城旅へようこそ

往時の姿が残る貴重な御殿と天守をゆっくり堪能 

  • 高知城(2)
  • 2017年6月19日

三の丸から望む天守。日本に12棟しか残らない天守のひとつだ

<高知城(1)からつづく>

 高知城ほど、本丸に見ごたえのある城はない。15棟の現存建造物のうち、11棟が本丸内に密集しているのだ。天守だけがぽつんと現存する城とは異なり、本丸内に建物がどのように配置されていたのか、往時の姿がそのまま残る。しかも、天守は全国に現存する12棟のうちのひとつで、本丸御殿は全国で4棟しか現存しない城郭御殿のひとつだ。

天守から見下ろす本丸と二の丸。本丸には天守・本丸御殿・納戸蔵・廊下門(中央)・東多聞(中央手前)・西多聞(左奥)・黒鉄門などの建造物が残り、いずれも国の重要文化財に指定されている。中央右は詰門

右が黒鉄門。扉の外側に黒漆(うるし)で塗られた鉄板が打ちつけられ、防御を固めている。2階には武者隠しもある。黒鉄門西北矢狭間塀、黒鉄門東南矢狭間塀、天守東南矢狭間塀、天守西北矢狭間塀も現存

 追手門からせっせと登ってきたわりには、本丸はさほど広くはない。標高は44.4メートル、面積は約1580平方メートルだ。城郭としては風変わりな形の敷地に建造物が配置され、それぞれが塀で連結されている。もちろん、塀には狭間、建造物の床面には石落としが設けられ、しっかりと守りが固められている。

矢狭間塀に設けられた横連子の武者窓は「物見窓」と呼ばれる防御装置。狭間よりも監視範囲を広げられる

 ともあれ、天守と本丸御殿にじっくりと時間をかけたい。すぐにでも天守最上階を目指したいところだが、天守へは、すぐには上がれない。天守に本丸御殿が接続する珍しい構造のため、本丸御殿を経てから天守へ到達する見学ルートになっている。出入口部分の建物が、御殿建築の屋根にみられる起り(むくり)屋根になっているのもそのためだ。横木に透かし彫りされた、山内家の「丸に三つ葉柏」の家紋を見上げながら入っていく。

 本丸御殿は本丸内の現存建造物と同様に、1727(享保12)年の大火(享保の大火)で焼失後、1749(寛延2)年に再建された。式台、正殿、納戸櫓から構成される本瓦葺きの平屋建てで、面積は約361.7平方メートルに及ぶ。再建当時は財政が逼迫(ひっぱく)していたためか質素なつくりではあるが、落ち着いた空間に気品があふれ、背筋が伸びる。

天守と本丸御殿。現存する御殿は全国的にも貴重。1873(明治6)年に「懐徳館(かいとくかん)」と改称された

 最大の見どころは、書院造りの正殿だ。二ノ間より一段高くなっている場所が、藩主の座所となる上段ノ間。藩主を最高所として、身分と格式に応じて着座する部屋が厳格に決められているのだ。座敷飾りの位置や装飾にひときわ贅(ぜい)を感じる。

 注目は、上段ノ間の西側にある納戸構えだ。金箔押しの扉があり、いかにも格式の高い納戸といった印象なのだが、実は別名を「武者隠し」といい、警護の武士が詰める隠し部屋になっている。北側からまわるとそのからくりが確認でき、なるほどと感心させられる。

 各部屋を区切る欄間(らんま)も美しく、部屋ごとに変化がつけられ空間に華を添えている。なかでも二ノ間と三ノ間を区切る「打ち分け波の欄間」は、波形にくり抜いた美しい彫刻だ。シンプルながらも趣があり、見入ってしまう。

上段の間。左が納戸構えで、扉の内部は武者隠しになっている

 さて、ようやくお目当ての天守内部へ入ろう。高知城天守の最大の特徴は、古式の望楼型であること。1727年の大火で焼失し、再建されたのは1749(寛延2)年のこと。江戸時代に入ると、多くの天守はタワー型の層塔型になるのだが、高知城天守は築城時の初期天守の意匠に沿ったようで、望楼型が採用されている。

