十手十色

9本の指を失ってなお山に挑み続ける 栗城史多

  • 文 加藤千絵 写真・小林浩志
  • 2016年12月20日

チャレンジャーなのは父譲り。眼鏡屋を営む父親は、故郷の町で温泉を掘り当てた

写真:指を切断した箇所を縫わず、再生治療に使われる薬を塗ったおかげで5ミリ伸びて、物がつかみやすくなったという 指を切断した箇所を縫わず、再生治療に使われる薬を塗ったおかげで5ミリ伸びて、物がつかみやすくなったという

写真:凍傷は鼻の軟骨まで届いていた。あと数ミリ深かったら鼻も取らなければならなかった 凍傷は鼻の軟骨まで届いていた。あと数ミリ深かったら鼻も取らなければならなかった

写真:若くて体力のある20代後半~30代前半に事故を経験する登山家、冒険家は多い。それをきっかけに生きて帰ることの大切さを知る 若くて体力のある20代後半~30代前半に事故を経験する登山家、冒険家は多い。それをきっかけに生きて帰ることの大切さを知る

写真:山での細かい作業にはハンディがある。「手が使えない分、知恵を使ってなんとかやっています」 山での細かい作業にはハンディがある。「手が使えない分、知恵を使ってなんとかやっています」

写真:座右の銘は「酸素があれば何でもできる」。酸素が地上の3分の1という8000メートル級の山から下りてくると、人間は生かしてもらっていることを実感する 座右の銘は「酸素があれば何でもできる」。酸素が地上の3分の1という8000メートル級の山から下りてくると、人間は生かしてもらっていることを実感する

写真:徹底したトレーニングと食事管理で、低酸素でも耐えられる体を作っている
徹底したトレーニングと食事管理で、低酸素でも耐えられる体を作っている

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 「心」って本当に存在するんだろうか。山に登っていると、そんな考えが浮かんでくる。いま心が感じている孤独や不安は、実は自分が生み出した幻想に過ぎないんじゃないか。だから心にどっぷりつかってしまうと苦しみから離れられないけれど、心にとらわれなければ苦しみは苦しみでなくなるのかもしれない。頭じゃなく体がそう理解すると、余計なものがそぎ落とされていく。自分の存在が「空(くう)」になって、登山のパフォーマンスも上がっていく。

 でも2012年の登山は、違った。2009年から続けてきた秋季エベレストへの挑戦は4年目になり、それまでさまざまなトラブルで登頂できなかった焦りが、登山家・栗城史多さんから冷静な思考を奪う。酸素が極端に薄く、息をするだけで肺が締めつけられるような標高8070メートル。頂上を極めたいという思いから、自ら甘く見積もった気象予報は見事に外れ、そこから先はジェットストリームと呼ばれる強風と雪に遮られた。下山を決意した時には風はさらに吹き荒れ、体感温度マイナス60度ともいわれる世界にのみこまれる。手は動かず、足の指の感覚がない。両手足と鼻が、重度の凍傷にかかっていた。

9本の指を失い、父から言われた「おめでとう」

 生きなきゃいけない、という一心でなんとか下山したものの、この登山で栗城さんは右手の親指以外の9本の指を失った。指を切断する前、入院していた病院から父親に電話すると、一言返ってきたのは「おめでとう!」という大きな声。「なんでおめでとうなの?って聞いたら、一つは生きて帰ってきたことにおめでとう。もう一つは、『お前は苦しみを背負ってまたチャレンジできる。それは素晴らしい体験なんだよ』って言ってくれたんです」

 最初は、はしを持ってもぽろっと落としてしまう。まして登山道具など全然持てない。ショックだったのは、登山の基本である靴のひもが結べなかったことだ。それでもあきらめず、5分、10分と時間をかけてゆっくりやってみる。それを繰り返すことで、一つひとつの作業を克服していく。登山は体の重心の移動の仕方や体幹のトレーニングを工夫して、早くも2014年には中国とパキスタンの国境にあるブロード・ピーク(標高8047メートル)を登頂し、復活を遂げた。

失敗こそが人生を豊かにしてくれる

 「たぶん僕、凍傷にならなかったらどこかで死んでいたと思います。秋季エベレストをどうやったら登れるかをずっと考えていて、それゆえに見失っている部分がいっぱいあったんです。それを見つめなおすきっかけになった。学びがたくさんあって、いろんな人との出会いがあって、またこうやって山も登れる。素晴らしい体験なんだよ、って言われたら本当にそうだなと思います。ずっと成功続きできたらそれは成功かもしれないけど、気づいたら心のバケツには何も入っていなかったかもしれない。失敗や挫折、困難こそが人生を豊かにしてくれるものだと思っています」

 今年の秋にエベレストを目指したが、再び悪天候に阻まれた。しかし来年の春、もう一度挑戦する。今の栗城さんを支えているのは、やっぱり父の言葉だ。「人生は宿題が多い方が楽しいぞ。宿題がなくなったらおしまいだ」。だから前に進み続ける。終わりなき宿題という困難を抱きしめて。

    ◇

くりき・のぶかず 1982年生まれ。大学で山岳部に入部したのをきっかけに本格的に登山を始める。これまで6大陸の最高峰と8000メートル峰4座を登頂。山本来の厳しい自然を感じるため、「単独・無酸素」での挑戦を続けている。2009年からは「冒険の共有」を掲げて、インターネットを通した登山の生中継を試みている。詳細は公式ホームページ(http://www.kurikiyama.jp/)で。

PROFILE

加藤千絵(かとう・ちえ)

ライター。東京外国語大学スペイン語学科卒業。約9年間、朝日新聞の夕刊や別刷りに執筆し、2012年以降は&Mの「ブラボー★NIPPON」をはじめウェブや雑誌、書籍などで活動する。週末はもっぱらサッカー観戦。趣味の俳句は今年で句歴10年を迎える(が上達にはほど遠く)。岐阜県出身。

小林浩志(こばやし・ひろし)

写真家。株式会社新建築社で編集部、写真部を経て独立。建築写真、デザイン、出版を主とした株式会社スパイラル(http://photo-spiral.co.jp/)を設立。以降、黒川紀章をはじめ、日本を代表する建築家の作品写真や書籍のデザイン、編集など精力的に活動している。

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