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「豊臣の城=黒」にあらず? 黒い天守と白い天守(1)

  • 文・写真 城郭ライター 萩原さちこ
  • 2018年5月7日

現在の大阪城

 大阪市のランドマークとしてすっかりおなじみの大阪城天守閣。1931(昭和6)年に、鉄筋コンクリートで建造された天守だ。この大阪城天守閣、最上重だけが黒い壁面でその下は白い壁面という珍しいデザインであることにお気づきだろうか。実は、豊臣時代の黒い天守と徳川時代の白い天守をミックスさせたオリジナルデザインなのだ。

 「そうそう、豊臣の城は黒くて徳川の城は白いんだよね」と、城に詳しい人ならうなずいているかもしれない。しかし、必ずしも「豊臣方の城=黒」「徳川方の城=白」ではないのだ。では、なぜ黒い天守と白い天守が存在するのだろうか。その謎に迫ってみよう。

大阪城天守閣の壁面は最上重だけが黒い

 大阪城天守閣は、大坂城の3代目の天守にあたる(以下、明治以降は「大阪」、明治より前は「大坂」と表記する)。初代天守は、豊臣秀吉によって1585(天正13)年頃に建造された。大坂の陣の後、徳川幕府によって1626(寛永3)年に建造されたのが2代目の天守だ。この2代目天守は1665(寛文5)年に落雷により焼失したため、1931年に3代目となる現在の大阪城天守閣が建造された。

 秀吉が築いた初代天守は、黒壁の五重天守だったと考えられている。その姿を描いたものとして知られるのが、黒田長政が戦勝記念として大坂夏の陣のようすを描かせたといわれる『大坂夏の陣図屛風』(大阪城天守閣蔵)。これを見ると、天守の壁面は真っ黒である。豊臣大坂城天守を描いたものとしては最古と考えられている『大坂城図屛風』(同)に描かれた天守も同様で、天守の壁面は真っ黒に塗られている。

 秀吉は天守の壁面を、黒漆で仕上げていたようだ。また、屋根には金箔(きんぱく)を押した瓦をふいていたとみられ、三の丸や総構などからは多くの金箔瓦が出土している。漆黒につやめく壁面を彩るのは、金箔で描かれたトラやサギ(現在はツル)。まばゆいほど絢爛(けんらん)豪華に装飾された天守が、天下人・秀吉の分身としてそびえ立っていたようだ。

大阪城天守閣は徳川大坂城の天守台の上に築かれている。豊臣大坂城は埋没しており、天守は別の場所にあった。手前の管の下から豊臣大坂城の石垣の一部が見つかっている

 秀吉は重臣にも、黒漆と金箔瓦を使用する権限を与えていたとみられている。シンボリックな城を、政治的なツールとして利用していたのだ。フランチャイズ企業のように同じビジュアルの城を各地の拠点となる場所に築かせることで、勢力を誇示したのだろう。

 黒壁の五重天守として唯一現存している松本城(長野県松本市)の国宝天守も、同時期に家臣の石川数正によって建造された。松本城は真田昌幸の上田城(長野県上田市)や仙石秀久の小諸城(長野県小諸市)などとともに、江戸に封じ込めた徳川家康を牽制(けんせい)すべく築かれた豊臣政権下の城のひとつと考えられている。

松本城の天守

 宇喜多秀家が築いた岡山城(岡山市)の天守も、豊臣政権下の大名が築いた黒壁の天守の代表例だ。秀家は秀吉の猶子であり、若くして豊臣五大老のひとりとなった人物である。岡山城は57万石の大名となった秀家にふさわしい城とすべく、秀吉が全面指導して築かれたといわれる。天守は1597(慶長2)年頃に落成した。

 天守は1945(昭和20)年の空襲で焼失してしまったが、焼失前の古写真には黒い壁面の天守が写っている。別名「烏城(うじょう)」と呼ばれるのは、壁面に黒漆が塗られ、太陽の光を受けるとまるで烏の羽のように輝いていたから。また金烏城(きんうじょう)とも呼ばれるのは、金箔瓦がふかれていたためだともいわれる。現在の壁面にはフッ素樹脂塗料が塗られているが、かつては豊臣政権下の城として重厚な輝きを放っていたのだろう。

岡山城の天守。1966(昭和41)年に外観復元された

 ところが、「黒=豊臣政権をアピールするシンボルカラー」と言い切るには腑(ふ)に落ちないケースがある。たとえば、松江城(松江市)や熊本城(熊本市)がその例だ。松江城を築いたのは堀尾吉晴で、熊本城を築いたのは加藤清正。いずれも豊臣政権下の重臣ではあるものの、城が本格的に築かれたのは徳川の世となってからなのだ。

 松江城の築城は、関ケ原合戦後の家康による配置換えによって堀尾氏が24万石で出雲・隠岐へ入ったことがきっかけだ。月山富田城(島根県安来市)から移転すべく、1607(慶長12)年から着工された。外様大名であるという立場や関ケ原合戦後の不穏な情勢を考えると、豊臣政権のシンボルカラーを意図的に掲げるなど反逆の意図を示すに等しく、ありえない。

 同じく熊本城も、清正が本格的に築城を開始したのは秀吉が没し、家康が政権を握りはじめてからだ。秀吉に幼少の頃から仕えた清正の忠誠心は厚く、熊本城は家康との戦いを見据えて築いたともいわれる。しかしいくら清正にその意図があったとしても、時代背景を考えれば、あからさまに豊臣のシンボルカラーを主張するとは考えにくい。

 ではなぜ、豊臣系大名の城には黒い天守が多いのだろう。徳川の世になると、どうして天守の色は白へと変化していくのだろうか。次回は白い天守に迫っていこう。

松江城の天守。2015(平成27)年に国宝に指定された

(つづく。次回は5月14日に掲載予定です)

交通・問い合わせ・参考サイト

■大阪城
大阪メトロ谷町線・中央線「谷町4丁目」駅から徒歩約20分 ほか
http://www.osakacastle.net/(大阪城天守閣)

■松本城
JR「松本」駅から徒歩約15分
http://www.matsumoto-castle.jp/(国宝松本城)

■岡山城
JR「岡山」駅から岡電バスまたは両備バス「県庁前」バス停下車、徒歩約5分 ほか
http://www.okayama-kanko.net/ujo/index.html(岡山城公式ホームページ)

■松江城
JR「松江」駅からレイクラインバス「大手前」バス停下車、徒歩すぐ ほか
https://www.matsue-castle.jp/(国宝松江城ホームページ)

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■熊本城
JR「熊本」駅から市電「熊本城・市役所前」電停下車、徒歩約10分
http://kumamoto-guide.jp/kumamoto-castle/(熊本城)

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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