複線型のすすめ

震災を機に外資系企業を退社 井出留美さん(上)

  • 文 松崎幸治
  • 2013年5月7日

写真:井出留美(いで・るみ)<br />
1967年、東京生まれ。89年〜94年、ライオン家庭科学研究所勤務。94年〜96年、青年海外協力隊員としてフィリピンで活動。96年9月から半年間、書店営業部勤務。97年〜2011年、日本ケロッグ広報室勤務。<br />
株式会社「office3.11」代表取締役、「セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)」広報室長、女子栄養大学非常勤講師井出留美(いで・るみ)
1967年、東京生まれ。89年〜94年、ライオン家庭科学研究所勤務。94年〜96年、青年海外協力隊員としてフィリピンで活動。96年9月から半年間、書店営業部勤務。97年〜2011年、日本ケロッグ広報室勤務。
株式会社「office3.11」代表取締役、「セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)」広報室長、女子栄養大学非常勤講師

写真:日本ケロッグの支援物資を2HJのトラックで宮城県石巻市へ運ぶ=2011年4月26日、同市総合運動公園日本ケロッグの支援物資を2HJのトラックで宮城県石巻市へ運ぶ=2011年4月26日、同市総合運動公園

 2011年3月11日。井出留美さんが44回目の誕生日を迎えたその日、東日本大震災が発生した。シリアル食品を製造・輸入する日本ケロッグの広報室長として、一人で広報を担当していた井出さんは、被災地支援の業務に奔走することになる。

 現金は赤十字社を通じて寄付することができたが、問題は、牛乳無しで食べられるシリアル食品を現地に送ろうとした時に起きた。自社の物資の手配で農林水産省とやり取りしている間に、豪州など海外のケロッグから支援の申し出があった。農水省に受け入れ方法を確認したところ、首相官邸に尋ねるよう言われ、さらに厚生労働省、検疫所、税関、とたらい回しされることになる。最後の税関の答えは「港によって管轄が違います」。しかも、検疫所や税関には英語の申請書類がなく、井出さん自身が英訳する必要があった。とりあえず、国内にある自社分を優先することにした。農水省と話し合い始めてから10日後の3月22日、自社工場から10トントラック2台で22万800食を東京の横田基地へ搬送、そこからヘリコプターで現地に届けることができた。

 改めてその日、海外分の手配を進めようと首相官邸に電話したところ、「食料はもう足りています」「被災者は国産がいい、と言っています」が返答だった。被災地に入っていたNPOの情報では、一つのおにぎりを4人で分け合って食べている地域もあった。「大量の食料が届いた支援物資の集積所もあったのかもしれません。でも、末端では全然足りていなかった」。現場も見ずに、「足りている」と言ってしまう役所の姿勢に、井出さんは憤りを感じた。

 4月下旬、「宮城県の避難所で栄養不足が発生」という情報に接して、第2弾の支援を決めた。国を介しての配布支援は、4月20日で終了していた。以前から関係のあった「セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)」に協力を求めることにした。2HJは、賞味期限が迫ったり、包装の不具合といった問題から流通できなくなった食品を企業などから提供してもらい、食べ物に困っている人たちに届けるフードバンク活動を10年以上にわたって続けてきている。震災当日も東京・台東区の2HJオフィスで、帰宅困難者らに約4000食のスープなどの炊き出しをしていた。3月13日には理事長ら3人が支援物資を現地に届け、15日には第2陣が現地入りするなど、立ち上がりの早さ、活動量が群を抜いていた。

 その協力で第2弾の23万9700食を無事届けることができた。井出さん自身、4月25〜26日には2HJのトラックに乗って宮城県石巻市を訪れ、物資配布を手伝う体験をした。

 震災をきっかけに、日本ケロッグにも、5日間のボランティア休暇制度ができたが、井出さんは7月上旬までに5日間とも消化した。「もっと現地で活動したい」と思った。細切れの休みでは、現地での要望に応えられないとも感じた。

   *      *

 入社15年目、広報室長として幅広い業務を任され、仕事にはやりがいを感じていた。

 30歳で日本ケロッグに転職した井出さんは、幼いころから食に興味を持ち、大学では食品化学を学んだ。3つ目となる職場は待望の食品企業だった。最初は消費者・広報室室長の補佐として、1カ月で300件以上のクレームに対応した。苦情を寄せた客に謝罪するため、新潟や島根へ日帰り出張したこともある。いくら謝罪しても納得してもらえず、営業部長らと一緒に7回以上足を運ばざるを得ないケースもあった。

