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地震から半年、熊本城の現在と未来(後)

  • 文・写真 萩原さちこ
  • 2016年11月25日

飯田丸五階櫓(やぐら)。石垣の崩落部分を鉄骨で支えているが、あくまで倒壊防止の応急処置にすぎず、復旧には慎重な検討が必要とされる(2016.8.12/熊本市公開)

  • 前震翌日の戊亥(いぬい)櫓の石垣。被害はあったものの櫓台は崩落していなかった(2016.4.15/熊本市撮影)

  • 同じアングルで撮影。前震翌日の写真と比べると、かなり被害が拡大したことがわかる(2016.9.14/萩原さちこ撮影)

  • 平櫓下の石垣には、かなりの「はらみ出し」が確認できる(2016.5.6/熊本市撮影)

  • 竹の丸元札櫓門跡の石塁。内部に詰まった裏込石が全体的に沈下している(2016.4.30/熊本市撮影)

  • 二の丸御門跡の崩落した石垣。2筋の地割れのような亀裂があり、空隙(くうげき)に平行するように石垣が外方向に崩落している(2016.5.5/熊本市撮影)

  • 倒壊した国重要文化財の長塀。全長約242メートルのうち東側の80メートルが倒壊した。城内側に倒れ、瓦が飛び散っている(2016.4.15/熊本市撮影)

  • 棒庵(ぼうあん)坂横広場に移動された石材。ナンバリングされている(2016.9.14/萩原さちこ撮影)

  • 飯田丸五階櫓の「奇跡の1本石垣」。「早く助けて欲しい」との市民の声に応え、早急な措置が取られた(2016.4.22/熊本市撮影)

  • 頬当御門周辺の撤去作業のようす。熊本市は3年後の天守復旧を目指すことを発表した。ここに、天守の修復に必要な重機が通れるようスロープを設ける予定だ(2016.9.27/熊本市公開)

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石垣崩落のメカニズムと先人の技術

<熊本城の現在と未来(前)からつづく>

 今回の報道を通じて、石垣の内部構造を初めて知ったという人も多いだろう。石垣は、内部に裏込石(栗石)と呼ばれる小石がびっしりと詰まっている。小石と小石の間に隙間があることで排水が助けられ、また隙間に振動を吸収し分散する機能があるのだ。

 しかし、揺れが一定のレベルを超え圧力がかかりすぎると、小石と小石との隙間が詰まり機能しなくなってしまう。一般的に石垣が自然崩落する場合は、上部や端からではなく、中央部分から破裂するように崩れる。上下左右から圧力がかかることで裏込石の隙間が詰まって沈下し、外側に押し出されるからだ。石垣の表面に「はらみ出し」と呼ばれる膨らみが生じ、やがて耐えきれなくなると内側から爆発するように崩落する。

 大きくはらみ出してしまった石垣は、積み直すしかない。現在の熊本城内で緩みや膨らみが確認できる石垣は20%近くもあるという。

 石垣の隅部(隅角石)は、長方形の石材を長辺と短辺が交互にかませて積む算木積みで重さを分散し、強度を高めてある。“奇跡の1本石垣”と報道された飯田丸五階櫓(やぐら)の南東隅がまさにその例で、石垣の中央付近は崩れたものの、隅角の6~7石は柱状に残った。1列の隅角石だけで、重さ約17トンの櫓を支えている。

 熊本城調査研究センターの鶴嶋俊彦さんによれば、「気負」も効力を発揮したという。気負とは両端のみに大きな石を積む技術で、横から見ると石垣の両側が肩をすくめたように数センチ高くなっている。こうすることで震動が生じたとき建物の加重は隅角石に集中し石材がより密着して強固になるため、ギリギリまで支えることができるのだ。

 前提として、江戸時代から災害のたびに修復が繰り返されてきた熊本城の石垣は、すべてが同時期に同じ技術で積まれたわけではないため崩落のメカニズムは断言できない。加えて、今回の熊本地震は極めて特殊であり、また現在のところ地震の専門家が調査に立ち入っていないことから、地震と崩落の因果関係は詳しく語れない。

 従ってあくまで崩落跡からの推察となるが、熊本城の場合は基礎地盤が堅剛なケースのメカニズムに多くが該当する。上部の石材が水平移動し、そのまま上部の石垣が前方へ押し出されるように膨らむ。西櫓御門南側の石垣や二の丸御門跡の石垣がその例で、裏込石が20センチほど沈下しているのがはっきり見えた。二の丸御門跡の石垣は、横からみると2筋の地割れのような亀裂が発生しており、その2筋の空隙(くうげき)に平行するように石垣が外方向に向かってはらみ出し、崩落していた。

 崩落して散らばった石材は、築石の控え(奥行き)が短いものが多かった。極端にいえば、清正時代の石垣の石材は不定形だが、後世の石材は間知石(けんちいし)に近づく。表面上の違いがなくても、奥行きが浅いと当然ながら強度が落ちる。崩落した東十八間櫓や北十八間櫓下の石垣は加藤清正により1670(慶長12)年頃に積まれたものだが、控えが短かった。

 確実に影響しているのは、石垣の勾配(こうばい)だ。垂直に近い石垣は、高さが2メートルほどの低い石垣であろうとも崩落が激しく、勾配が緩い石垣は被害が少ない。修復技術や地盤・地質の違いも少なからず影響する。1889(明治22)年に起きた推定M6.3の地震による被害箇所と今回の被害箇所を照合すると、8割近くが一致したという。

