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五稜郭の背後を守った小さな四稜郭 箱館戦争の舞台を歩く

  • 文・写真 城郭ライター 萩原さちこ
  • 2017年10月10日

幕末に築かれた四稜郭。北海道函館市内にある

 北海道に築かれた城といえば、もっとも有名なのは五稜郭だろう。1853(嘉永6)年に黒船来航と翌年の日米和親条約の締結によって、箱館と下田が正式に開港された。外国への窓口となったことを受け、幕府直轄の箱館奉行所は、海上からの砲撃に対する防衛力の高さを求めて箱館港のそばから丘陵地へと移転された。その移転先で、奉行所を守るために築かれたのが五稜郭だ。

 当初の目的とは異なり、五稜郭は内乱の激戦地となった。1868(慶応4)年1月から1869(明治2)年5月に新政府軍と旧幕府軍とが激突した戊辰戦争の最後の戦いとなるのが箱館戦争で、五稜郭を舞台とした五稜郭の戦いにより終幕した。

 五稜郭と呼ばれるのは、五つの突出部(稜堡=りょうほ)を持つ星型をしているからだ。中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考とした、西洋式の土塁が考案されている。

五稜郭。五つの稜堡を持つ星型をしていることからそう呼ばれる

 函館市内には、五稜郭と同時期にいくつかの軍事要塞や砲台が築かれている。四稜郭もそのひとつで、函館戦争の際に五稜郭からわずか北東約3キロの場所に築かれた。

 五稜郭が五つの突出部を持つ星型なのに対し、四稜郭は四つの突出部を配したバタフライ型だ。長方形のスペースは土塁で囲まれ、その四隅が突出する。四つの突出部に砲座(大砲を置く台座)を置く構造だ。上から見ると、ちょうど蝶々が羽を広げたような形をしている。

四稜郭の突出部のひとつ

虎口(出入口)は左右が異なる「食い違い」になっている

 四稜郭は、五稜郭の背後を守るべく築かれた。とはいえ規模は五稜郭とは比べものにならず、五稜郭が約250,835平方メートルの規模を誇るのに対し、四稜郭はわずか約21,564平方メートルしかない。内部の広さは縦100メートル×横70メートルほどだ。

 「こんなところでまともに戦えるのだろうか」と、誰もが思うだろう。西洋軍学者だった大鳥圭介が設計したとの説があるが、大軍に四方から攻め込まれれば確実にひとたまりもなさそうだ。五稜郭のように広大な水堀に守られておらず、丸腰だ。ただただ、旧幕府軍の切羽詰まった戦況が感じられる。

 調べてみると、やはりかなりの急造だったようだ。五稜郭が大金を投じた7年がかりの大事業だったのに対し、四稜郭は旧幕府軍により動員された士卒約200人と付近の村民約100人により、昼夜兼行の突貫工事で数日間のうちに完成させたという。もちろん恒久的な施設はなく、まさに最前線というつくりだ。

折れをともなう土塁が続き、空堀がめぐる。上から見ると蝶が羽を広げたような形をしている

 土塁の高さは3メートルほど。人が隠れるには十分だが、その外側に設けられた堀は幅2.7メートル、深さ1メートル程度だ。大砲まで導入されている幕末の戦いにおいて、ここを守る兵士は大変だったに違いない。

 実際に、四稜郭はわずか数時間で役目を終えた。新政府軍が箱館総攻撃を開始した明治2年5月11日に戦闘が行われたが、五稜郭と四稜郭の結節点につくられていた権現台場と呼ばれる砲台が長州藩兵に占領されてしまったため、退路を断たれることを恐れた四稜郭の部隊は五稜郭へと撤退したのだった。

 現在の四稜郭は土塁などが修復・整備され、記念碑が建つ穏やかな場所になっている。その規模ゆえにあっという間に見終わってしまうが、さほど歩かずに独特のラインをたどれ、防御のしくみを味わえることがうれしい。幕末の要塞を知るには手軽なスポットといえるだろう。遠くに望める五稜郭タワーとの距離を感じながら、当時の前線の緊迫感を想像するのもいい。

土塁の高さは約3メートル。戦闘を考えるとさほど高くない。

 せっかくなら、四陵郭から南東1キロほどのところにある権現台場にも立ち寄ろう。新政府軍の攻撃により社殿は焼失してしまったのだが、石造りの大鳥居は崩壊を免れている。五稜郭や弁天台場の石垣を手がけた、井上喜三郎によるものだ。ちなみに権現台場と呼ばれるのは、函館東照宮に築かれたためという。

権現台場は四稜郭から約1キロ。現在の北海道東照宮境内には、弾痕が残る手水石が権現台場から移されている

 実は、四つの稜堡を持つ四稜郭はほかにもある。国史跡に指定されている松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡(北海道北斗市)もそのひとつだ。1855(安政2)年に徳川幕府の命を受け、防衛強化を目的に松前藩により築かれた。

 松前藩戸切地陣屋跡は四稜郭のようなバタフライ型ではなく、手裏剣のような独特のフォルムだ。四つの稜堡のうち、東の稜堡だけは亀が首を突き出すような形をしている。突端部には全部で六つの砲座がある。四稜郭を訪れてから歩くと、構造の違いが楽しめる。

 この陣屋跡は箱館戦争で旧幕府軍の進撃を受け自焼・放棄されてしまったが、建物こそないものの保存状態がよく、史跡公園として整備されて観光スポットになっている。2016年に開業した北海道新幹線の終着駅である新函館北斗駅の北斗市にあり、駅までは車で15分ほど。北海道新幹線を利用する際の立ち寄りスポットとしておすすめだ。

松前藩戸切地陣屋跡の広大な敷地には120人以上の藩士が生活していたといわれている

日露戦争を記念して585本の桜が植えられ、5月上旬~中旬には800メートルの一本道がピンク色に染まる観光スポットとしても知られる

交通・問い合わせ・参考サイト

■四稜郭
北海道函館市陣川町
函館バス「四稜郭」バス停から徒歩約1分
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2016072500070/

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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