複線型のすすめ

出世コースを外れ、起業 笑っている父親(6)

  • 文 松崎幸治
  • 2013年8月6日

写真:金柿秀幸(かながき・ひでゆき)<br />
1968年生まれ。妻と中学生の長女。92年にシンクタンク・富士総合研究所に入社し、2001年3月に退社。01年10月に「ゴールデン・サン」を創業、02年4月にWEBサイト「絵本ナビ」をオープン。05年、社名を「絵本ナビ」に変更金柿秀幸(かながき・ひでゆき)
1968年生まれ。妻と中学生の長女。92年にシンクタンク・富士総合研究所に入社し、2001年3月に退社。01年10月に「ゴールデン・サン」を創業、02年4月にWEBサイト「絵本ナビ」をオープン。05年、社名を「絵本ナビ」に変更

 大手シンクタンクで出世コースに乗っていたものの、家庭を顧みる余裕もないまま「企業戦士」として働き続ける生き方に疑問を感じた金柿秀幸さん(44)は、32歳のとき、学生時代から考えていた起業を決意して退社した。長女誕生の2カ月後のことだ。絵本探しに苦労した自らの体験をもとに、ユーザー参加型の絵本の情報サイト「絵本ナビ」を立ち上げる。資金繰りに苦しんだ時期もあったが、今では年間の利用者500万人、読者の投稿20万件以上、絵本を30万冊以上売り上げ、「楽天ブックス」などにも絵本関連のコンテンツを提供するまでになった。成長指向のベンチャー企業として目指している組織のビジョンは、「ハードワーク。でも、子どものためならいつでも休める会社」だ。

     *    *

<都銀系のシンクタンク「富士総合研究所」(現「みずほ情報総研」)で、システムエンジニアとして企業の業務改革や情報システムの構築を担当した。入社9年目、同期約110人の中でもっとも早く、本社の経営企画部門(総合企画部)に異動、会社の中期経営計画の作成や、「みずほ」合併に向けた業務に関わったりした。>

 8年間でシステムエンジニアとして4つのプロジェクトを担当しました。大きな会社のシステム開発プロジェクトの受注競争では、価格勝負になりがちです。その結果、通常3人でする業務を2人でこなしたり、現場の工夫で2時間早く仕事を終えても、その2時間で次の仕事をしたり、とにかく労働時間が信じられないぐらい長い。業界の構造的な問題ですが、土日フルに休めることはなく、退社は終電後になることも多く、しばしばタクシーで帰宅しました。ピーク時には、二十数日連続休みなし、ということもありました。残業代がすべてついていた頃は給料も高かったですが、途中から裁量労働制が導入され、部下の協力会社の人のほうがずっと給料が高くなる、といったことも起こりました。

 本社に異動しても長時間労働は同じ。午後9時、10時に退社する際は、「お先に失礼します」と申し訳なさそうに部屋を出るといった感じでした。「何日も家に帰っていない」とか、「子供から『次はいつ来るの』と言われた」とか、先輩たちは半ば自嘲気味に話しながらも、企業戦士として働いていることに誇りを持っていました。私自身も仕事が好きで、「仕事に命をかけるのが男だ」という価値観をもっていました。倒れそうになるまでがむしゃらに働くことで給料も上がり、それが家族の幸せにつながると思っていました。

 夕飯もほとんど一緒に食べられない毎日に、妻からは「何のために結婚したのかしら」と言われたこともありました。でも、当時は「内助の功」でもっと支えて欲しいとすら思っていました。今から考えると、とんでもない話ですが、子どもができるまでは仕事と家庭について深く考えることなく、大きな疑問も持っていなかったのが実情だと思います。

<金柿さんの働きぶりは、父親から大きな影響を受けたようだ。ジャスコ(現イオン)に大卒一期生として入社した父親は30代で取締役、40代で常務となり、次々と新規事業を立ち上げた。>

 父も「男は仕事が第一」と考える人でした。転勤が多く、出張で家を空けることもしょっちゅうありました。私が大学生の時、米国の会社とジャスコとの合弁事業「レッドロブスタージャパン」の立ち上げを父が担当、初代の日本人社長となり、全国に店舗展開をしていきました。米国視察の際は私も同行させてもらい、プライベートジェットで飛び回ったりしました。父から新規事業立ち上げの話もいろいろ聞かせてもらい、その活躍する姿に憧れました。

 私は学生時代に起業を考えましたが、当時はインターネットも普及しておらず、小資本でできそうな事業は、飲食店か学習塾ぐらいしか思いつきませんでした。それも、知識があまりになくて、人を雇ったり物件を借りたりする方法も分からず、自分が何もできないことに愕然としました。そんな経験もあり、今後大きく伸びていくであろうITの世界で修業できそうな会社としてシンクタンクを選び、就職しました。

<2000年春、妻の妊娠が分かった。予定日は翌年の1月。>

 子どもができると知って、将来の自分をイメージしてみました。4000人以上の社員が働く会社で、そこそこのポジションにいて、給料も悪くはないのですが、長時間労働で家庭を顧みる余裕なく働き続けたらどうなるのだろうか、と。会社から帰って来ても、だれも「お帰り」って言ってくれない。郊外に家を持ち、長距離通勤して家族のために一生懸命働いても、家族の気持ちはばらばら、という将来の家庭の姿が頭に浮かんできました。

 そんな将来になるのであれば、たとえ険しい道であっても自ら生き方をデザインできる道に賭けてみたい。そう考え、退社して起業することを決意し、必死で新規事業について考えました。いけると思った事業アイデアもありましたが、大手企業が同種サービスを開始すると発表したり、何をやるかはなかなか決まりませんでした。それでも、年が明けてすぐ、上司に「娘がもうすぐ生まれるので退社します」と伝えました。あのタイミングで辞めないと、そのままずるずる会社に残る道を選んでしまう恐れを感じたからです。

<上司からは、後任がすぐ見つからないことなどを理由に、年度末まで留まるよう説得され、結局、金柿さんが退社したのは、長女が誕生して約2カ月後のこととなる。>

 (「笑っている父親」の「金柿秀幸さん」は3回のシリーズです。次回は8月20日に配信を予定しています。)

        ◇

 仕事以外に打ち込んでいることが、何か、ありますか。生涯、仕事ひとすじで生きられる人生は、幸せなのかもしれません。でも、「右肩上がりの時代」は終わり、あなたの人生もいつ、突然、転換を余儀なくされるかもしれません。複線型で生きていれば、そんな時の対応が違ってくるのではないでしょうか。いろいろな分野で活躍されている方々の生き方を紹介する本シリーズから、何かヒントが見つかれば、幸いです。

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PROFILE

松崎幸治(まつざき・こうじ)

1957年、香川県生まれ。1982年、朝日新聞社入社。86年から大阪本社・社会部で裁判などを担当、『AERA』編集部、東京本社・社会部を経て成田支局長に。「成田空港問題」を連載して出版。99年から電子電波メディア局で「朝日新聞デジタル」の前身「asahi.com」の編集。知的財産センターなどを経て2012年からデジタル事業本部へ。現在、「朝日新聞デジタル」内の新ウェブマガジン「&M」担当。2001年から1年間育児休業取得。

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