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上杉伯爵邸で郷土料理を味わい、伊達政宗の生誕地を探る 米沢城(2)

  • 文・写真 萩原さちこ
  • 2017年6月5日

米沢城の二の丸跡にある上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)。上杉家14代茂憲の本宅で、国登録有形文化財に指定されている

<米沢城(1)からつづく> 

 上杉伯爵邸は、なんと現在は料亭になっている。米沢牛のしゃぶしゃぶやステーキなどのほか、郷土料理が味わえるのが魅力だ。

 陣中料理が発祥ともされる「冷汁」は、冠婚葬祭や行事でも欠かせない。茹でた季節野菜に、貝柱と干し椎茸で取っただし汁がかけられる。置賜・村山地方特産の丘ひじきは、辛子和えで。シャキシャキとした食感とツンとした辛味のマッチがたまらない。鮭の塩引を使った祝い寿司「塩引寿司」は、魚が手に入らない米沢の工夫だ。

 もちろん「芋煮」も外せない。屋外で芋煮鍋を囲む会は、現在まで続く風物詩。江戸時代から米沢の名物である米沢鯉は、骨まで食べられるほど煮込まれた「鯉ことこと煮」でいただく。

郷土料理「雪の膳」2,000円(税別)。季節の冷汁、鯉ことこと煮、米沢牛の芋煮、塩引寿司、丘ひじきの辛子和え、うこぎ御飯、お味噌汁、おみ漬け、舘山りんごの寒天がいただける(時期により内容が異なる場合あり)。「月の膳」3,500円(税別)は、「雪の膳」に米沢牛ローストビーフのサラダが付く。その他、米沢牛ステーキが付く「花の膳」、ステーキやしゃぶしゃぶがいただける「米沢牛膳」などもランチの定番メニュー

国登録有形文化財の空間でいただく料理は格別。庭園を眺めながら優雅な時間が過ごせる

 米沢には、上杉家9代藩主の上杉鷹山が編纂した「かてもの」という食の手引書がある。「かてもの」は「糅物」と書き、主食に混ぜて炊くものを意味する。「糧」と同義で食糧を指し、つまり飢饉に備えるための知恵と工夫がまとめられたガイドブックのようなものだ。主食の代わりになる植物、食べ方、味噌の製造法、貯蔵の方法、蒔いておくべきものなどを解説。鷹山が藩医に命じてまとめさせたとされ、大飢饉の際には役立ち、他藩でも重宝されたといわれている。

米沢藩9代藩主・上杉鷹山(上杉治憲)は、傾いた米沢藩の再生に務めた名君として知られる。大検約令を発して役人の贅沢や無駄を正すことから藩政改革をはじめ、殖産興業や田畑の開墾などを実施。養蚕・織物などの新産業開発の功績も残した

 さて、郷土料理に舌鼓を打った後は、城下町を散策しよう。米沢城の三の丸には上級・中級家臣の屋敷が並び、その東に町人地が置かれていた。すっかり市街地化されているが、江戸情緒を感じさせる町並みが断片的ながら残存していて楽しめる。

 銘酒の試飲や購入ができるのが、銘酒「東光」の酒蔵だ。清酒東光醸造元 小嶋総本店は、1597(慶長2)年創業の米沢藩上杉家御用酒屋。江戸時代に禁酒令が出されたときも、酒造りの継続を許された造り酒屋のひとつだ。現在は酒蔵資料館として、東北最大級の敷地に酒造りの空間が再現されている。ひんやりとした蔵の雰囲気、使い込まれた道具が往時の人々の暮らしを物語ってくれる。

清酒東光醸造元 小嶋総本店。米沢は、山から湧き出る豊富な水と良質な米に恵まれた地。厳寒期に寒造りの低温長期発酵によっておいしい酒がつくられる

酒蔵資料館のある場所は、柳町にあたる。城下町のいたるところに旧町名が記されているのもうれしい

 路地にも、江戸時代の名残がある。門東町3丁目に整備された武者道(むしゃみち)は、下級武士たちの通用路だ。通常、武士たちは帯刀し身なりを整えて出かけなければならなかったが、それでは手間がかかって一苦労。そこで、帯刀せずに買いものをするための専用の道がつくられたのだ。

門東町3丁目に整備された、武者道。下級武士たち専用の通用路

 上杉ファン必須の立ち寄りスポットといえば、城西にある上杉家廟所だ。静かな杉木立の中に、歴代藩主の廟がずらりと並ぶ。2代景勝の没後に歴代藩主の墓所となり、その後、左右交互に藩主歴代の廟が建てられた。1876(明治9)年に初代謙信の遺骸が米沢城内の御堂から遷座されたのに伴い、参道も改変され現在の姿となっている。中央に謙信、左に偶数、右に奇数の代の藩主が並ぶ。

米澤藩主上杉家廟所は、歴代藩主の墓所。米沢市では御廟、廟所、御廟所、御霊屋(おたまや)と呼ばれ、敬い親しまれているという

 上杉家廟所から自転車で10分ほどのところにあるのが、話題の城、館山城だ。近年の発掘調査などの成果により、2016(平成28)年3月に国指定史跡となった。伊達氏時代にはかなり広大な城館であったことが解明しつつあり、これまで米沢城とされてきた伊達政宗の生誕地がここ館山城であることもほぼ確実となった。

館山城の遠景。大樽川と小樽川が合流し鬼面(おもの)川となる地点に突き出す丘陵に築かれている。山麓の居館も発掘調査がされており、伊達氏時代にはかなり広大な城館だったことも判明した

 山上の山城(要害)は、かつて礫(ほぼ川原石)で埋め尽くされていたが、調査によりその下から石垣や枡形虎口が出現している。川原石は石垣の栗石(裏込石/裏側に詰められた小石)で、築石(表面に積まれた石)は別の場所に運ばれ、栗石だけが散乱していたのだ。

 石垣の加工や積み方の特徴、埋め立てられた遺構の存在から、政宗が去った後に上杉氏が手を入れて改変した痕跡と推察される。これまで上杉氏が館山城の普請を行った記録はなく伊達氏の城とされてきたが、どうやら関ヶ原合戦後の不穏な情勢下で、上杉氏が強化していたようだ。米沢の歴史を紐解く新たな発見として、注目されている。

残存する石垣は加工や積み方から慶長期のものと推定され、伊達時代の城を上杉氏が改変したとみられる。館山城跡保存会により整備され、10分ほど登城道を登ると山上の山城に着く

(米沢城の回・おわり)

交通・問い合わせ・参考サイト

米沢城

「米沢」駅から車で約10分
米沢市役所のページはこちら
米沢観光ナビのページはこちら

・上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)
「米沢」駅から車で約10分 0238-21-5121
http://hakusyakutei.jp/

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・米澤藩主上杉家廟所
「米沢」駅から車で約20分 0238-23-3115
http://uesugigobyo.com/

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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