッセー集『どうしよう』がマガジンハウスから出版された。生きていれば誰しも直面するピンチの一瞬を切り取り、壇蜜流の解釈を加えつづった。校則の厳しい女子校で青春時代を送り、紆余曲折(うよきょくせつ)の末、壇蜜としてグラビアデビュー。以来、世間、親、仕事、恋人、過去の自分、さまざまなものに折り合いをつけて生きる35歳の壇蜜さんが、自身のコンプレックスや人に言えない本音や真実をちりばめながら波乱含みの日常を告白する。

1200円(税別)

「日ごろ、どうしようと思った時に、その解決策をひねり出しても、私の場合、何も解決されていない。なぜそうなのかわかってもらうため、自分の心の動きに注目して書いてみました。それによって日常や過去の自分がいろいろ出てきましたね。といっても、これはキラキラハッピーなお話ではなく、過去の恥ずかしい自分たちを大八車に背負い生きている日常の記録です。ちなみにゴーストライターは使っていません。そんなお金がかかることはしません(笑)。このたび世間という海にこの本を放しますが、みなさんといろんな出会い方をしたらうれしいです」

(聞き手:田中亜紀子)

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