蓬萊島-オキナワ-の誘惑

絶景の海の味、とじ込めた手もみ塩 「塩夢寿美」

  • 文・写真 馬渕和香
  • 2017年8月7日

手もみ完全天日塩の「塩夢寿美(えんむすび)」は、野甫(のほ)島の自然と「人生をかけた本物の塩」を目指す塩職人の手のひらとの共同作業から生まれる

 「君のところの塩は、きらめいていない」

 それは、15年前。沖縄本島の北に浮かぶ人口約100人の島、野甫(のほ)島で塩づくりを始めて4年目のことだった。「倶楽部 野甫の塩」の松宮賢さんのもとに、得意先の高級料理店のシェフからフランスのゲランドの塩が送られてきた。

 「この塩を見てごらん。きらめいているだろ。君のつくる塩は、この塩みたいに心に訴えてこないよ」

 松宮さんはハッとした。妻のさゆりさんと2人でつくる塩、「塩夢寿美(えんむすび)」は確かにきらめいていなかった。表面にツヤがなく、表情が「のっぺり」していた。

夢かと思うほど美しい海に囲まれた野甫島。沖縄本島の運天(うんてん)港からフェリーで80分の伊平屋(いへや)島と橋でつながっている

 塩の粒を機械で砕いていたことが原因だった。「粒が大きくて使いづらい」という顧客の声に応えるために、粉砕器で粉状にしてから出荷していたのだ。

 「ひと手間かけたつもりでしたが、ただ白いだけの、のっぺりした塩になってしまっていました」

 「ひと手間」では足りないことを、松宮さんとさゆりさんは悟った。数台導入した粉砕器を使うのをやめて、自分たちの手で塩の結晶をもみ砕くことにした。1日3回、朝と昼と晩に。すると、塩夢寿美がきらきらと輝き始めた。

松宮さんとさゆりさんが2人で建てた塩工場。太陽熱と風によって海水の水分を蒸発させる「かん水装置」(奥の青い建物)で高濃度の塩水(かん水)をつくり、「結晶ハウス」(右)に移して天日で塩を結晶させる

 三重県出身の松宮さんが、野甫島にやって来たのは21年前。東京の政府系機関に勤めていたが、同僚の突然の死に衝撃を受けて退職した。

 「ずっと仕事に突っ走ってきたのですが、生き方に迷いが生じました。後悔しない人生を送るには、何をしておかなきゃいけないのか、ふと立ち止まって考えました」

室温40度を越える「結晶ハウス」の中で、お湯のように熱くなった「かん水」で手を真っ赤にしながら松宮さんが塩をもんでいた。「昼間は手袋を3枚重ねて付けないとやけどします」。隣では、長男の琉太君が出来上がった塩をザルに移す「採塩(さいえん)」のお手伝いをしていた

 「後悔しないように生きるという原点」を、松宮さんは改めて考えた。そのとき心によぎったのが、幼い頃にいつも両親や祖母から聞かされていた言葉だった。

 「日本人にとって大切なのは米と塩だよ。それを忘れちゃいけないよ」

 米づくりか塩づくりをしよう、と松宮さんは決めた。塩を選んだのは、塩が当時、「悪者扱い」されていたからだ。

 「塩は体内で合成できなくて、外から摂取するしかないものなのに、高血圧の原因だと悪者扱いされていた。それなら自分が一生かけて本物の塩を探求してみようと思ったんです」

「かき集めては手でもんで」を繰り返すことで、塩がきらめいていく。もむことで、海水中の様々なミネラルがバランスよく一粒一粒に取り込まれ、味も良くなる

 「なんで辞めるんだ?」と周囲に困惑されながら30歳で脱サラした松宮さんは、塩づくりの場所を探すために、車に寝泊まりしながら全国をめぐった。行く先々で海水をなめて味を確かめたのはもちろん、海水を汚すおそれのあるごみ焼却場が近くにないかなど、チェックポイントを細かく評価していった。

 「海水は場所によって味が全然違います。へんに塩っからい味もあれば、生理的に受けつけない味もある。初めて野甫島の海水をなめたときは衝撃を受けました。『ええー? これ塩水?』と思うぐらい、まろやかな塩っぱさでグッときました」

