『悪童日記』の街ケーセグの朝食 オーストリア、ハンガリー国境を訪ねて

  • 文・写真 伊東信宏
  • 2018年5月14日

汎ヨーロッパ・ピクニック公園の記念碑

 ウィーンで車を借りて、オーストリアとハンガリーの国境あたりを旅した。

 最初に目指したのは、1989年のベルリンの壁崩壊のきっかけになった「汎(はん)ヨーロッパ・ピクニック」の現場。当時のハンガリー政府がオーストリアとの国境を開放し、東ドイツ市民がチェコスロバキア、ハンガリー周りで西ヨーロッパに出国できるようにした計画だ。「ヨーロッパの将来を考える集会」という名目で、国境付近でお祭りが開催され、その騒ぎに乗じて、約600人の東ドイツ市民がオーストリア側に出国した(国境検査官はオーストリアからハンガリーに入ってくるオーストリア人のパスポートを入念に見ているふりをして、出国する人々を黙認した)。彼らはすぐに用意されたバスに乗り込み、西ドイツに直行した。

 今は記念公園として整備されていて、ちょっとした記念碑が置かれている。よく注意して見ると、かつての監視塔が残されていて、そして国境に張り巡らされていた鉄条網が再現されている。意外なほど背が低い(1メートル半程度)。二重になって背の高い方の柵には電気も流れていたらしい。実際にはこの二重の柵が7メートルほど間隔を置いてさらに二重になっており、その間に地雷原があった。ほんの30年ほど前、社会主義陣営と自由主義陣営の間を隔てていた境界は、今では人影もまばらな公園の片隅にひっそり再現されている。

鉄条網

 そこからハンガリー側の国境の町、ケーセグに向かう。人口1万人あまりの小さな町だが、アゴタ・クリストフの小説『悪童日記』(そしてその続編である『ふたりの証拠』『第三の嘘(うそ)』)の舞台となったところでもある。といっても、実名で出てくるわけではなくて、小説では「小さな町」とされている。双子の少年が主人公で、彼らは「大きな町」(おそらくはブダペスト)にいたが戦争(おそらく第2次大戦)のゆえに、「小さな町」に住むおばあちゃんに預けられる。というとほのぼのした話になりそうだが、このおばあちゃんが夫を毒殺したとうわさされている「魔女」と呼ばれる老女で、少年たちは彼女のもとで、現実の世界で生きて行くことの過酷さを学んでゆく。

ケーセグの街中

 ケーセグは、最近数億円かけて町並みを整備して、今ではなかなか瀟洒(しょうしゃ)な観光都市になっている。「瀟洒な」と言っても、本当なら観光資源になりそうな建物が放置されていたり、町のインフォメーションがまだまだ未発達だったり、と改善の余地は大いにあるのだけれど、あんまり隅々まで行き届いているより、これくらいの方が気楽で良い。

 

シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)として使われた建物

 宿泊するペンションに着くと、宿の女性が車まで迎えに出てくれる。親切なことだと思っていると、あっという間に鍵を渡して大慌てでどこへやら消えてしまった。あとは自分で戸を開けてなんとかしてくれということらしい。

 でも消える前に彼女が大急ぎで尋ねたのは明日の朝食は何がいいか、ということだった。まだ夕食も食べてないのに明日の朝食のことなんかわからないなあ、と思いながら、それでも彼女が矢継ぎ早に挙げていく選択肢からなんとか聞き取れた断片から、野菜や果物とオムレツがいい、とかろうじて答える。

街中には泉もある(手前)

 数時間後、女性が戻ってきたので、アゴタ・クリストフの小説を読んでここにきたのだが、双子たちが住んでいた家はどのあたりのことを指しているのだろう、と尋ねてみる。彼女は、誰か詳しい人にきいてみよう、と言って、すぐその場であちこち電話をかけてくれる。が、祝日なので一向につながらない。つながってもさっぱりラチが明かない。結局、よくわからないままに彼女は次の予定がある、といってまたどこかへ出かけてしまう。国境のこちら側、EUの一部だけれど通貨はユーロではないこの国では、今ものんびりなどしていられないのだ。

 双子とおばあさんが住んでいた家は、「小さな町」の「いちばん端の家並みから五分ばかり歩いた所にある」(ハヤカワepi文庫『悪童日記』、堀茂樹訳)と書かれているだけだが、あまりモデルを詮索(せんさく)しても仕方ないような気もする。ただ続編の『ふたりの証拠』で重要な役割を果たす町の本屋は、おそらく今も広場に面して建つ書店のことではないかと思われた。今ではバイトの女の子が店番をしている。

書店

 そういえば別れ際、宿の女性はまた朝食のことを言い出した。明日、7時半に朝ごはんね、と言いながら、ハッと真顔に戻り、ところでオムレツの卵はいくつか、と迫られてとりあえず二つ、と答える。どうして彼女はそんなに朝ごはんのことばかり気にしているのだろう?

夜の街の風景

 翌朝、約束の時間より15分くらい遅れて、彼女が晴れやかな顔をして出来立てのオムレツを部屋まで届けてくれた。フライパンごと。そして数種類のパン(たぶん朝昼晩と食べても3日分くらいある)。リンゴ、トマト、パプリカ、きゅうり、カブ(いずれもごろんと丸のまま)。チーズにハム。パプリカにチーズを詰めたもの。ジャム。蜂蜜。ヨーグルト(スグリの実入り)。コーヒー(エスプレッソ)とミルク。紅茶(ティーバッグ箱ごと、5種類くらい)。お湯はここで沸かすのだ、といって頭より高い棚の上に置かれている湯沸かし器のスイッチを入れてくれる。こんなところに熱湯を置いてひっくり返したら大変だ、と思っていると彼女は、コードが50センチくらいしかないからここにしか置けないの、と言い訳する。

 まあところどころおかしなところはあるが、ともかく心のこもった朝ごはんだった。

朝食を作ってくれた宿の女性

たっぷり量のある朝食

国境の西側、オーストリア・レヒニッツで。今は平和だが、大戦中の重苦しい記憶を持つ街だ

 

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PROFILE

伊東信宏(いとう・のぶひろ)大阪大学大学院教授、音楽評論家

1960年京都市生まれ。大阪大学大学院修了。ハンガリー国立リスト音楽院客員研究員、大阪教育大学助教授などを経て2010年から現職。博士(文学)。専門は東欧の音楽史、民俗音楽研究。著書に『バルトーク』(中公新書、吉田秀和賞)、『中東欧音楽の回路』(岩波書店、サントリー学芸賞ほか)など。朝日新聞のクラシック音楽評も執筆している。

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