 顧客とのやりとりで臨床栄養に関する専門知識の不足を痛感して、入社翌年には女子栄養大学の科目履修生として栄養学を学んだ。「修士ぐらいとっておいた方がいい」という上司の勧めで、入社5年目、修士課程に進み、玄米や小麦ふすまの摂取と肌状態の関係を研究した。朝、出社した後、昼間の授業に出席し、戻って残業をしたり、土日に出社したりして就業時間の帳尻を合わせた。教授と1対1のゼミに遅刻しないよう、フレックス制度を利用して早く会社を出ることもしばしばあった。この年、上司である室長が早期退職した後は、井出さんが一人で広報と栄養関連の業務を任されることになった。業務の傍ら、博士後期課程に進み、東大の先生と一緒に、今度は腸内環境と肌の関係を研究した。

 こうした研究の成果をもとに、「玄米シリアルは肌によい」といったプレスリリースを出したところ、何度もマスメディアに採り上げられた。博士号を取得した後は、学校などで食育や栄養に関する講演に招かれるようになった。2000年から11年間、社長以下全社員に広報室ニュースレターを一人で通算1305号配信、日本経団連の社内広報大会や日本PR協会での講演を頼まれたりもした。2000年ごろ、国際協力機構(JICA)からフィリピンで食品加工をする専門家派遣の要請があった際は、上司の許可もおり、ミンダナオ島での爆弾テロさえ起きなければ、派遣が決まっていた。国際貢献への理解もあり、英語も学べて、責任ある仕事もできる。女性が働く場として、外資系企業の日本ケロッグは居心地がよかった。

 だが、被災地のことを考えると、現場に行きたい思いが募った。1カ月間ボランティアを体験したうえで、その後のことを考えようと、6月に入って韓国にいる上司に休暇を願い出た。しかし、一人しかいない広報担当が1カ月も休むことは認められなかった。安定した地位と収入を失うことへの不安や、友人らの反対もあった。だが、一生に一度起きるかどうかという惨状を目の当たりにして、「行動したい」という内なる声に従おうと思った。震災後、「現場も見ないで机に座って高給を得ている人」と「現場へ飛び込んで支援にまい進する人」の両方を見てしまったことも、井出さんの背中を押した。1週間後、退社を申し出た。

 話し合いの結果、2011年9月20日付の退社と決まり、最終出社日は7月29日となった。その日、同僚ら30人余りが送別会を開いてくれた。

(「井出留美さん」は3回のシリーズです。次回は5月14日に配信する予定です。)

     ◇

 仕事以外に打ち込んでいることが、何か、ありますか。生涯、仕事ひとすじで生きられる人生は、幸せなのかもしれません。でも、「右肩上がりの時代」は終わり、あなたの人生もいつ、突然、転換を余儀なくされるかもしれません。複線型で生きていれば、そんな時の対応が違ってくるのではないでしょうか。いろいろな分野で活躍されている方々の生き方を紹介する本シリーズから、何かヒントが見つかれば、幸いです。

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

PROFILE

松崎幸治(まつざき・こうじ)

1957年、香川県生まれ。1982年、朝日新聞社入社。86年から大阪本社・社会部で裁判などを担当、『AERA』編集部、東京本社・社会部を経て成田支局長に。「成田空港問題」を連載して出版。99年から電子電波メディア局で「朝日新聞デジタル」の前身「asahi.com」の編集。知的財産センターなどを経て2012年からデジタル事業本部へ。現在、「朝日新聞デジタル」内の新ウェブマガジン「&M」担当。2001年から1年間育児休業取得。

あなたの希望に沿った不動産情報・マンション情報を検索!

カテゴリ
都道府県
面積

おすすめ

カーナビやハンズフリー通話、音楽再生など、スマホを車やバイクにも活用しよう

よく見る「8?12畳用」の記載。本当の意味を知っていますか?

二重構造の真空断熱で、高い保冷・保温効果を発揮するスポーツボトル

3千円の扇風機と3万円の扇風機には、根本的に大きな違いがあった

人気の浄水器ブランド「トレビーノ」の名を冠した、髪と肌に優しいシャワーヘッドが人気

ちょっとした小雨には、防水素材を使ったレインハットを。UVカットで紫外線からも守ってくれる


Shopping

美人記念日