スポーツMONO語り

日本人初MotoGPチャンピオンを目指すライダーの「日の丸を背負うヘルメット」

  • Moto2ライダー・中上貴晶選手
  • 2017年9月13日

提供:本田技研工業株式会社

 レース中のライダーは耳栓をしていて、自分のエンジン音以外は聞こえないという。唯一聞こえるのは、後ろのバイクが0.5秒まで迫ってきたときに聞こえる音。真後ろにつかれながら、一瞬のミスも許されない緊張状態のなか300キロに迫るスピードで走るのは、どんな気持ちなのだろう?

提供:本田技研工業株式会社

 2017年7月30日11時30分にスタートした『鈴鹿8耐』は、40回目を迎えた伝統ある耐久レースだ。ライダーが3人交代で、1周5.8キロの鈴鹿サーキットをトップチームは2分7~8秒台で走る。8時間後の19時30分を過ぎてトップでチェッカーフラッグを受けたチームが優勝で、周回数は200周を超える。
 天候に左右されるドラマチックな展開と、国内外で活躍するライダーが走る華やかな雰囲気から、バイクレースの真夏の祭典として多くのファンが詰めかける。
 2010年から5年間はホンダが5連覇していたが、2015・2016年はヤマハが優勝しており、今年はホンダが優勝を奪還できるか注目が集まっていた。

 世界選手権Moto2で戦う中上貴晶は、ホンダの鈴鹿8耐優勝のために『MuSASHi RT HARC-PRO. Honda』に招かれた。チームメイトは、8耐で三度の優勝経験がある高橋巧とMotoGPライダーのジャック・ミラーという経験豊富な二人。事前のテストでは好タイムを出し、優勝の期待は高かった。
 決勝戦でMuSASHi RT HARC-PRO. Hondaは4番手から出走し、スプリントレースのような1位争いを繰り広げる。ジャック・ミラーから2位でライダー交代した中上は、60周目に2分7秒824のベストタイムを出して1位との差を2秒184まで縮める。この勢いなら1位になるのは確実だと思った71周目、中上はホームストレートに帰ってこなかった。ヘアピンカーブで転倒したのだ。すぐに再スタートしてピットインし、マシンを修復して4位でコースに戻るが、終始1位を守ったヤマハチームには届かず、4位でゴールした。何が起こるかわからない8時間だが、ヤマハは何もトラブルを起こさなかった。

 「転倒するときは限界を超えている感覚があるので、転ぶ予感がするんです。でも、あの71周目にはその予感が無かった。落ち着いて無理なく走っていたので、転んだときは自分で“まさか”と思いました。」
 転倒することは怖くないという。恐怖よりも、早くアクセルをあけたい気持ちと、攻めすぎる気持ちを抑えるぎりぎりの精神力が勝っている。バイクレースには、F1のようにピットと会話する無線はない。走り出したら、ライダーは自分の経験と判断を信じて、孤独に戦うのだ。

『IDEMITSU Honda Team Asia』中上貴晶選手

 バイクレースの最高峰『MotoGP』は、ヨーロッパではサッカーと並ぶ人気のあるスポーツだ。そこで優勝争いをするバイクは、ホンダやヤマハなど日本のメーカーが活躍しているが、この4年間日本人ライダーは参戦できていなかった。
 今年8月、MotoGPの一つ下のクラス『Moto2』で戦う中上貴晶(25歳)が、2018年からMotoGPに参戦すると発表された。世界最高峰のバイクレースに参戦するライダーで唯一の日本人だ。中上は一歩、夢に近づいた。

10歳から、MotoGPチャンピオンになるのが夢だった

 中上は、両親からポケバイをプレゼントされたのをきっかけに4歳からバイクに乗り始めた。5歳で初めてレースに出るが、結果は最下位。そこから中上は練習に明け暮れる。
 「本当に毎日、練習しました。ビリになったのが悔しくて火がついたのだと思います。両親が働いていたので、仕事終わりに練習に行ったのを覚えています。子どもの頃からずっとバイクに乗っていました。」

  

 9歳のときにミニバイククラスで全国優勝し、14歳で全日本ロードレース選手権125ccクラスを史上最年少で全戦全勝した。
 「10歳から、世界チャンピオンになりたいと思っていました。日本のレースで優勝してチャンピオンになっても、満足したことはありません。次へ次へと、世界一にたどり着くまでの壁を壊していくイメージでレースをしてきました。子どもの頃から、人一倍努力をしないと勝てないと思っていました。だから、結果を出してもずっと練習をしてきました。」

 日本で圧倒的な成績を残し、14歳でスペイン選手権に、16歳からは世界選手権125ccクラスに参戦した。中上の初めての大きな挫折はこのときだろう。2年間出場した世界選手権で結果を残せなかった。当時を振り返って中上は、「本当に自分の遅さを実感したし、海外のライダーと能力の違いを見せつけられました」と語った。

努力だけでは、勝てない

提供:本田技研工業株式会社

 モータースポーツで勝つためには、早く走るマシンと優秀なメカニックが必要だ。所属するチームの財力は、ダイレクトに結果に繋がる。中上は、日本を出てスペイン選手権に参戦したときにチーム運営の難しさを知った。
 「それまでは親のお金でレースをさせてもらっていて、辛いときも両親は無理をして走らせてくれていました。スペインに行ったらチームとの契約やお金のやり取りがあって、そこからレースに出て勝つことの難しさがわかってきました。」
 中上は、努力して練習するだけでは世界チャンピオンになれないことを知ったのだ。わずか14歳で!