 最上階に、廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)がめぐるのも、珍しい。廻縁・高欄は天守につきもののイメージもあるが、風雨にさらされ木造建造物にとっては材木の腐食につながるため、室内に取り込まれ、飾りとしてつけられるようになる。高知城天守は、実際に廻縁をぐるりと一周歩ける希有なケースなのだ。

 高知城を築いた山内一豊は、関ケ原合戦前に徳川傘下に入った外様大名だ。他国諸藩の城にはない廻縁・高欄付きの天守は目立つため、築造時には家老たちから猛反対されたという。しかし、どうやら一豊にはこだわりがあったようで、徳川家康の許可を得て実現したと伝えられている。しかも、よく見ると、高欄のなかでも格式の高い擬宝珠(ぎぼし)がついた擬宝珠高欄だ。

天守最上階の擬宝珠高欄。山内一豊が高知城の前に居城とした掛川城に現在建つ天守は、高知城天守をモデルに再建されている

 天守は、四重五階。調査から創建時のまま再建されていることが判明しているのだが、そのせいか内部は築造年代に反して戦闘力がある。1階の床面には砲弾による破壊から守るために玉石が充填されているといい、格子窓は6か所もある。換気口もあることから、通気にも気を使っていたようだ。3階には奇襲に備えて隠し部屋らしき小部屋があり、4階は装飾性の高い空間ながら、きちんと銃眼が設けられている。いかにも古めかしい狭間や石落としを覗き込みながら、その戦略を実感できるのもうれしい。

 最上階に上がれば、それまでとは違う開放的な空間が待っている。廻縁からの眺望はとにかく見事で、南には筆山、東には五台山から大津方面まで見渡せる。これぞ24万石の城主気分に浸れる絶景で、高知城内でいちばんの特等席だ。いつ訪れても心地よい風が吹き抜け、とにかく居心地がよい。

天守最上階からの眺望

 せっかく貴重な現存天守を訪れたのだから、外観もじっくり味わって帰ろう。天守のまわりをぐるぐると歩いてさまざまな角度から見上げてみると、さまざまな表情に出会えて楽しい。

 二重と三重の屋根両端は、刀根丸瓦を延ばして鬼瓦がつけられているため、にぎにぎしさがある。追手門と同じ「本木投げ」工法による反りのある屋根は、力強いシルエットだ。軒先が重なる部分は荒波のように男らしく、唐破風のしなやかな曲線は繊細で優美。本木投げは土佐漆喰とともに、高知城だけに見られる独特のものだという。こうした土佐の技術が、南海随一の名城と呼ばれる秘密なのかもしれない。

 忘れてならないのが、高知城の天守だけに現存する「忍び返し」だ。天守1階北面に設けられた鉄製の串のようなもので、侵入者を防ぐ。美と共存する戦闘的な工夫に、城の本質を感じずにいられない。

天守北面に設けられた忍び返し

 高知城は意外にも広大で、しかも石垣が広範囲に残るため、まだまだ時間がたりない。本丸西側、梅の段から御台所屋敷跡を右手に進み、西の口門跡が裏手にあたる搦手門だ。梅の段から本丸の高い石垣を右手に進むと、二の丸の北側を経て三の丸の北・東面に至る。このあたりが、城内でもっとも高い石垣だ。石垣の美を堪能したら、スタート地点の追手門へ戻ろう。

三の丸の石垣。高知城の石垣は一部を除きほぼ割石を加工せずに積み上げた野面積みだが、江戸中期に積み直されたとみられる三の丸の石垣は成形し整然と積まれた打込接で、石材も異なる

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交通・問い合わせ・参考サイト

高知城
JR土讃線「高知」駅から、とさでん交通路面電車「はりまや橋」駅乗り換え「高知城前」下車、徒歩3分
088-824-5701(高知城管理事務所)
高知城のページはこちら

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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