映画俳優が齢(とし)を取る。そのとき、彼、あるいは彼女はどのように年齢と向き合うことになるのか。老いを老いのままに演じるのか。老いを徹底的に隠そうとするのか。あるいは、スクリーンに出ることを拒んで意識的に消えていくのか。
バルト三国のひとつエストニアは、美しい森と暗い冬の国である。その冬に、アンヌは、長く介護していた母を失う。夫とは離婚し、子供たちは家を出ている。アンヌは、そこで、本当にひとりきりになってしまう。
そのアンヌに、かつて働いていた老人ホームの上司から、パリに住むエストニア出身の老女の世話係にならないかという話が持ち込まれる。パリは彼女にとって憧れの地でもあった。若い頃、フランスの歌を聴き、フランス語を学んでいたこともある。子供の勧めもあり、雪のエストニアから、ひとり雪のないパリに向かうことになる。
アンヌが赴いたのは、趣味的な調度に囲まれたアパルトマンで暮らすフリーダという老女のもとだった。だが、彼女は、一筋縄ではいかない、暴君的なところのある老女だった。
朝、パンとハムにチーズというごく普通の朝食を作っても手をつけようとしない。途方に暮れ、直接の雇い主であるカフェのオーナーであるステファンに会いにいくと、フリーダは朝食には紅茶とクロワッサンしか口にしないのだと教えられる。
翌日、スーパーで買ってきたクロワッサンを出すと、フリーダに突き返される。これは本物のクロワッサンではない、と。その日、アンヌは街のパン屋、ブーランジュリーに行ってクロワッサンを買うことを覚える。
こうしてアンヌはひとつひとつフリーダと共に生活していく方法を学んでいくのだ。
それはまた、憧れの街であるパリとの生活を始めるということでもあった。夜、フリーダが寝たあと、アンヌはひとり外出して街を散歩する。その深夜のパリはアンヌを癒やし、結果としてフリーダとの関係を円滑にさせていくことになる。そして、アンヌは、しだいにフリーダの孤独な生活の淵源(えんげん)を理解していくようになる。
雇い主のステファンは、息子のような年頃だが、かつての愛人だったらしいこと。フリーダの援助で店を持てたこと。それによっていまもフリーダの面倒を見ているらしいこと……。
この寓話(ぐうわ)的な物語をリアルなものにしているのは、フリーダを演じているジャンヌ・モローの圧倒的な存在感である。
今年で八十五歳になる彼女には、たとえ往年の彼女を知らない観客が見ても、これはただ者ではないという印象を受けるに違いない凄(すご)みがある。「老醜」に近い風貌(ふうぼう)とスタイルをそのままさらけ出しながら、彼女自身の華麗な過去と、癖の強い富裕な老女という役柄の過去とを巧みに重ね合わせることで、無残な神々しさとでもいうべき不思議な輝きを発している。
やがて、うまくいきかかったアンヌとフリーダとの生活に亀裂が入る。アンヌの善意をフリーダが厳しく拒絶するのだ。
だが、最後に、この亀裂に、ある「修復」が施される。
それは、この「クロワッサンで朝食を」の世界を支配し、君臨しているのが、ライネ・マギが演じるアンヌではなく、やはりジャンヌ・モローのフリーダだったということを物語るものになっている。
「ここはあなたの家よ」
フリーダがアンヌに言う。その言葉をどう理解すればいいのか、アンヌに微妙な表情が浮かぶ。それは、この映画の結末をどう理解すべきか、観客に向けて投げかけられたジャンヌ・モローの演技の罠(わな)でもある。
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