 塩づくりの場所は、野甫島とその隣の伊平屋(いへや)島に絞られた。松宮さんは、“最終審査"として両島の海岸線をすべて泳いで見て回り、野甫島を選んだ。

 「泳ぎが得意じゃないから、海辺に漂着していた発泡スチロールを浮き輪にして泳ぎました。死ななかったからよかったですけど、バカですよね」

春、梅雨、夏、秋、冬と、五つの季節の塩をブレンドして出荷している。「例えば夏場は辛みがシャープになるなど、塩は季節ごとに変化します。五つの季節の塩をブレンドすることで味に深みが出ます」と松宮さん。塩夢寿美の名前はさゆりさんが付けた

 塩づくり工場の建設も、ある意味命がけだった。業者に頼むお金がなかったので夫婦2人で建てることにしたのはいいけれど、2年2カ月におよんだ工事の期間中、松宮さんは釘が手に突き刺さって動脈を切り、さゆりさんは頭に木づちが当たって島外へ緊急搬送された。

 そうこうするうちに、貯金も尽きた。心身ともにギリギリの状態に、2人は追い込まれた。

 「でも、島の人たちが助けてくれました。僕らのことを、悪いことをして島に流れ着いた人たちと思っていたそうですが、魚や野菜を分けてくださった。本当に感謝しかありません」

松宮さん家族とスタッフの前田克江さん(右から2人目)。手に持っているのは、8億年前のドイツの岩塩など、塩の研究のために集めている珍しい塩

 ツルハシで地面を掘るところから始めた工場がようやく完成し、いよいよ塩づくりの段になった。さまざまな製塩法の中から、2人は最も時間がかかる方法を選んだ。風と天日でじっくり海水を濃縮させて塩に結晶化させるので、一粒の塩ができるまで早くて28日かかる。

 「自然の力を借りてつくれば、意図しないところでいろんなハプニングが起きてきておもしろいだろうと思って、一番ゆっくりつくる方法を選びました」

 時間をかけることは塩の味にとってもプラスだった。海水中の各種ミネラルがまんべんなく取り込まれるので、辛みや酸味や苦みを含んだ奥深い味になる。

毎年、塩研究の旅に出掛けており、これまで訪れた国は35カ国。旅先から持ち帰った塩の結晶や製塩道具を展示した博物館「ソルトクルーズ」を、14年前、やはり夫婦二人で建てた。入館は無料

 手間ひまかけた塩が初めて売れたときは、さゆりさんも泣くところを見たことがないという松宮さんが泣いた。

 「思わず涙が出ました。ものをつくってお金をちょうだいすることは、こんなに大変なことなんだって」

 塩づくりを始めて18年、「生まれ変わっても塩職人をやりたいかと聞かれたら、答え方にちょっと迷う」ぐらい、苦労も多かった。ごみが一つ混入していたために取引停止になったこともあったし、台風で工場が壊れて何カ月も製造がストップしたこともあった。だけど、松宮さんは幸せだと言う。

 「いろんな意味で、非常に“生きているな"と思います。そう感じられるのは、幸せなことだと思います」

 丹精込めてつくる手もみ塩は、雑誌「dancyu」のコンテストで一位に輝くなど高く評価されている。絶景の海の味を、太陽と風の力を借りてきらめく一粒一粒にとじ込めた塩夢寿美は、人生をかけてつくると決めた「本物の塩」に、一歩ずつ近づいている。

    ◇

倶楽部 野甫の塩
沖縄県伊平屋村野甫396-1
TEL/FAX 0980-46-2180(商品の販売は直販のみ)

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PROFILE

馬渕和香(まぶち・わか)/ライター

写真

元共同通信社英文記者。沖縄本島北部、やんばるの丘に建つパステルブルーの小さな古民家に暮らして18年。汲めども尽きぬ沖縄の魅力にいまなお眩惑される日々。沖縄で好きな場所は御嶽(うたき)の森。連載コラムに「沖縄建築パラダイス」(朝日新聞デジタル&M)、「オキナワンダーランド」(タイムス住宅新聞)がある。

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