複線型のすすめ

うつ病の原因は自分の傲慢さ 笑っている父親(13)

  • 文 松崎幸治
  • 2013年10月1日

写真:学習塾で代表賞を受賞した際、インセンティブとして家族同伴のサイパン旅行に招かれた。新婚旅行代わりに、妻を同伴した=2003年10月、サイパンで学習塾で代表賞を受賞した際、インセンティブとして家族同伴のサイパン旅行に招かれた。新婚旅行代わりに、妻を同伴した=2003年10月、サイパンで

 2つの会社を辞めて、ヒマラヤ登山を経験した東浩司さん(42)は、ゼロからやり直そうとベンチャー企業に就職する。だが、そこも長続きはせず、学習塾に転職。しかし、ノルマの厳しさや長時間労働が原因で、うつ病を発症した。そんなとき、ある本を読んだことをきっかけに、すべての原因は自分自身にあると気づくことができ、症状も徐々に回復する。1カ月に500時間、マシンのように働き、社内で表彰される成果を挙げ、それを区切りに1年3カ月勤めた塾を退社する。

笑っている父親(12)はこちら

     *     *

<ヒマラヤから戻り、求人誌で見つけた「キャリアビジョン」というベンチャー企業に2001年12月に就職した。>

 ヒマラヤという極限の地に行けば、今後の人生の指針のようなものが見つかるかもしれないと淡い期待を抱いていました。でも、天啓のようなものは降りてきませんでした。アウトドア系の生き方を模索していたのですが、登山隊の人たちはみんな「山で死んでもいい」と話すのを聞いて、自分はそこまでの覚悟はないと悟りました。カトマンズに滞在しながら、このまま海外放浪でもしようかと考えていたとき、付き合っていた彼女から帰って来て欲しいというメールが届きました。30歳になっており、いつまでも漠然とした夢を追うのではなく、ゼロからやり直そうと決めて帰国しました。

 社長以下8人の「キャリアビジョン」という会社に入社しました。「ワタミフードサービス」が出資しており、採用代行や宴会予約の受け付けなどを請け負っていました。やり手の社長に対して、よかれと思って率直に意見をしたところ煙たがられてしまい、ワタミ本体の人材開発部に出向することになりました。

 本社の人事企画として、社員教育を主に担当しました。午前7時から始まる研修準備のために5時に出社すると、創業者の渡邊美樹社長がすでにオフィスにいることもよくありました。お店は夜の業態なので、クレーム対応などがあれば帰宅が零時を回ることもしばしばありました。

 当時のワタミは居酒屋しか運営しておらず、店長になった後はグループマネージャーになるか本社勤務しかなく、先のキャリアパスがありません。新たなキャリアとして昼間の仕事や独立制度などを提案しましたが、中途採用で店長経験のない私の提案では説得力がありません。店長を志願しようと考えましたが、妻から「昼夜逆転の生活になったら夫婦すれ違いで絶対に離婚する」と反対されました。妻からの懇願で、居酒屋をやりたいわけではなかったと思い至り、退職することになりました。

<02年9月に「キャリアビジョン」を退社、3カ月後に個別指導の学習塾に転職する。>

 学習塾では、教室の運営方法など導入研修を2カ月受けました。洗脳教育的な研修の仕方に反発を感じ、この会社は合わないなと最初の2週間で思いました。働いてみて私にとっては、ワタミ以上にブラックな会社だと痛感させられることになります。

 研修の最終日、人事から「東さんは言うことをきかないから、うまくやっていけない。試用期間だから、辞めてもらいます」と告げられました。ワタミも中途半端に退社しており、同じことの繰り返しはまずいと思って必死に謝り、とどまれることになりました。研修合宿が終わって自宅に戻り、翌朝目が覚めると胸に穴が開いたような感覚がありました。クリニックへ行くと、予想通り、うつと診断されました。配属されたのは、講師150人を抱える最大規模の教室。一番忙しい教室なら自主的に退社するだろうと考えたのだと思います。うつで気分が重く、仕事のミスも多くて、いつクビになってもおかしくない状態でした。

 4カ月後、別の教室へ室長代理として異動すると、室長から毎朝、新規の生徒獲得目標を尋ねる電話があり、あまりのプレッシャーに電話を受けながら鼻血が出たこともありました。夜の成果確認の電話に「ゼロ」と答えると呼び出されて、「お前は人間のくずだ」「人間失格だ」といった罵声を終電の時刻が過ぎても浴びせられました。

 うつの症状は重かったものの、何とか、毎日出社はしていました。1年半薬の服用を続け、週に1回通院し、月に2、3回はカウンセリングも受けていました。食欲はなく、なかなか寝付けず、70キロあった体重は50キロに減りました。小田急線のホームから飛び降りそうになったことも何度かありました。当時の記憶があまりないのですが、明確に死にたいというより、仕事が苦しく、この先の展望が真っ暗で、あまりにつらいため、このまま消えてしまいたいという気持ちだったと思います。ただ、大学時代の友人が自殺したときに残された人間の悲しみや苦しみを知っていたことで、何とか思いとどまれました。

<スピリチュアリストの江原啓之さんの本を読んだのがきっかけで、うつ症状は少しずつ改善していく。>

 それまでは、自分には運がない、周囲が悪い、とずっと思っていました。そうしたときに江原さんの本を読んで、うつの原因は自分の傲慢さにあると考えられるようになりました。国立大学を卒業し、新卒入社の研修会社で大企業相手にコンサルティングをしてきたという変なプライドが邪魔をして、その後勤めた会社では、周囲とうまく折り合うことができませんでした。全ての問題は自分に原因があることを受け入れられたあたりから、徐々に症状が回復しました。

 学習塾はハードワークで、夏期講習のある03年8月は1日16時間、1カ月で500時間、休みなしで働きました。残業代なんて出ません。教室に寝袋を持ち込んで泊まり、目が覚めたら掃除をして、朝7時には教室を開け、生徒の獲得戦略を考えたり、生徒の管理カルテを整理したり、朝から晩まで感情を押し殺してマシンのように動き回りました。むちゃくちゃな要求をしてくる室長も仕事はできる人で、新規の生徒をどんどん獲得しました。その結果、150ある教室の中で目標の達成率は1番になって代表賞を受賞。社内の顧客満足度調査でもNo.1になり、給料分は返せたなと自分なりに納得できたので04年2月、33歳の誕生日を迎える直後に退社しました。

(「笑っている父親」の「東浩司さん」は3回のシリーズです。次回は10月8日に配信する予定です。)

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

PROFILE

松崎幸治(まつざき・こうじ)

1957年、香川県生まれ。1982年、朝日新聞社入社。86年から大阪本社・社会部で裁判などを担当、『AERA』編集部、東京本社・社会部を経て成田支局長に。「成田空港問題」を連載して出版。99年から電子電波メディア局で「朝日新聞デジタル」の前身「asahi.com」の編集。知的財産センターなどを経て2012年からデジタル事業本部へ。現在、「朝日新聞デジタル」内の新ウェブマガジン「&M」担当。2001年から1年間育児休業取得。

あなたの希望に沿った不動産情報・マンション情報を検索!

カテゴリ
都道府県
面積


Shopping

美人記念日