沢木耕太郎 銀の街から

「おみおくりの作法」 孤独な死を送る男 最後の旅

  • 文 沢木耕太郎
  • 2015年2月4日

写真:孤独死した人の葬儀を執り行う公務員ジョン・メイ(エディ・マーサン) 孤独死した人の葬儀を執り行う公務員ジョン・メイ(エディ・マーサン)

 これは、普通の人が普通のこととして行っている行為が、いつの間にか私たちには特別な人が行う特別な行為のように見えてくる、という不思議な物語である。

    ◇

 あまり風采の上がらない中年男のジョン・メイは、ロンドンの地区センターで民生係をしている。それも、受け持ちの地域でひとりきりで住んでいる人が亡くなると、死後に必要なことのいっさいを取り仕切るのが仕事の民生係である。どこかに身寄りはいないかを調べ、見つからなければ自分が唯一の参列者となる葬儀を行う。部屋に残された少ない手掛かりから宗派を特定し、教会を決め、葬儀で流す音楽を考え、空いている墓地を探して埋葬する。

 その彼はと言えば、やはりひとりきりで暮らしており、仕事を終えて部屋に帰れば、決まって魚の缶詰を皿にあけて夕食とするような暮らしをしている。だが、狭い部屋の中はきちんと片付けられており、規則的に出勤し、規則的に帰ってくる。

 ただ、ひとつだけ少し変わったところがあるとすれば、担当した死者が残した写真を、葬儀のあと部屋に持ち帰り、アルバムに貼ることかもしれない。まるで、自分の思い出のアルバムに親類か友人の写真でも貼るかのように。

 孤独な死を迎えた人の最後を孤独に生きる人が取り仕切る。

 だが、監督のウベルト・パゾリーニは、そのジョン・メイの孤独な生活を、必ずしも哀(かな)しいものとしては描いていない。

 ひとりの男が、自分の引き受けた仕事を、自分が納得できる方法で行っているだけなのだ。私たちも、そう理解できてくるに従って、彼の生き方の川の流れのような自然な美しさに心が動かされるようになってくる。

    ◇

 この、ジョン・メイの静かな日常と静かな仕事ぶりを描く静かな物語に不意に波風が立つ。

 彼の仕事ぶりは誠実で丁寧なものだが、上司の眼(め)には時間と金を無駄に使っているだけのものと映っている。身寄りを探すだの、葬儀をするだの面倒なことを言わず、さっさと火葬してしまえばいいではないか。死者の想(おも)いなどというものに顧慮する必要はないのだと。

 そこで、地区センターの業務が統合されるのを機に、彼のクビを切ることにする。ジョン・メイは黙ってその宣告を受け入れるが、ひとつだけ珍しく自己主張をする。自分の部屋の近くで死んだ老人の件だけは最後まで自分にやらせてほしいと。

 こうして、死者の身寄りを探す最後の旅が始まるのだ。僅(わず)かな手掛かりから知人を見つけ、彼らを訪ねては、頼み込む。

 「葬儀に出てくれませんか」

 故人が厄介者だったせいか、皆にすげなく断られる。だが、この旅によって、ジョン・メイのモノトーンの生活に、微(かす)かな色彩が入り込みはじめる……。

    ◇

 ストーリーに派手なところはなく、主演のエディ・マーサンにもまったく派手なところはない。

 しかし、見終わって、ひとつの小さな奇跡を見たという不思議な余韻に包まれる。

 残念なのは「おみおくりの作法」という邦題である。原題の「スティル・ライフ」をどのようにタイトル化したらいいのか迷った末のことだろうということは理解できるが、この邦題によって「おくりびと」に類したものではないかと思わせてしまうことを恐れる。この「おみおくりの作法」は、最近見た映画の中でも、際立ってすぐれた作品だったような気がするからだ。間違いなく、九十分という短い時間の中に、静謐(せいひつ)だが豊饒(ほうじょう)な世界が詰まっていた。

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