複線型のすすめ

転職6回、ヒマラヤにも挑戦 笑っている父親(12)

  • 文 松崎幸治
  • 2013年9月24日

写真:東浩司(あづま・こうじ)<br />
1971年、愛知県出身。妻と5歳と2歳の娘。93年〜富士ゼロックス総合教育研究所、2000年〜REIジャパン、01年〜キャリアビジョン、02年〜個別指導の学習塾、04年〜キャリアライズなど転職を繰り返し、08年に株式会社「ソラーレ」を創業東浩司(あづま・こうじ)
1971年、愛知県出身。妻と5歳と2歳の娘。93年〜富士ゼロックス総合教育研究所、2000年〜REIジャパン、01年〜キャリアビジョン、02年〜個別指導の学習塾、04年〜キャリアライズなど転職を繰り返し、08年に株式会社「ソラーレ」を創業

 企業研修の会社、アウトドアショップ、居酒屋のワタミ、学習塾など、異業種の職場を転々と6回変わった東浩司さん(42)は、その間ヒマラヤに登ったり、うつ病を患ったりもした。長女が生まれたのを機に会社勤めをやめて、独立を決意する。企業や自治体に出向いてワークライフバランスなどの研修を行ったり、大学生の就職カウンセリングをしたり、地域活動の支援をしたりして生計を立てる一方、父親の子育て支援をするNPO法人「ファザーリング・ジャパン」の理事となり、日本初の「父親学校」を立ち上げ、笑顔の父親を増やすことに注力している。

     *     *

<1993年、企業研修をしている「富士ゼロックス総合教育研究所」に新卒で入り、6年間、営業マンとして働いた。>

 大阪大学ではサイクリング部に所属して、1年の3分の1は全国各地へ自転車旅行をしていました。時代はバブルのころで、すさまじい勢いでリゾート地化が進められ、護岸は埋め立てられ、自然が失われていました。何とかしたいと、4年の時に環境保護のボランティアを始めました。働くことのイメージがわかなくて就職活動に熱が入らず、会社説明会へは普段着で出席していました。ボランティア活動で知り合った富士ゼロックスの社員から紹介された子会社は、第一印象もよく、仕事のイメージも持つことができました。

 1年間の新人研修期間が終わり、2年目から営業に回りましたが、全然、契約が取れません。商談のスキルを向上させる研修の売り込みをしたところ、「東さんも、その研修を受けたの」と問われ、「はい」と答えたら、「だったら、いらない」と断られました。私の自信なさそうな営業ぶりでは、説得力がなかったのでしょう。バブルがはじけて、どの会社も最初に研修費・教育費を削っていたので、先輩たちも苦戦していたのですけれど・・・。

<入社4年目、トップセールスの先輩に一から指導し直してもらう機会を得た。>

 外回りをしてみて、自分が営業に全然向いていないことが分かりました。先輩には「営業のレベルは入社半年の新人のようだ」と言われ、イチから指導されました。一方で、私のクライアントとの商談に同行してくれ、契約が取れると私の実績にしてくれました。先輩のサポートのおかげなのですが、営業目標を達成すると私に対する周囲の評価はとたんに上がりました。内実はともあれ、ほめられることで自信がふくらみ、仕事も楽しくなりました。

 コンペで1億円という大型提案をしたところ、運良く落札されました。1件の契約としては会社の新記録でした。その2年後にはチームの一員として社長賞も受賞しました。営業目標の達成率ではトップクラスの成績が残せるようになり、退社するまでに1000社以上の企業を訪問しました。でも、毎年、前年の数字を上回る成績を求められることがしんどくなり、目標としていた先輩が家業を継ぐために退社したこともあり、気持ちの張りがなくなりました。

 しばらくして、アメリカの有名なアウトドアショップ「REI(Recreational Eqipment Inc.)」が日本に出店すると雑誌で知り、「オープニングチームに加えてほしい」と英文の手紙を米国本社に送りました。かねてからアウトドアの仕事をするのが夢で、採用される確証のないまま会社を辞めました。28歳の時のことです。上司からは引き留められましたが、数字だけが評価される働き方を続けることに不安を感じたからです。

<2000年4月に東京・町田市で開業したREIの日本1号店で働き始めたが、1年余りでクビになる。>

 REIには、カスタマーサービスのリーダーとして採用されました。社員が約30人、アルバイトが約100人おり、私は20人のチームのリーダー。勤務のシフトを組んだり、お客さんからのクレームへの対応もしたりしました。休みには店の仲間と山登りをして、登山客らに名刺を配って店のPRもしました。イベント担当に異動してからは、カヌーイストの野田知佑さんや元F1ドライバーで登山家の片山右京さんら、憧れの人を呼んでイベントを開いたり、冒険家の九里徳泰さんにお願いして、「冒険塾」という連続講座を開いたりしました。仕事は面白かったのですが、売り上げにはなかなか貢献できなかったですね。

 01年6月、米国本社の社長が来店し、「年内に店を閉鎖する」と告げられました。店内が閑散としてきており、経営的に厳しそうだと薄々感じていましたが、突然のクビの宣告に頭が真っ白に。間接部門にいた私は10日後に退社となりました。失業保険をすぐ受給でき、退職金にプラス100万円余りが支給されたので、当面の生活費は心配ありませんでした。

 すぐに働く気持ちになれず、夏の間は北海道で友人の農業を手伝い、神奈川の自宅に戻ってブラブラしていると、九里さんから「暇ならヒマラヤにいこうよ」と声をかけられ、世界第6位の「チョ・オユー」のヒマラヤ登山隊に参加しました。エベレストの頂きも見えた5500メートルのベースキャンプで3週間過ごしました。私自身は6300メートル付近で高山病にかかって動けなくなりましたが、九里さんと片山さんは登頂に成功。片山さんの要望に応えて、世界でもっとも高い場所に露天風呂を作ったのは、いい思い出です。

        ◇

 仕事以外に打ち込んでいることが、何か、ありますか。生涯、仕事ひとすじで生きられる人生は、幸せなのかもしれません。でも、「右肩上がりの時代」は終わり、あなたの人生もいつ、突然、転換を余儀なくされるかもしれません。複線型で生きていれば、そんな時の対応が違ってくるのではないでしょうか。いろいろな分野で活躍されている方々の生き方を紹介する本シリーズから、何かヒントが見つかれば、幸いです。

(「笑っている父親」の「東浩司さん」は3回のシリーズです。次回は10月1日に配信する予定です。)

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PROFILE

松崎幸治(まつざき・こうじ)

1957年、香川県生まれ。1982年、朝日新聞社入社。86年から大阪本社・社会部で裁判などを担当、『AERA』編集部、東京本社・社会部を経て成田支局長に。「成田空港問題」を連載して出版。99年から電子電波メディア局で「朝日新聞デジタル」の前身「asahi.com」の編集。知的財産センターなどを経て2012年からデジタル事業本部へ。現在、「朝日新聞デジタル」内の新ウェブマガジン「&M」担当。2001年から1年間育児休業取得。

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