 結果が残せなかった中上に翌年のシートは無く、18歳で日本に戻る。当時のバイクレースでは、海外挑戦した選手が“出戻って”くると、もう一度世界に出ることは難しかった。
 「本音を言えば、日本に戻らず世界選手権で戦いたかったです。日本に戻ったとき周りからは、中上は終わったと思われていたし、実際にそう言われました。僕も心のどこかで、世界に戻れなかったらどうしようと思っていたけれど、このままでは終われない目標があるという気持ちのほうが強かった。じゃあ、世界に戻る最初の日本人になろうと決めました。」

 全日本選手権に戻った中上は、参戦したすべてのレースでポールトゥウィンという圧倒的な強さを発揮し、20歳で有言実行を果たす。Moto2にシートを得たのだ。

提供:本田技研工業株式会社

挫折から学んだ「考えること」

 結果として、日本に戻ったことは中上にとって良い機会になった。なぜ早く走れないのかを冷静に考える時間になったという。
 「僕が世界選手権から弾かれたのはどうしてなのか、何が足りないのか考えました。ゴールまで走り続ける体力と、どのサーキットでも早く走る技術やメンタルの強さ、すべてを高いレベルでやらないと結果は残せない。そのためには、ベストコンディションのバイクが必要です。でもコースの状態は雨や風で変わるし、路面温度でバイクの動きは変わるから、常にいい状態のバイクにするのは難しいんです。」

提供:本田技研工業株式会社

 「僕は、国内レースでは一生懸命に楽しく走れば勝てたから、考えて走るタイプではなかった。勢いで走って感じたことをメカニックに伝えるだけで、このバイクの症状だったらこうしてほしいと伝えられなかったんです。でも、世界では通用しなかった。全日本に戻ったときに、バイクの状況を伝えて意見を言える知識をつけるために勉強しました。絶対に世界に戻ると自分にプレッシャーをかけ続けてメンタルが追い込まれたけれど、それを力にして這い上がることができたから、人間としても成長できたと思います。」

日の丸を背負う覚悟のヘルメット

 ライダースーツを着てヘルメットをかぶった状態で戦うライダーにとって、ヘルメットのカラーリングは個性が出るもう一つの顔だ。
 「映像でメインに映るおでこの部分に日の丸を入れています。世界選手権に出ている日本人は少ないし、僕は日本代表で戦っているという気持ちも強いので、ずっと日の丸を入れています。」

てっぺんを赤く、周りを白くして、頭頂部を日の丸モチーフにしている
提供:本田技研工業株式会社

 レースには4つのヘルメットを持ち込む。転倒して頭を打った場合の予備と、天候によって変えるためだ。目の部分を覆うシールドはダークからクリアまで数段階の明るさがあり、晴れの場合は眩しさを軽減するダークシールド、夜の走行は透明、雨の日は水が入らないように隙間を埋めた雨用など使い分けている。
 「僕は暗めが好きだから、ほぼダークシールドです。レース中は興奮して息が熱くなるから、外の空気を取り入れる穴が空いていて、外との温度差でシールドが曇らないように研究されています。」

中上オリジナルデザインのヘルメットはレプリカが販売されており、アライヘルメット取扱い店で購入が可能だ

意見や価値観の違いを乗り越えて

 現在中上は、バルセロナを拠点にしてMoto2を走っている。海外で一人戦いながら、2017年シーズンはイギリスGPの優勝を含めて4回表彰台にのぼっている。勝つために、どんなコミュニケーションをとっているのだろうか?

 「バイクレースは、チーフメカニックとライダーのコミュニケーションがうまくいかないと絶対に勝てません。僕は日本人だから日本人であることを変えるのは難しいけれど、自分から世界に出ているので、海外の感覚に寄せないといけないと思っています。英語のコミュニケーションは細かなニュアンスを理解してもらうのに苦労しますが、これまでの経験から、普段の会話を増やして相手がどんな人か、どんな考えを持っている人なのか観察するようにしています。意見や価値観の違いはあるけれど、目上の人への礼儀はわきまえながら、外国人ときちんと競りあって、言いたいことは言って、気に入ったら好きと言うことを大切にしています。」

  

 2018年からは、世界最高峰のMotoGPで走る。世界で最も速い百戦錬磨のライダーたちがライバルだ。
 「MotoGPで走ったことがないので詳しく分からないけれど、普通の人たちじゃないのは分かっています。これまで上手くいかなくて辛いときでも、世界チャンピオンが目標だから、ここでは挫けられないと思ってやってきました。自分の実力はここまでだと感じたことは無いし、戦える自信もあります。」

 プロライダーのなかで、望む結果を手に入れる人はどのくらいいるのだろう? 強く望むだけでは手に入らないから、ほんの一握りの勝者とたくさんの敗者がいる世界だ。それでも、中上が行動で示してきた情熱を見ると、今まで多くの日本人ライダーが継いできた『日本人初MotoGPチャンピオン』という夢は、中上が叶えてくれるのではないかと期待したくなる。

(文中敬称略)

文:石川歩 写真:水谷たかひと

取材後記

 レース中、中上選手の心拍数は200を超えているそうです。1000ccのバイクを操りながら1000分の1秒を争うのは、それだけ過酷ということ。日本ではまだまだ知られていないMotoGPの魅力ですが、海外で孤独に戦うすごい日本人がここにいます。
 勝ち続けなければいけないプレッシャーを力に変えてきた中上選手に、最高の舞台が整いました。さあ、がんばれ! 中上選手の夢は、MotoGPが好きな日本人みんなの夢です。

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PROFILE

石川歩 編集者・ライター

写真

モータースポーツ系出版社出身、スポーツが好き。スポーツのほか、暮らし・不動産・建築系のメディアで執筆中。
身長160センチ、バレーボールの傳田選手とはこの身長差! 見上げながらのインタビューでした。

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