スポーツMONO語り

“ストリートカルチャー”が五輪種目に決まった! 池田大亮選手のスケートボード

  • スケートボード 池田大亮選手
  • 2018年1月30日

  

 2020年東京オリンピックの正式種目に決定して注目を集めるスケートボード。スケートボードといえば、『ストリートカルチャー』として発展してきた側面があり、スポーツ競技としてだけでなく、ライフスタイルとして取り入れる人や賞金を得るための大会出場、ショーやアートとして楽しむなど、多様な捉え方がある珍しい競技だ。

 今回は、2020年東京オリンピックの強化指定選手にも選ばれ、注目を集める池田大亮(いけだだいすけ)選手(17歳)に話を聞いた。

 「体育の授業でやる種目がオリンピック競技だと思っていたから、正式種目になったときは驚いた」と話す池田選手は、周りのオリンピックへの期待を一身に受けながらも、自身の目標へ向かうしなやかな考えを持っていた。

  

「10代のプロ」が当たり前のスケートボード

 池田がスケートボードを始めたのは3歳の頃、スノーボードの代わりに滑ったのが始まりだった。

 「父親がスノーボードをしていて、それに付いて滑っていたのが3歳の頃です。雪がなくなって父親がスケボーをした時に僕も一緒に始めました。今でもスノボは好きで滑っていますが、スケボーの練習量が増えてきたので本格的に滑るのは諦めました」

  

 スケートボードの競技年齢は若く、2017年に行われた日本選手権では、エントリーした選手の9割以上が10代だった。池田がプロに転向したのも11歳の時だ。

 「関東の大会で優勝することが増えて、全国大会にステップアップした頃に、プロとして活躍したいと思うようになりました。全日本の大会で8位以内に入るとプロになれるという条件があって、11歳でプロになりました。ただ、プロになりたいというよりも、まずはどの大会でも勝ちたいという思いのほうが強かったです。優勝すればいろんな人に知ってもらえるし、スポンサーもつきます。

 小学生でプロになったので、友達と遊びたくて練習をするのが辛い時期もありました。ただ、その頃からインターネットで海外の大会の映像を見ていて、僕もその大会に出たいという思いがあった。両親と話し合いをして、学校の友達と遊ぶ時間よりもスケボーの練習を優先させることに決めて、それから毎日練習をしてきました」

  

スケートボードには「コーチ」がいない

  池田は、2017年4月に東京で行われた日本選手権で優勝、9月にニューヨークで行われた『Damn Am 2017 -NYC-』では、ベストトリックで優勝、ストリートコンテストで準優勝し、着実にステップアップしている。スケートボードには、教えてくれる“コーチ”はいないため、インターネットで海外選手の動画を見るなどして独学で学ぶ。池田はどのように技を磨いてきたのか。

 「海外の大会や選手の動画を見たり、同じパーク(スケートボード専用の練習施設)で滑る友達と情報交換をして新しい技を身につけてきました。スケートボードを知らない人が見てもすごいと分かるような、派手な技のメイク率(技の成功率)にはこだわっています。練習は毎日7時間くらいしていて、自分にとって難しい技が簡単にできるようになるまで繰り返します」

  

部品ごとにスポンサーがつくスケートボード

 スケートボードは大きく分けて、足を乗せる板部分の『デッキ』、地面に接地するタイヤ部分の『ウィール』、デッキとウィールを繋(つな)ぐ『トラック』という部品があり、池田は各部品にスポンサーが付いている。

 「初めてスポンサーが付いたのが13歳の頃で、『HIBRID(ハイブリッド)』というデッキのブランドです。僕はコンケーブ(デッキ両サイドの湾曲部分のカーブ)がキツイほうが好きで、今では、デッキの裏に僕の名前とイラストが描かれたオリジナルデッキをスポンサードしてもらっています。デッキは約2週間で買い換えるのですが、安くても8,000円くらいはするので、スポンサーがついてくれて嬉しかったです。

 大会に出て良い成績を残したり、動画を撮ってインターネットにアップして反響が良いとスポンサーの話がきます。僕は、最初にスポンサーになってくれたHIBRIDの社長がスケボーの動画を撮る人で、その人に撮ってもらってインターネットにアップしてトラックやウィールのスポンサーをとりました」