どのように修復するか、優先順位が課題

 熊本城は「熊本城跡」として約51ヘクタールが国の特別史跡に指定され、92%が国(財務省ほか)の所有で、熊本市が管理団体となっている。そのため、国指定重要文化財の建造物はもちろん、国指定特別史跡内の石垣を修理するための回収作業も簡単ではない。重要文化財は日本の歴史を語る伝統技術の代弁者でもあるから、回収作業は文化財の取り扱いに精通した専門の業者に限られ、遺材をひとつひとつていねいに回収し、選別し、記録しながら行われる。バラバラになっても重要文化財の一部であるから、このような根気のいる作業は避けて通れない。

 文化財の修復には「つくられたときと同じ材料、同じ技術でできるだけ忠実に再現すること」が求められる。たとえば倒れた長塀も素材をなるべく再利用するのが鉄則のため、瓦は1枚ずつはがし、分別され、洗浄される。土壁の土さえも、同じ手順がとられる。はがれ落ちた土壁は上塗りの漆喰(しっくい)と下塗りの土、下地の荒壁土を分別し、再利用できる土に新たな土を加えて材料をつくり直す。土に藁(わら)を混ぜ、半年~1年間寝かせて発酵させて粘りを出すといった具合に、材料の製造も昔ながらの工法・行程で進められる。費用や時間がかかっても、数百年前の技術を継承することが大切なのだ。

 部分的に崩れ残った石垣も、一から積み上げたほうがよさそうだとしても、形状を留めている部分を取り壊すわけにはいかない。現在の文化庁による史跡の整備・復元の基本方針は“現状維持”だからだ。

 通常、史跡修理で石垣を積み直すときは石材にナンバリングして解体し、番号の通りに積み戻していく。災害のような予期せぬ崩落の場合は、崩落前の写真や図面を手がかりに石材の原位置を特定し、ジグソーパズルのようにひとつずつはめていく。石材の原位置の特定には落下地点が大きな手がかりとなり、記録をとらずに石材を移動させてしまうと位置の特定はほぼ不可能になる。半年が経過した現在でも、石材が崩落したままになっているところがあるのはそのためで、どうしても時間がかかる。

 “奇跡の1本石垣”が支える飯田丸五階櫓は、櫓が倒壊しないよう背後の飯田丸に仮設構造物を設置し、受け梁で櫓の荷重の大半を軽減している。鉄骨に支えられる飯田丸五階櫓を見て「助かった」と胸をなで下ろした人も多いだろうが、あくまで倒壊防止の緊急対策工事であり、応急処置にすぎない。受け梁を櫓の床下に挿入するとき櫓の荷重を100%担ってしまうと隅石が崩落する恐れがあるため、荷重はわずかに隅石に残されている状態でもある。確認したところ櫓下のコンクリート基盤はひしゃげ、建物は大きくゆがんでいた。これからの復旧をどうすべきなのか、慎重な検討が必要とされる。

 本丸御殿付近の西南戦争の痕跡となっている焼損した石垣をいつの状態に戻すのかという問題をはじめとして、何をもって“元通り”と位置づけるのか、いつの段階の技術や工法を採用し、何を優先し選択するのかが、これからの熊本城の課題なのだろう。

 観光地としての再生を最優先に考えれば、大天守と小天守の建て直しと登城ルートの安全確保が急務となるのだろうが、史跡保護や忠実な復元という観点で考えたときに、最善策が同じとは限らないケースがあるのが難しいところだ。

 観光地としての復旧、安全性の確保、史跡としての復元・整備、遺構の保護、どこに重きを置き、どのような方法を選択すべきなのか。あらゆる観点からの慎重な検討が必要であることを、私たちも理解しておきたい。

新たな文化と歴史の創造へ

 もちろん最優先は被災者の支援だが、それでも「元気な熊本城を見たい」「早くきれいな熊本城に戻ってほしい」という市民の声が多いのも事実だという。熊本を訪れたことのある人なら、熊本市民にとって熊本城がいかに象徴的な存在かわかるはずだ。全国各地で城は地域のシンボルであるが、熊本でのそれは群を抜く。

 そもそも、熊本城は市民の熱意によって生き続け歴史を重ねてきた。明治10(1877)年の西南戦争による火災で焼失した大天守と小天守は、全国の天守の復元ブームよりも早い昭和35(1960)年に市民のはたらきかけにより復元されている。復元の資料となったのは、軍が西南戦争以前に撮影させていた古写真だ。陸軍駐屯地となって城郭の存廃処分で存城となった後も、西郷軍の猛攻に耐えた名城熊本城への保護の意向は強かったようで、明治22(1889)年の金峰山地震で崩落した飯田丸五階櫓の石垣や百間石垣など62カ所の石垣は陸軍によって修復されている。

 取材中、ボランティアガイドが10名ほどの地元小学生を連れ、石垣の構造やかつての姿などを伝えていたのが印象的だった。未来の熊本城をつくり見守っていく子供たちに、あらゆる可能性と選択肢を残したい。いまだ避難所での生活を強いられている市民も数多くおられるが、繁華街のライフラインは復活し、ホテルや飲食店は通常営業に戻りつつあるように見受けられた。また、「桜の馬場 城彩苑」などの観光施設での活気がとても印象的だった。もともと観光地としての土台ができている場所だからだろう。

 復興への道のりは遠く立ちはだかる困難も多いが、先人の技術が判明したり新たな遺構が見つかったりと、よい面も確実にある。試練と呼ぶには大きすぎるものではあるが、こうして辛い運命をも乗り越えて、歴史はつくられてきた。だからこそ、城は地域のシンボルであり心のよりどころなのではないだろうか。未来の年表に「不屈の熊本城、見事に復興」の一文が刻まれることを願いながら、新たな熊本城の文化と歴史がつくられていく過程を見守り、エールを送りたい。

PROFILE

Hagiwara

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)

城郭ライター、編集者。小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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