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伊達から上杉へ 謙信が祀られる上杉神社 米沢城(1)

  • 文・写真 萩原さちこ
  • 2017年5月29日

米沢市街地のほぼ中心に位置する米沢城。本丸を囲む内堀のほか、土塁がわずかに残る。

 米沢城の旅は、米沢駅からスタートだ。駅前からレンタサイクルにまたがり、上杉神社を目指す。ここが、かつて米沢城があった場所だ。

 米沢ゆかりの人物といえば、連想するのは伊達政宗と上杉景勝だろう。政宗の祖父である伊達晴宗が1548(天文17)年に米沢に拠点を移すと、1591(天正19)年に政宗が豊臣秀吉の命で去るまでの43年間、伊達氏が米沢を統治した。政宗はここ米沢で生まれ、24歳までを過ごしている。

 政宗の後には蒲生氏郷を経て、1597(慶長2)年に景勝が会津120万石で入封した。上杉氏の居城というと春日山城(新潟県上越市)を連想するが、それは上杉謙信時代のこと。上杉領の要となる米沢城には家老の直江兼続が城代として入り、大規模な治水工事や米沢城の構築を行った。関ヶ原合戦後、徳川家康に宣戦布告し慶長出羽合戦を引き起こした上杉家は出羽米沢30万石に大減封されたが、米沢城を居城として明治維新までこの地を治めた。

上杉謙信の銅像。1578(天正6)年に越後で没した謙信の遺骸は、漆で密閉された壷(つぼ)に入れられ、越後から会津、会津から米沢へと移された。

本丸東南隅にかつて建てられていた、謙信を祀る(まつ)御堂の跡。歴代藩主が眠る廟所(びょうしょう)に移されている。

 現在の米沢城は、残念ながら本丸とそれを囲む土塁と堀程度しか遺構はなく、あまり城らしい雰囲気は感じられない。しかし、江戸中期に描かれた『出羽国米沢城絵図』と照らし合わせしながら歩くと、かつての城の構造を思いのほかたどることができる。戦国の世を生き抜いた武将たちがこの地に立っていたーー。そんなロマンに思いを馳(は)せながら歩くのが、米沢城の楽しみ方かもしれない。

本丸南側の内堀。

 米沢城は平地に築かれた平城で、本丸・二の丸・三の丸が同心円状に配置されている。武田信玄の居城・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた・山梨県甲府市)を連想させる、方形の曲輪(くるわ)が並ぶ設計だ。特徴は、躑躅ヶ崎館と同じように、曲輪が石垣ではなく土塁に囲まれていること。伊達氏時代は本丸だけの単郭構造だったようで、上杉氏時代に拡張されたと考えられている。

 上杉神社の前に、すぐ脇にある米沢市上杉博物館をまずは訪れておきたい。ここには国宝『上杉家文書』のほか、1574(天正2)年に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝わる、狩野永徳が描いた国宝『上杉本洛中洛外図屏風』が展示されているからだ。もちろん、米沢城についての展示も充実している。なかでもデジタル化された『出羽国米沢城絵図』を拡大操作して見られる展示はゲーム感覚で楽しめ、ついつい時間を忘れて没頭してしまう。

米沢市上杉博物館。国宝『上杉家文書』のほか、信長が謙信へ贈ったとされる国宝『上杉本洛中洛外図屏風』も展示されている。

 頭の中に米沢城の全体像をなんとなく入れたら、本丸へ歩を進めよう。なるほど、なかなか広大な本丸だったこと、立派な城下町が形成されていたことが理解できる。本丸内は松岬公園として整備されていて、常に参詣者が行き交う観光スポットだ。その6割を占めるのが、上杉謙信を祀る上杉神社。ここで謙信公にご挨拶(あいさつ)したら、公園内をのんびりを散策してみよう。

上杉神社は、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として米沢城の本丸跡に1876(明治9)年に建立された。米沢城本丸の奥御殿跡に建つ。

1919(大正8)年の大火で類焼したが、1923(大正12)年に竣工(しゅんこう)した。

 鮮やかな朱塗りの菱門橋がかかる本丸南側には、春日神社が建つ。1872(明治5)年に現在地に移され、類焼を経て昭和に入り再建された。上杉家は古くから春日社を守り神としており、会津から米沢への転封の際もともに移された。藩の財政が逼迫した江戸時代、10代藩主の上杉鷹山が再建を願い誓詞奉納したことでも知られる。

 本丸北側にある国登録有形文化財の稽照殿(けいしょうでん)は、謙信や景勝の遺品のほか、兼続の愛の兜(かぶと)の甲冑(かっちゅう)など文化財約1,000点が収蔵展示された宝物殿。上杉家ファンは必見だ。

稽照殿。上杉謙信、直江兼続、上杉鷹山公の遺品を中心に、平安時代から江戸時代までの甲冑、武具、刀剣、絵画、書跡、仏具、陶磁器、服飾類などが収蔵展示されている。

 米沢城の二の丸跡に建つのは、こちらも国登録有形文化財に登録されている上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)だ。上杉家14代茂憲の本宅で、1896(明治29)年の建造時には敷地約5000坪、建坪530坪もある大邸宅だった。1919(大正8)年の大火で焼失したが、1925(大正14)年に再建。庭園は東京浜離宮の庭園を参考に造園されている。

上杉伯爵亭は、上杉家14代茂憲伯爵邸として米沢城の二の丸跡に建てられた。

設計は中條精一郎、施工は名棟梁江部栄蔵。鶴鳴館と呼ばれ、皇族の御宿所ともなった。1997(平成9)年に国登録有形文化財となっている。

(つづく。次回は6月5日に掲載予定です)

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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