 ウィールは『BONES WHEELS(ボーンズウィール)』、トラックは『INDEPENDENT(インディペンデント)』がスポンサー。トラックは池田のこだわりで、最も重たいトラックを使っている。トラックが重いと板を回すときにブレが少なく、板が回りすぎることなく安定して乗れるという。

  

5日練習した池田のスケートボード。トラックもすり減っているのがわかる。デッキは磨耗が激しいため、2週間程度で交換する。また、デッキは木製で湿気を含んで重くなるため、大会前に新しいデッキにするという

楽しみが緊張を超えるまで、気持ちを高める

 オリンピック競技としてのスケートボードは『パーク』『ストリート』の2種があり、パークは湾曲面を組み合わせたコース、ストリートは町なかにある縁石・手すり・階段等を模した構造物のあるコースで、基本的に自由演技だ。トリック(技)の高さや技の難易度、スピードやボードコントロール等を、指定された時間内で技を組み合わせて総合得点を競う。競技時間内であれば一度失敗してもやり直せるが、失敗してもすぐに次の技に向かう心持ちが必要だ。

  

 「大会では、すぐ近くにたくさんの観客がいて、みんなノーミスを求めているのを感じます。そんな雰囲気の中で失敗するとテンションが下がります。でも、すぐに滑り始めないと時間がなくなるので、“自分のできる一番難しい技を決めてやろう”という強い心を持ってリスタートするようにしています。

 僕は、大会が近づいてくると食事が摂れなくなるくらい緊張するのですが、自分が楽しむことを前提に大会に挑むようにしています。試合前は楽しい気持ちが緊張に勝るまで、気持ちを高めるように心がけています」

オリンピックは通過点

 世界最高峰のスケートボード大会のひとつが『Street League Skateboarding(ストリートリーグ、以下SLS)』だ。2017年5月にバルセロナで行われた『SLS Nike SB Pro Open』で、東京出身の堀米雄斗(ほりごめゆうと)が3位入賞を果たし、大きな話題になった。

 池田と堀米は、小さな頃から一緒に滑ってきた友達でライバルだという。「先に彼がSLSに行ったので、僕も追いついて同じステージで勝負したい」と話す。

 「これからもずっと、スケボーで生活していきたいです。目標は、SLSに出場して優勝すること。20歳までには、スケボーをやる環境が整った海外に住みたいと思っています」

  

  目標はSLS優勝と話す池田だが、東京オリンピックでスケートボードが正式種目に決定したことをどう思っているのか?

 「オリンピック種目に決まった時は、本当にびっくりしました。僕は、学校の体育の授業で習う科目がオリンピック種目になっているイメージがあって、スケボーは一般の人からしたら町で走っている迷惑なもので、町には“スケボー禁止”の場所も多い。一般的にスケボーに対してマイナスイメージがあると思っていたので、正式種目に決まったのは不思議でした。でも、東京オリンピックで決まったのは嬉しいし、決まったと知った瞬間に“オリンピックに出たい”と思いました。そして、出るからには金メダルを取りたいです。東京オリンピックを通過点に、SLS優勝というゴールに向かっていきたいです」

  

 池田は、“日本を背負って立つ”オリンピックではなく、キャリアプランのなかにある大きな大会の一つとしてオリンピックをとらえていた。スケートボードが持つ文化的な背景をみれば、オリンピックに対する温度感や競技への向き合い方の違いは、その競技の持つ特徴のひとつと言えるだろう。

 海外でスケートボードを続けることを希望している池田だが、今後の日本のスケートボードシーンについて、どう考えているのか。

 「町でスケボーを滑ってもいい社会になってほしいです。車・自転車・歩行者とのすみ分けは必要ですが、“危ないから禁止する”という以外の方法があればいいと思います。

 今はオリンピック効果もあって、スケボーをする人が増えている実感がありますが、もっと増えてほしいです。スケボーをやる人が増えたら文化として根付くと思うし、そうなったら日本にも新しいスケボーシーンが出てくると思う。町から、 “スケボー禁止”の場所が減ったら良いなと思います!」(文中敬称略)

文:石川歩 写真:野呂美穂

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PROFILE

石川歩 編集者・ライター

写真

モータースポーツ系出版社出身、スポーツが好き。スポーツのほか、暮らし・不動産・建築系のメディアで執筆中。
身長160センチ、バレーボールの傳田選手とはこの身長差! 見上げながらのインタビューでした。

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