蓬萊島-オキナワ-の誘惑

光の景色を楽しむ、水彩画のようなガラス 「Glass Studio 尋」

  • 文・写真 馬渕和香
  • 2017年9月4日

ガラスに反射する光。光がガラスを通り抜けてできる影。“光の料理人”こと、屋我平尋さんは、ガラスと光が出会って生まれる景色を楽しむためのガラス器をつくり続ける。写真は、雲にかかる虹をイメージした「虹のかけらシリーズ」のボウル

 ガラス作家の屋我(やが)平尋さんは、雨が好きな子どもだった。雨が降ると、いつも心が踊った。大好きな水たまりをたくさん残してくれるからだ。

 「水たまりに光が差すと、反射して光るじゃないですか。あの光を見るのがとても好きでした」

 雨が降らない日は、こんな遊びもした。月のきれいな夜、屋我さんは庭に出て、岩に生えたコケにじょうろで水をかけた。コケにくっついたまんまるい水滴が月明かりに照らされるさまを眺めるために。

 「小学生の頃から、光で遊ぶのが好きでした。友だちには、ヘンなやつだと思われていたでしょうね」

 来年還暦を迎えるというのに、どこか少年っぽい笑顔で屋我さんが言った。

工房に展示された作品たち。屋我さんの作品の色合いは、沖縄の海や森や空の色彩を連想させる

 おとなになってガラス職人になったのも、魂を揺さぶられるほど美しい光と出会ったからだ。東京で舞台美術の仕事をしていたある日、屋我さんは、たまたま訪れた友人の家で生まれて初めてティファニーのランプを見た。

 「いろんな色のガラスが混ざり合ったステンドグラスのランプで、最初見たときは、『なんか汚いな』と思ったんです。ところが、スイッチを入れた瞬間に色とりどりの光がパーッと飛び出てきて、あまりの美しさに息をのみました」

 稲妻が走るような衝撃を味わった屋我さんは、1週間後、東京を引き払った。「光を自分でつくり出す」ガラス職人になろうと決心して。

多くの弟子を抱えていたこともあったが、今は家族3人で工房を営んでいる。炉の温度は1100度から1200度。窓を開け放っているのに、作業場の温度計は48度をさしていた

 ガラス職人への道は、思いのほか遠かった。入門したい工房をなかなか見つけられず、まわり道もした。学校給食のパンをつくる工場で働いたこともあった。だが、「やるんだったら、何でもこだわる」屋我さんは、みずから進んで午前2時に一番乗りで工場に来て、学校から「パンがおいしくなった」と感謝の電話がかかってくるようなパンをつくった。

 「ヘンなやつだと、そこでも言われましたよ。なんでわざわざ難儀なことをするのかって」

 師匠の稲嶺盛吉さんとめぐり合ったのは、パン工場をやめてステンドグラスの会社に勤めていたときだった。のちに現代の名工になる稲嶺さんに、屋我さんは、「自分だけのオリジナルなガラスをつくってみたい」と訴えた。

 「それから半年後のことでした。『工房を立ち上げるから、俺のところで勉強せい』と声を掛けていただきました」

成形は2段階で行う。ガラス種を長いさおに付けて、さおをまわしながら息を吹き込み風船のように膨らませてから(宙吹きという技法)、口を広げて仕上げる。この日は、宙吹きを娘の夫である與那嶺直さんが、仕上げを屋我さんが行っていた

 稲嶺さんに弟子入りした屋我さんは、いきなり大きなチャンスに恵まれた。先輩職人が工房をやめて、宙吹き(ガラスの成形技法の一つ。穴のあいた長いさおにガラス種を巻き取り、さおをくるくる回しながら息を吹き込んで膨らませるやり方)を任されたのだ。

 「ある日、師匠から『今日からお前が吹け。できん、ではすまさんよ』と言われました。先輩が残っていたら、あと1、2年は宙吹きをさせてもらえなかったはずです」

 結局、稲嶺さんには9年間お世話になった。3、4年で独立する最近の傾向からすると長い修行だった。しかしその分、腕は十分に磨かれた。県内の公募展で2度最高賞に輝き、39歳のとき、満を持して「尋グラス工房(のちに「Glass Studio尋」に変更)」を開いた。

