城旅へようこそ

現存櫓と風変わりな天守

  • 福山城(2)
  • 2017年9月4日

昭和40年に復元された天守。かつては北面が黒かった

<福山城(1)からつづく>

 伏見櫓のほか、鉄御門、月見櫓、本丸御殿、御湯殿、火灯櫓、追手御門などが、伏見城から移築されたようだ。残念ながら多くが破却または焼失し、残るのは伏見櫓と筋鉄御門のみとなっている。

 筋鉄御門は、本丸の正面玄関にあたる。柱の角に筋状の鉄を施し、扉にも数10本の鉄を縦にうちつけているからそう呼ばれるのだという。大扉は通常は閉ざされ、脇門から出入りしたようだ。大扉を下から見上げると、天井部分には板をずらして鉄砲や弓矢で攻撃する装置もつくられていて、厳重な警備体制が感じられる。

筋鉄御門は元和期に創建された

 御湯殿は、本丸南側の石垣上に突き出すようにして建つ、懸造の粋な建物だ。惜しくも空襲で焼失してしまったが、現在は外観が復元されていて、珍しい外観が眺められる。御物見の段と御風呂の段があり、御物見の段は上・中・下段の3段で構成。藩主は、湯上がりに上段の間から涼をとっていたというのだから、なんとも優雅な話だ。福山城は野上村常興寺山という小高い山を利用して築かれているから、ここからの眺望はなかなかのものだったろう。

御湯殿は本丸南側の石垣上に突き出すように築かれていた

空襲により焼失したが、昭和41年に復元されている

復元された月見櫓。高欄・廻縁月の二重三階の櫓で、望楼の役割をしていたとみられる。伏見城から移築されたが明治時代に破却された。本丸東側の鏡櫓は明治6年に取り壊されたが、寄付金を基金として昭和48年に外観復元されている

 天守は、残念なことに1945(昭和20)年8月8日の空襲で焼失してしまった。現在建つのは1965(昭和40)年に復元された天守だが、昭和に入っても残っていたため古写真が多く残るのがうれしい。往事の姿を思い浮かべながら、天守を見上げる時間もまたよいものだ。

 実は、往事の福山城天守は世にも珍しい姿だった。昭和10年に撮影された写真を見ると、北側の壁面が真っ黒なのだ。北側の防御に不備があったため、また風雨を防ぐために、最上階を除くすべての壁に、鉄板が鎧のように貼られていた。砲撃を防ぐべく編み出された、まさに鉄壁といえる風変わりな天守だった。

 (1)で述べたように、福山城は特例で新築された特別な城だ。天守は江戸時代に築造された天守のなかでも最高峰のものといえ、五重五階地下一階で二重三階の付櫓をともなう立派なものだった。逓減率が少なく、タワーのような外観だ。実戦的な仕様でありつつ権威の象徴としての一面も取り入れられ、最上階には廻縁もめぐらされていた。3階と4階には床の間が設けてあり、最上階にも床の間があった。

現在は異なるが、かつての天守は北面だけが真っ黒だった

福山駅に面する、壮観の石垣

戦火の爪痕も生々しく残る

 さて、旅の最後に出会ったのが、福山城天守のイラストが描かれた「福山あいす」だ。濃厚なミルク、フレッシュなストロベリー、コーヒーや抹茶などのほか、福山市沼隈町産のピオーネを使用した「沼隈ピオーネ」や福山産のバラを使用した「ベリーローズ」など変わったフレーバーもある地元製造のアイスクリームだ。

 思わず手にしたフレーバーは、福山市鞆町の岡本亀太郎商店公認の「鞆の浦 保命酒」。保命酒は鞆の浦の特産品で、その起源は350年前、1659(万治2)年まで遡る。江戸幕府より備後の特産品として庇護され、全国に知れ渡り高級品となったという。焼酎、もち米、麹に13種類の生薬を漬け込んでつくられ、夏バテ防止、冷えや疲労回復にも効果があるとか。生薬のクセがほのかに感じられ、なかなかおもしろい味わいだ。

福山あいす。パッケージには福山城のイラストも

(福山城の回・おわり)

文・写真 城郭ライター 萩原さちこ

交通・問い合わせ・参考サイト

福山城
JR「福山」駅から徒歩すぐ
084-922-2117(福山城博物館)
福山城博物館のページはこちら

福山あいす(SMILE CREATE)
084-946-5080
福山あいすのページはこちら

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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