一昨年12月、末期肝臓がんの告知を受け、闘病しながらも高座に上がり続けた上方落語家、笑福亭松喬(しょうふくてい・しょきょう=本名・高田敏信)さんが30日午後4時30分、大阪市西区の病院で死去した。
上方落語協会会長の桂文枝(70) 昨日、自宅へ無言の帰宅をされた時、うかがいました。病魔との壮絶な闘いを終えた顔に触れて、お疲れさまでしたと声をかけました。入門してきたころ、鶴三時代からの仲間でした。(協会悲願の天満天神繁昌亭建設へ向けては運営委員長として、06年9月の開館に尽力。その後も協会理事として活動し)いつも元気に、話の胴をとっていました。つねに前向きで、プラス思考の強気の芸人さんで、へこんだり、落ち込んだりするタイプではありませんでした。
病院に見舞ったときも、病気に負けてこころ(も)折れていなくて、明るく話してくれました。病院で落語を「いくつか覚えましてん。とにかく時間がおまんので」と、落語に並々ならぬ情熱をもやし続けていました。「こんな話を自分で作り替えたんやけど」と、僕が「箒屋娘」を「住吉詣り」に変えた話をすると、「見せとくんなはれ」と言われたので、病気の負担にならないか心配しましたが、「落語のこと考えてると病気のこと忘れまんねん」と、本人が言うので(ネタ台本を)届けました。
入退院をくりかえし、退院時(は)体調がよくて、本人が希望すれば繁昌亭に出演してもらうようにしておりました。そして、住吉大社での奉納落語会。落語を1席しあげる大変さを同じ落語家として知っているので、心配で、収録したテレビ局のビデオを取り寄せて見たとき安心しました。見事に、船場の世界を描き出していたからです。よくぞここまで仕上げたなあと感心致しました。
不屈の落語家も、まだまだと忸怩(じくじ)たる想いはあったでしょうが、僕には、落語家として素晴らしい業績を残せたと信じております。やり残したことがあるとしたら、きっとお弟子さんがつがれるでしょうから、出来る限りのお手伝いをしたいと思います。とにかく仲間を失って、残念です。無念です。みんなが立ち直れるまで、時間はかかるかわかりませんが、がんばります。松喬さんの分まで、みんなで盛り上げて行きたいと思います。どうか、やすらかにお眠り下さい。合掌
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