蓬萊島-オキナワ-の誘惑

歩いて見つける沖縄の旅の宝物 「おきなわスローツアー」

  • 文・写真 馬渕和香
  • 2017年11月27日

イラストレーターの高野純一さんがガイドを務める「おきなわスローツアー」は、沖縄の街並みに隠された歴史や文化の断片を訪ね歩く宝探しのようなツアーだ

 沖縄の旅の“宝物”は、バスやレンタカーでなければ行けないビーチや観光施設にだけでなく、足元にもたくさん落ちていると、「おきなわスローツアー」のガイド、高野純一さんは言う。

 「バスやレンタカーであちこちめぐる旅も、もちろん楽しいですが、たとえば那覇の裏通りをただ歩くだけでも、足元に落ちているいろんな宝物を見つけられます」

 「足元の観光資源」にもっと気づいてほしいと、20年前、高野さんはイラストレーターとして活動する一方でガイドを始めた。高野さんのツアーのなかでも「一番のお勧め」という那覇市壺屋(つぼや)周辺をめぐるルートを案内してもらい、街並みに埋もれた沖縄の「宝物」を探した。

昔は沖縄随一の歓楽街だったという桜坂の一角。開発が進む那覇の中心部で、異次元空間めいた雰囲気を放っている

 「古い建物がどんどんなくなって、コインパーキングやドラッグストアが増えている那覇ですが、この一角は、僕が沖縄に住み始めた20年前のまま残っています」

 高野さんのツアーは、国際通りの目と鼻の先、かつて沖縄随一の歓楽街として栄えたという桜坂の小さな路地から始まった。

 「ここは普段案内しない場所です。実は毎回、季節や参加者によってコースにアレンジを加えています。だから毎回がオリジナルツアーです」

 やぎ料理店やスナックが窮屈に肩を寄せ合う狭いスージグヮー(路地)に、高野さんが吸い込まれるように入っていった。どこからともなく沖縄民謡が流れてくる。街並みの新陳代謝が進む那覇の中心にあって、この一角は時間が数十年前で止まっているようだ。

桜坂周辺にはフォトジェニックな建物が多い

 昭和が薫る桜坂を抜けて、戦後、てんぷら店が軒を連ねたことからその名がついた「てんぷら坂」を下った。

 「昔は食用油がなかったので、米軍から手に入れたモービルオイルでてんぷらを揚げたそうです。おなかをくだす人もいたみたいです」

 坂の途中に、戦時中1000人余りの人が避難したという防空壕(ごう)跡が残っていた。前方には、2年前にオープンした18階建ての高級ホテルがそびえたつ。一本の短い坂に凝縮された過去と現在に思いをはせながら、てんぷら坂を下り切ると、壺屋の入り口にたどり着いた。ツアーの“序章”は終わり、ここからが本番だ。

 「沖縄のおもしろいものが壺屋には詰まっています。一日かかっても案内しきれないほどです」

 「おもしろいもの」とは、17世紀に琉球王府の政策により生まれた「やちむん(焼き物)」の街が生み出すマカイ(わん)やカラカラ(酒器)やシーサーだけではない。戦火を免れた古道や、風水を取り入れた街づくりの痕跡や、人々が古くから祈りを捧げてきた拝所(ウガンジュ)や井泉(カー)など、近年急速に失われつつあるいにしえの沖縄の断片が壺屋には残っていると高野さんは言う。

 「古い街並みや拝所など、沖縄の原点を感じられる場所はほかにもあります。壺屋のすばらしいところは、国際通りのこんな近くにそれが残っていることです」

いしまち通り。「いしまち」の名は、石垣にツタが巻き付いている(“石巻き”が方言読みで”いちまち”になったらしい)ことに由来するという

 なぜ壺屋に、沖縄の昔をしのばせるものが多く残っているかと言えば、那覇の大半を灰燼(かいじん)に帰した沖縄戦の被害を比較的受けずに済んだからだ。

 「この曲がりくねった細い道は、道幅も昔のままで、左右の石垣も戦前のものです。このフクギも、奥に見えるアカギも、戦争を生き延びた貴重な木です」

 高野さんが、ひときわ言葉に熱をこめて語る小道は、壺屋大通りから一本奥に入った「いしまち通り」だ。

 「道がくねくねと蛇行しているのは、カーブを曲がるのが苦手と言われるマジムン(魔物)を惑わせる風水の知恵なのでしょう。見てください。カーブには(マジムンの侵入を防ぐための)魔よけの石敢當(いしがんとう)があります。家々の屋根にも魔よけのシーサーがのっかっています」