右は、白いガラスを雲に見立てた虹のかけらシリーズ。輪郭がくねった左のグラスは、お年寄りに「あなたのグラスが欲しいけど、指の力が衰えて持ちきれない」と言われて、持ちやすくデザインしたもの。オリジナルカラーの褐返色が使われている

 独立して、最初に屋我さんが考えたことは、「冬でも売れる」ガラスをつくることだった。1~2月は、ガラス製品はどうしても売れなくなる。そこで、あるものを参考にしようと考えた。

 「陶磁器っぽいものをつくれば、一年中売れるんじゃないかと考えました」

 白いガラスでぐるっと包み込む。色をちりばめる。「陶磁器っぽさ」を出すために、屋我さんはいろんな方法でガラスの透明感を消そうとした。色づかいは、水彩画を手本にした。

 「水彩画の先生と10回にわたって二人展をしたことがありますが、そのときに一番勉強になったのが色づかいでした」

ステンドグラスの会社で働いた経験も、作品づくりに生かされている。写真は、グルーチッピングというステンドグラスでよく使われる技法でつくったボウル。鳥の羽根のような模様は、ガラスに塗った膠(にかわ)が乾くときに表面が剥ぎ取られてできる

 どこにもない、自分だけの色をつくり出すことにもこだわってきた。最初に誕生させたのは、沖縄の森の中をイメージした「褐返色(かちかえしいろ)」。少し渋みの効いた青緑色だ。

 「沖縄の森って、緑がすごく色鮮やかですよね。だけど、中に入ると暗い色彩もある。それを表現したのが褐返色です」

 色づくりは案外難しく、あるときはワインカラーをつくろうとしてこんな失敗をした。

 「赤と紫を混ぜたら何色になったと思います? クリアです。色を消し合って透明になっちゃった。絵の具と違ってガラスの色は化学反応で決まるので、色をつくるのは難しいです」

 失敗を重ねながらも、屋我さんは少しずつオリジナルカラーを増やしていった。沖縄の海の色を再現した「ピーコックグリーン」。琉球王朝時代の宰相が身につけた色をモチーフにした「すみれ色」。いずれも、沖縄の自然や歴史から抜き出した色だ。

複数のガラスを電気炉で溶着させるフュージングの技法でつくった大皿

ランプシェードもつくっている。砕いたワインの瓶を材料にしたランプシェードは、ガラス職人を目指すきっかけとなったティファニーのステンドグラスランプと同じ技法でつくった。「将来はステンドグラスに力を入れたい」と屋我さん。オリジナルカラーのガラスだけでステンドグラスをつくるのが夢だ

 ライトコック(光の料理人)。いつからか、屋我さんは自分のことをそんなふうに呼ぶようになった。

 「ガラスをつくっていると、いろんな色や模様の光を混ぜ合わせているような気分になります。それは、なんとなく料理に近い感覚なので、自分のことを“光の料理人”だと思っています」

 屋我さんが、ふと思い立って、過去の作品の写真を見せてくれた。「これは、以前、グループ展をした時の…」と言って見せてくれたのは、作品そのものではなく、夕日が作品に当たって出来た色とりどりの影模様だった。

 「ガラスのおもしろいところは、光を中に溜(た)めたり、光を通過させて美しい影をつくったりするところです。もっともっと光を生み出すガラス、もっともっと光を楽しめるガラスができないかと、いつも考えています」

 ガラスと光の心ときめく一期一会を探求し続ける屋我さんが、少年のようなまなざしで語った。

    ◇

Glass Studio 尋
沖縄県沖縄市知花5-24-20
098-937-3445
9:00~17:00(土曜日9:00~13:00、日曜日休み、営業時間中は見学自由)
作品は工房のほか、県内の久高民芸店、titutiなどで購入できる

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PROFILE

馬渕和香(まぶち・わか)/ライター

写真

元共同通信社英文記者。沖縄本島北部、やんばるの丘に建つパステルブルーの小さな古民家に暮らして18年。汲めども尽きぬ沖縄の魅力にいまなお眩惑される日々。沖縄で好きな場所は御嶽(うたき)の森。連載コラムに「沖縄建築パラダイス」(朝日新聞デジタル&M)、「オキナワンダーランド」(タイムス住宅新聞)がある。

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