「ビンジュルグヮー」。壺屋のすべての行事がここに始まりここに終わると言われる重要な聖地

 シーサーのルーツに関する目からウロコな話(エジプトのスフィンクスとも関連があるのだとか)を聞きながら、「ビンジュルグヮー」まで歩いてきた。壺屋の土地や集落を守る神がまつられている聖地だという。

 「この奥にビジュル(霊石)がまつられています。基本的に沖縄の拝所に御神体はなく、岩や山や井泉といった自然そのものが神殿です」

南(フェー)ヌ窯。釉薬(ゆうやく)を使う上焼(じょうやち)を焼く東(アガリ)ヌ窯(国指定重要文化財、現在非公開)に対して、釉薬を使わない荒焼(あらやち)を焼いていた。周辺が人口密集地となったため、煙害の恐れから現在は使われていない

通りかかった育陶園の工房では、埼玉県出身の陶工、鯉沼則之さんがシーサーを制作していた。「この道に入って20年近くですが、先代が残した形を自分流に崩さないようにすることが一番難しいです」。焼き上がりまでに一カ月半かかる

 ところで、言わずと知れたやちむんの街、壺屋が、実は沖縄の戦後復興のスタート地点だったことはあまり知られていない。

 「戦後、焼け残った壺屋に陶工たちが戻って来てお皿を焼くところから、那覇の復興は始まりました」

 1945年6月、沖縄戦が終結すると、那覇は米軍の全面占領下に置かれ、立ち入り禁止となった。しかし壺屋には、同年11月、産業振興の名目で陶工たちが入域することが許された。翌年開所した壺屋区役所は、戦後最も早く設置された那覇市の行政庁舎だ。その跡を示す碑が、壺屋大通りのそばに建てられている。

 「壺屋で陶器生産が始まってから、近くのガーブ川沿いに自然発生的に闇市ができました。それが、のちの公設市場です」

那覇の台所、第一牧志公設市場。「市場一帯は、僕にとって世界一のパワースポットです」と高野さん

 高野さんが「ツアーがない日でも、“一人ツアー”をするほど好き」だと言う公設市場の周辺をひとめぐりし、驚くほどコストパフォーマンスの高い一杯390円の沖縄そばを食べて、ツアーは終了した。2時間のツアーのはずが3時間半を経過していた。

 「延長料金はいただいていません。だってお客さん以上に、僕が一番ツアーを楽しませてもらっているのですから」

ランチ休憩は、市場付近の沖縄そばの店(右)で。向かいの大衆酒場は沖縄のせんべろブームに火を付けたとも言われる店だ

市場のすぐそばの「Parasol」は、高野さん行きつけのカフェ。店主の棚原進さんは、「この辺りの昭和感が好きでここに店を構えました。朽ちそうなトタンとか、雑多な雰囲気とか、何とも味わいがあります」と語る

 「扉を開けるとまた別の扉があって、飽きることがない」と、沖縄の街や集落を歩くことの楽しさを語る高野さんとたどった道に、「宝物」は確かにあった。昔ながらのからじ(沖縄独特の結い髪)を結った沖縄女性が石垣の陰から現れそうな古道や、連綿と受け継がれてきた信仰を物語る拝所や井泉。戦争を生き延びた緑まぶしい大木や、300数十年続く壺屋焼の伝統を宿した陶工の手の美しさ。そして、誕生から70年近く経つ今も公設市場にうずまき続けるエネルギー。

 もっと目を凝らせば、まだまだ宝が見えて来るのだろう。そして、見えれば見えるほど、沖縄は面白くなる。

    ◇

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おきなわスローツアー

問い合わせ先:070-5691-3792
壺屋と公設市場のコース以外にも、首里城と周辺をめぐるツアー、東御廻り(首里からの聖地巡礼)など、さまざまなツアーを用意している。詳しくは、高野さんのブログ

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PROFILE

馬渕和香(まぶち・わか)/ライター

写真

元共同通信社英文記者。沖縄本島北部、やんばるの丘に建つパステルブルーの小さな古民家に暮らして18年。汲めども尽きぬ沖縄の魅力にいまなお眩惑される日々。沖縄で好きな場所は御嶽(うたき)の森。連載コラムに「沖縄建築パラダイス」(朝日新聞デジタル&M)、「オキナワンダーランド」(タイムス住宅新聞)がある。

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